Hosei Erasmus Mundus Program Euro Pholosophy

Hosei Erasmus Mundus Program, Euro Pholosophy - Over the two academic years 2008-9 and 2009-10 at Hosei University, classes for the first semester of "Euro Philosophy", an EU Erasmus Mundus Master Program, have taken the form of one-month intensive lecture series. This is the first instance in Japan of administering such a large-scale intensive lecture series within the Erasmus Mundus Master Program.

Syllabus

形而上学(2012)

担当教員

グレゴリー・ジャン、鈴木泉、藤田尚志、ヴァンサン・ジロー

授業内容

※ シラバス詳細は、英語ページの仏文要綱をご覧ください。

授業教室

大学院棟702教室

講義タイトルと授業日程

グレゴリー・ジャン(6講義):
「現前の形而上学、情感性、合理性」
デリダの「現前の形而上学」批判から出発し、この問題のハイデガーとミシェル・アンリの立場からの再検討を行った後、そこで出されてくる時間性を、情感性ではなく合理性へとつなげる作業を、キルケゴールも手がかりとして行なっていきたい。
  1. 4/20 [10:00-12:00]
  2. 4/23 [10:00-12:00]
  3. 4/24 [10:00-12:00]
  4. 4/25 [10:00-12:00]
  5. 4/26 [10:00-12:00]
  6. 4/27 [10:00-12:00]
鈴木泉(3講義):
「スピノザと現代フランス哲学の諸問題----内在概念と個体化----」
 「哲学者たちのプリンス」(ドゥルーズ)であるスピノザは、それ以降の、あるいはそれ以前の哲学者も含めて、それぞれの哲学者固有の思考の意味を明らかならしめるプリズムである。18世紀後半、スピノザの思考をめぐって展開された「汎神論論争」はドイツ観念論を生み出す一つのきっかけになり、その影響下でフィヒテ、シェリング、ヘーゲルらはスピノザの呪われた思考とそれぞれの仕方で対峙することによって、自らの体系を紡ぎ出した。現代フランス哲学においてもこのことに変わりはない。少なくとも、この思想潮流の主役の三人、すなわちミシェル・アンリ、エマニュエル・レヴィナス、ジル・ドゥルーズに関してはそうである。(大文字の)「生」の哲学者アンリの哲学的軌跡の出発点にはスピノザがおり(1942年から1943年にかけて執筆された習作『スピノザの幸福』)、「能産的自然」と「所産的自然」というスピノザの概念を自らの内在の現象学の枠組みの中で導入し、汎神論と見紛うばかりの思考を展開する晩年の思索は、この出発点に回帰することになるだろう。「他者」の哲学者レヴィナスにとっては、コナトゥスの思考である限りのスピノザ主義は、まずもって「同」の哲学の同義語であり、これは、他からの同の「分離」をめぐるレヴィナス自身の哲学的テーゼの対蹠点に位置づけられるものである。そして、多様体の哲学者ドゥルーズはと言えば、二冊の偉大な書物をスピノザについて記しただけでなく、その根本的基礎概念(存在の一義性、表現、器官なき身体、動物への生成変化等々)は、スピノザのコーパスに対する極めて独創的な読解から生み出されたものである。これら三つのスピノザ読解ないしはその活用の哲学的賭金は、二つの論点、すなわち、一方で超越概念との関わりにおける内在概念の存在論的位置づけ、他方で、不定形ないしは未分化と形容することが可能であるような内在的自然における個体化の問題に存する。  本講義では、三人の哲学者によるこのような賭金をめぐる潜在的な論争の哲学的射程を解明することにしたい。このことは、哲学史の只中におけるスピノザの思考のいまなお生ける豊饒さを捉え返すことをも可能にするだろう。
  1. 5/15 [14:00-16:00] 「スピノザとアンリ:内在と自己性」
  2. 5/22 [14:00-16:00] 「スピノザとレヴィナス:コナトゥスと他者」
  3. 5/29 [14:00-16:00] 「スピノザとドゥルーズ:一義性と動物への生成変化」
藤田尚志(3講義):
「ベルクソン哲学入門――レヴィナス、ドゥルーズとの対決を通して」
形而上学(存在論)・科学・政治の三領域において、現代フランス哲学を代表する二人の哲学者との対決を通して浮かび上がってくるベルクソン哲学のある種の「古さ」の中に、逆に彼の思考の反時代的な部分を読み取ることを試みる。
  1. 6/01 [14:00-16:00] 「記憶を絶した記憶――ベルクソンとレヴィナスにおける記憶理論」
  2. 6/09 [10:00-12:00] 「ベルクソンとドゥルーズにおける哲学と科学の関係」
  3. 6/09 [14:00-16:00] 「欲望と歓喜――ベルクソンとドゥルーズの政治哲学」
ヴァンサン・ジロー(3講義):
「西谷啓治と形而上学」
西谷啓治(1900-1990)がハイデガーと西田幾多郎という二人の師に従いつつ彼らを乗り越えて行っていった、「空」の概念から出発する、むしろ「宗教」という名前での西洋形而上学の組み換えの仕事を紹介していきたい。
  1. 5/07 [14:00-16:00] 「自己と'非―自己'」
  2. 5/14 [14:00-16:00] 「存在と虚無、空」
  3. 6/12 [14:00-16:00] 「神の問題」
試験日:6/25 [10:00-14:00]

