Hosei Erasmus Mundus Program Euro Pholosophy

Hosei Erasmus Mundus Program, Euro Pholosophy - Over the two academic years 2008-9 and 2009-10 at Hosei University, classes for the first semester of "Euro Philosophy", an EU Erasmus Mundus Master Program, have taken the form of one-month intensive lecture series. This is the first instance in Japan of administering such a large-scale intensive lecture series within the Erasmus Mundus Master Program.

Report

反省会 (2015)

6月26日に2015年度ユーロフィロソフィ法政プログラムの反省会が、法政大学ボアソナードタワー701教室で行われました。

それに先立ち、同タワー25階のスタッフクラブで昼食会が行われました。プログラムに参加学生と日本人学生アシスタントが全員揃う最後の食事会であったため、皆との別れを惜しみつつ、今後はどういった予定を過ごしていくのかなど、楽しい談笑の時間となりました。

食事会にて

反省会では、本プログラムの日本側責任者である法政大学安孫子信先生の司会の下、今年度の授業の面と日本での生活面について細かく意見交換を行いました。法政プログラムに参加した学生からは、全体として興味深い講義内容で満足したと共に、より日本の哲学や思想についても学べぶことができればという感想が出されました。生活面では、それぞれ充実した日本での日々を過ごせたようです。他のことも含めて、相互に確認できたことを来年度へと活かしていければと思いました。

反省会の様子
集合写真

今年度も本プログラムは無事に終えることができました。実際に肌で感じる身近な生活を共有しつつ、一緒に西洋哲学を学ぶことで、国境を越えた本当の文化交流が果たされたように思います。国内外から駆けつけて講義をして下さった先生方のご協力に、改めて感謝を申し上げます。どうぞ来年度も宜しくお願い致します。

キアラ・メンゴッツィ先生の授業 (2015)

チェコのフラデツ・クラロベ大学キアラ・メンゴッツィ先生の6回の講義が行われました。講義のテーマは「哲学と文学との間の認知の戦い―ポスト・コロニアルのシナリオ」です。

メンゴッツィ先生の授業は、ヘーゲル『精神現象学』の中の「主人と奴隷の弁証法」という有名な箇所の説明から始まりました。これは、人間が自由で自立的な存在であるためには他者からの承認が必要であり、人々の間では相互承認を求める闘争が生じるが、当初は従属的存在である奴隷は、労働を通して主人を己に依存させ最後は自立するに至る、と主張するものです。この「主人と奴隷の弁証法」は、ポスト・コロニアル文学の解釈に多様に関わります。

以上の説明を受けて、第二回からは学生の発表を中心に授業が進みました。まず取り上げられたのはフランツ・ファノン(1925-1961)です。ヘーゲルの自己意識の問題は、ファノンの『黒い皮膚・白い仮面』(1952)においても色濃く現れます。しかし、黒い皮膚を持っているという意識が他者との関係にもたらす歪みを、「主人と奴隷の弁証法」は解き明かすのかについては、ファノンのこの作品は懐疑的な姿勢をとっている、と指摘されました。

次にはジャン=ポール・サルトル(1905-1980)の『存在と無』(1943)と『黒いオルフェ』(1948)が取り上げられました。そこから出発して広く、プロレタリア文学や、続くポスト・コロニアル文学について、議論がなされました。「主人と奴隷の弁証法」を軸にして、特に言語の問題が取り上げられました。サルトルの『黒いオルフェ』が序文となっている『ニグロ・マダガスカル新詞華集』(サンゴール編)は黒人的エクリチュールを確立したとされますが、フランス語で書かれています。マイノリティ言語側が、あえて植民側の言語を使いつつ、"ステレオタイプ"で知的な文学活動をするという行為は後に、ヌルディン・ファラー やチヌア・アチェベ、さらにカズオ・イシグロなどにも引き継がれていきました。