現象学(2012)

担当教員

アレクサンデル・シュネル、原和之、合田正人、村上靖彦

授業内容

※ シラバス詳細は、英語ページの仏文要綱をご覧ください。

授業教室

大学院棟702教室

講義タイトルと授業日程

アレクサンデル・シュネル(6講義):
「現代フランス現象学入門」
認識論に傾いたフッサール、存在論に傾いたハイデガーをともに越えて、言語や現象の地位そのものの検討に向かっていった現代フランス現象学の基本的な特徴を把握していく。その把握に基づき、レヴィナスの「現象性なき現象学」とリシールの超越論的現象学再構築の仕事とを詳しく見ていく。
  1. 4/12 [10:00-12:00]
  2. 4/13 [10:00-12:00]
  3. 4/16 [10:00-12:00]
  4. 4/17 [10:00-12:00]
  5. 4/18 [10:00-12:00]
  6. 4/19 [10:00-12:00]
原和之(3講義):
「'欲望'概念のラカンによる練り直しとエディプス・コンプレクスの改鋳」
本講義では、1960年代はじめまでのジャック・ラカンの議論を取り上げつつ、ラカンの「欲望」概念がヘーゲルとソシュールとの接触のなかで、しかし最終的にはそこから距離を取ることによって形成されてきた過程を見たうえで、この概念が可能にしたラカンによるエディプスコンプレックスの再定義を詳しく検討する。
  1. 5/11 [14:00-16:00] 「ラカンとヘーゲル―'欲望を欲望する'について」
  2. 5/18 [16:00-18:00] 「ラカンとソシュール―'意味作用'について」
  3. 5/25 [16:00-18:00] 「ラカンに依るエディプス・コンプレックス」
合田正人(3講義):
「ディアスポラ・システム論に向けて」
「日本的なもの」とは何かについてはこれまでも多くの主張がなされてきたが、「何」に対応する「モノ」として「日本的なもの」を想定する限り、この試みはつねに挫折を強いられるのではないだろうか。むしろそのような「モノ」の炸裂をこそ思考する必要があるのではないだろうか。この炸裂こそ講師が「ディアスポラ・システム」と呼ぶもので、それは「多島海」(アルシペラグス)と言い換えてもいいのだが、今回は三つの次元でこのような炸裂の痕跡を辿ってみたい。
  1. 5/21 [14:00-16:00] 「スキゾフレニーと二人の精神科医―木村敏と中井久夫」
  2. 5/23 [14:00-16:00] 「伊波普猷の「沖縄学」と明治期の人文学」
  3. 5/24 [14:00-16:00] 「アンヌ・チェンの『中国思想史』をどう読むか―文学と形象」
村上靖彦(3講義):
「質的研究における現象学」
看護研究における質的研究において現象学的方法の応用が盛んになってきている。本講義では、講師自身が行った看護師へのインタビューデータを分析する作業を行いたい。具体的な経験の語りの分析の興味の一端は、哲学史上で扱われなかった事象を、哲学史の延長で発見することにある。例えば緩和ケアに従事する看護師の語りは、死についての概念をもう一度練り上げ直すことを私たちに要請することになるのである。
  1. 6/07 [14:00-16:00] 「がん緩和の看護師Cさんの語りから。がん患者の主体化について」
  2. 6/08 [14:00-16:00] 「がん緩和の看護師Cさんの語りから。生の終わりの時間性」
  3. 6/14 [14:00-16:00] 「助産師Bさんの語りから。ある外傷的な経験の分析」
試験日:6/26[10:00-14:00]