講義の後半ではエンニオ・フライアーノやミシェル・トゥルニエなど、ポスト・コロニアル作家の文学作品がまさに取り上げられました。トゥルニエで取り上げられたのは、無人島を舞台に話が繰り広げる『フライデーあるいは太平洋の冥界』です。ロビンソンとフライデーという「文明」と「野蛮」を体現させた正反対の二人の登場人物は、特異な主従関係を通して、他者認識と自己認識にまつわるヘーゲルの「主人と奴隷の弁証法」の諸問題のパロディ化を見事に遂行しているのです。

メンゴッツィ先生の授業では、哲学の問いを、文学作品の更なる解釈の手引きとして用いるということだけでなく、文学作品を通して、哲学を疑い、哲学を更に深く考え直すことが行われました。文学の持つ独特の語り方や、言語の使い方などは、哲学を掘り下げて、哲学に新たな展開をさえ与えうるものなのです。こうして受講者たちは、現代文学の、哲学的でポエティック、かつポリティックな生命力に触れる、とても刺激的な六日間を過ごすこととなりました。

授業風景

発表する学生たち

合田正人先生の授業 (2015)

明治大学の合田正人先生による三回の講義が行われました。講義のテーマは「さまよう楕円―デリダ/ドゥルーズの戦争(ポレモス)」です。

授業の一コマ

講義は、合田先生が四国の出身であるということもあり、まず日本列島の話から始まりました。日本は6000以上の島で成り立ち、それぞれの島や沖には住人や漁師がいます。「領土」「領域」について考えた時、その境界とはどこに存在するのか、何をもってここまでは日本、ここからは韓国、中国、ロシアとなっていくのだろう、と話は進みます。

そしてたどり着くのは、講義のテーマでもあるジャック・デリダ(1930-2004)とジル・ドゥルーズ(1925-1995)であり、二人の哲学者の間をさまよう楕円、すなわち、ふたりの意見の境界はどこにあるかという問いでした。実際にドゥールーズとデリダは同時代に活躍した哲学者であり、両者の思想は背反しつつも、共通点を持ちます。合田先生はその点に着目し、早くから二人の対比研究を手がけてこられました。

二人の同時代の哲学者が、まだ考えられたことのないことを、独自の方法で、思索し、それが公海上で島となっていく。それは二人のどちらに属するものなのか。これはまさに海上のその島が、日本であったり、中国や韓国、ロシアのものであったりすることと似ています。ドゥルーズは、ジャン・イポリットに従ってヘーゲルを読み、ヘーゲルのとくに言語理論が言う表現に境界を見ました。デリダは、カントが感性と悟性の共通の根とした想像力と記号に境界を見ました。境界ということ、つまりは境界線をひくということ、このことは、ドゥールズとデリダの二人に共通することだったのです。

授業の最終回で、ヨーロッパ学生の要望に答えて、合田先生はもともとの予定内容を変更し、田辺元(1885-1962)、鶴見俊輔(1922-)、竹内好(1910-1977)ら日本人哲学者の思想のイントロダクションをして下さいました。これまで日本哲学について学んだことがないヨーロッパ学生にとって、この講義は大変に新鮮かつ貴重な機会となりました。

授業風景

藤田尚志先生の授業 (2015)

九州産業大学の藤田尚志先生による三回の講義が行われました。講義のタイトルは「リクールとベルクソンの影」です。ポール・リクール(1913-2005)とアンリ・ベルクソン(1859-1941)の二人の哲学者をめぐって講義は行われました。

授業中の対話

一人の思想家には常に、その影が存在します。影は敵ではなく対面することは出来ませんが、幽霊のようについてまわります。影を変形し隠そうとしても、やはりそれとわかります。リクールにとってその影とはベルクソンだったのではないか、その仮説から藤田先生の講義は始まりました。

リクールの哲学は主に三つの時代に分けることができます。そしてその三つの時代全てで、それぞれ違う仕方でとはいえ、ベルクソンの影を認めることが出来ます。講義は、リクールとその影ベルクソンが行う、時間についての、またメタファーについての、そして記憶についての、見えない対話を取り上げながら進んでいきました。

一回目の授業ではリクール1950年代から60年代の現象学時代を、ベルクソンの『意識に直接与えられたものについての試論』とリクールの『意志的なものと非意志的なもの』を取り上げ扱いました。二回目の授業ではリクール1970年代から80年代の解釈学時代を、ベルクソンの『思想と動くもの』とリクール『生きた隠喩』を読みながら、そして三回目の授業ではリクール1990年代から2000年代の記憶・時間の概念について、ベルクソンの『物質と記憶』とリクールの『記憶・歴史・忘却』を読み解きながら、考えていきました。

藤田先生は、リズミカルに、シンプルな言葉で明快に説明して下さるので、内容のむずかしさにもかかわらず、授業をとても楽しく感じました。このようにフランス語を自在に操ることができればと、強く思わされました。そして二回目の授業で、言語について話しているときに、"Tu es mon âme"(「あなたは私の魂」)という例を何度も出しながら、「普通の言語では私たちが言いたいことの全ては説明し切れない。だからこそ私たちはメタファーを用いる」という話をされていたのが印象に残っています。

藤田先生はヨーロッパからの学生に対してだけではなく、講義に参加している日本人学生に対しても、必ず感想や意見交換を求めました。そのお陰もあり、一人一人全員が積極的に参加する授業となり、とても貴重な経験となりました。

皆での昼食

ペーテル・センディ先生の授業 (2015)

パリ西ナンテール大学、ペーテル・センディ先生による講義が6月1日~3日にかけて、3回行われました。講義のテーマは「イマージュの裏側―iconomieへの提言」です。Iconomieとは、icon(=image) と economie を合わせた造語で、現代社会におけるイメージの氾濫がここではお金になぞらえられています。講義では、ジル・ドゥルーズやウォルター・ベンヤミン、マリ=ジョゼ・モンザンのテキスト、さらに、ローベル・ブレッソンやブリアン・ドゥ・パルマの映像が多数参照されつつ、議論が進められました。

「金銭は、映画が提示し表側で築くすべてのイメージの裏面にあたるのだから、金銭についての映画はどれほどの暗黙にであっても、すでに映画中映画、ないし映画についての映画である」(*)というジル・ドゥルーズが『シネマ2』で語った一文を考えるところから授業は始まり、この一文を考え続けることで授業は展開されていきました。1枚の紙の表に映画という面があるとすれば、裏には金銭という面があります(映画にはお金がかかります)。金銭についての映画がそうであるように、それを折り曲げて映画の面が内側で金銭の面が外側になるようにするとき、「イメージの裏側を見る」ということが可能になります。

いろいろな映像を資料として見せていただきました。中でも印象に残った二場面を紹介します。一つ目は"Les Sopranos"(HBO)のワンシーンです。親子がキッチンにいて、亡き父の復讐を果たした息子(トニー)は手に紙幣を持ち冷蔵庫の前に立ち、母親は椅子に座って亡き夫の遺影を見ています。冷蔵庫の扉に磁石で貼られているたくさんのテキストとイメージの一つ"One Day At A Time"のTimeだけが見えるように、息子は紙幣を重ねて貼りつけます。その場面は"Time is money"、つまり、息子の行為は'金銭=時間(借り)'であることを示しています。また、そのときに母親がテーブルに置いてある写真立てをひっくり返すのは、「イメージの裏側を見る」ことを示唆しています。イメージの裏側にあるのは時間なのです。

二つ目は"Pickpocket"(ブレッソン)のワンシーンです。舞台は、パリ、リヨン駅の発車間際の電車の中。スリ集団が車内で乗客にばれないように、華麗なテクニックを駆使して次々に金品を盗む場面です。この場面において、財布が盗まれスリ集団の中で回されることは、お金が回っていることを示します。金銭は流通してのみ価値を持ちます。映画のイメージもまた同じです。さらに、時計がすられたことは、ここで盗まれているのが実は時間であったことを意味します。このように、金銭を扱う映画では、可視的で不透明な金銭のイメージの裏側で、時間という不可視的で透明なものこそが示されていくのです。

三日間の講義ではこうして、ドゥルーズの唱える難解な「時間イメージ」が見事に展開されていきました。

(*)『シネマ2*時間イメージ』 ジル・ドゥルーズ著 宇野邦一他訳、法政大学出版局、2006。

授業風景

オンジェイ・シュヴェツ先生の授業 (2015)

プラハ大学のオンジェイ・シュヴェツ先生による6回の講義が行われました。講義のテーマは「現象学の実用主義的転回」です。講義では、現象学の祖であるフッサール(1859-1938)から始め、それぞれ異なる観点からフッサール現象学を継承したハイデガー(1889-1976)、メルロ=ポンティー(1908-1961)、ヤン・パトチカ(1907-1977)を順に取り上げ、彼らに共通する、理論よりも実践を重視する立場の検討が行われました。

まず、フッサールは、事象の普遍的本質を認識することを目的として、意識を通して、世界を観念的に捉えようとしました。主観性を重視し、外的存在を超越とみなすフッサール現象学は、ただ、後期の思想において、自然を理論化しようとした近代科学と対決すべく、すべての客観的学問を判断中止(「エポケー」)して、学問以前に日常的実践において直観されている「生活世界」を取り戻すことを主張しました。

フッサールを批判的に継承したハイデガーもまた、主著『存在と時間』において、「世界内存在」というフッサールとは異なる枠組みで、理論に対する実践の優位を主張しました。ハイデガーは本書において、「認識」を「行為」に先立たせるのは、デカルト以降の近代的意識につながることとして、実践の意味を古代ギリシャにまで遡って語源的に捉え直し、近代形而上学との対決を試みました。ただシュヴェツ先生は、この実践的場(pragmata)を完全に前述定的(anté-prédicative)とするヒューバート・ドレイファスらの解釈には、留保を示されました。

他方、メルロ=ポンティーもまた、フッサールの思想を取り入れましたが、それは身体や世界を超越とみなし排除するフッサールではなく、知覚的な「生活世界」や身体経験を強調するフッサールです。また、「世界内存在」という用語から、メルロ=ポンティーにはハイデガーの影響も明確ですが、主著『知覚の現象学』のタイトルが示すように、彼の関心は、ハイデガーのような現象学的存在論にではなく、身体を通して現実世界にすでに投げ込まれているわれわれの生にあったと言えます。メルロ=ポンティーが、現象学を学説ではなく運動と捉えていたことも注目に値するでしょう。

最後に取り上げられたヤン・パトチカは、フッサールやハイデガーに学び彼らの影響を受けつつも、彼らを乗り越えようとしたチェコを代表する哲学者です。パトチカは、フッサール現象学に魅了されつつも、意識や自我の主観性に根差したその思想が、現実的な世界から距離を置き、身体的で実践的な活動を省みていない事実に疑問を抱きました。また、ハイデガーの存在論は、「世界内存在」としての人間を扱ってはいるものの、そこでの人間の独自性を十分には捉えていないと考えました。そうしてパトチカが展開した現象学は、人間が他者とともに投げ入れられている世界や社会における、運動としての現象学なのです。

以上の講義では、現象学が実践の観点を軸にして、現実の人間へとどう肉薄していったのかが、時間の流れに沿ってダイナミックに示されて、受講者たちは思想史の醍醐味を味わうことになりました。

オンジェイ・シュヴェツ先生
授業終了後、居酒屋にて

河野哲也先生の授業 (2015)

気づけばプログラム開始からはや二ヶ月、すでに梅雨入りの六月九日に、立教大学の河野哲也先生の三回の講義が行われました。「環境についての現象学的哲学」と題された本講義では、環境について幅広い検討が行われました。すなわち、まず諸概念の導入から始まり、和辻哲朗の「風土」概念の解説とそれに対する批判がなされ、それをふまえて、最後には環境哲学の役割が論じられました。

第一回の講義では、そもそも環境哲学・環境倫理とは何かの問い直しが、エマーソン、ソロー、熊沢蕃山、安藤晶益といった思想家の考えを通して、行われました。人間は、時には、環境に内包される一部と考えられます。また時には、特権的な地位に存在するものとも考えられます。倫理とは主体と他者との関係から生じるものですが、環境倫理においては人間と自然の関係が問われます。そこに人間中心主義や生物中心主義、あるいは環境中心主義などいくつかの立場が生じてきます。こうした立場は、「最も尊ぶべき存在とは何か」、「自然の価値とは何か」、「人間の地位はどこにあるのか」という基準となる三つの問にどう答えるかで区別されます。

昼休憩を挟んで行われた第二回で中心となったのは、「ウィルダネス」(wilderness)の概念です。「原生自然」とも訳されるこの概念が指すのは単なる自然ではなく、「それ自身の多様性によって十分な回復力を持つような環境」のことです。この「ウィルダネス」の概念との関連で取り上げられたのは小説家日野啓三です。多くの人は自然といえば田園的牧歌的自然を想像しますが、日野はそれについて「閉じこめられた狎れ合いの息苦しさを覚えてしまう」と批判します。我々が想像するような田園的牧歌的自然は、実は、人間によって管理された、人間的な価値によって支配された環境です。他方で日野は都市においてある種の自然を浮き彫りにします。都市とは人間的意味付けを失った多くの個が混じり合う多様体でありながら、一定の秩序を保ち続けています。日野においては都市は「ウィルダネス」への立ち返りなのです。

最後となる第三回では、和辻哲朗の「風土」概念が説明され、この立場からの環境倫理の問い直しが行われました。和辻における「風土」とは単なる土地や環境のことではなく、人間と自然が相互に関係することによって生じる環境です。そして、ここから明らかになるのは、自然・環境とは停滞した固定的なものではなく、それ自体が内包する多様性によって絶えず変化し続けるということです。そしてこの立場から、九州の諫早湾やオーストラリアのウルル(エアーズロック)での環境問題が考察されました。結論として河野先生が提案されたのは、多様性を尊重すべきということです。環境の健全な変化はそれが有する多様性によって可能となるのであり、多様性を無視した急激な変化は破壊をもたらします。それぞれの土地に根ざす生態と文化の多様性を拡大させること、これが環境・文化の漸進的な変化を可能にし、「風土」を守るのです。

ユーロフィロソフィでは、ヨーロッパからの学生と我々日本人学生とが交わり、相互に大きな変化を得てきたように感じます。現在でも様々な場所で文化の衝突は起きていますが、多様性を互いに認め尊重していくとき、衝突といったことではなく、互いの成長というプラスの成果が得られます。こうして今回の講義は、法政での今年度のユーロフィロソフィを締めくくるものとして大変意義深いものだったと思います。

授業風景
河野先生

キアラ・メンゴツィ先生の講演会 (2015)

さる5月25日、フラデツ・クラロベ大学のキアラ・メンゴツィ先生の講演会が、市ヶ谷キャンパスボアソナードタワー25階で行われました。講演のタイトルは、「文学研究におけるワールドリテラチャーという概念の有用性と難点」です。本講演会には、メンゴツィ先生の対話者として、一橋大学の中井亜佐子先生、法政大学の笠原賢介先生、さらに、通訳を兼ねて立教大学の澤田直先生が参加。司会は法政大学の安孫子信先生が務められました。

メンゴツィ先生の発表ではまず、1820年代ゲーテによって唱えられた「ワールドリテラチャー=世界文学」という概念の確認が行われました。ゲーテは当時、人類は普遍的な時代に向かっていて「世界文学」への道が開かれていること、ただそれは、各々の国に発し、諸国との交流が増していく中で実現するのであり、そのためには翻訳が重要であることを主張しました。彼によれば、各国の文化的特徴や差異こそが他国の注目を惹起し、それがひいては国境を越えた普遍的価値へ到達させることになります。こうした考えの現代性が言われたあと、ただゲーテの言う〈普遍性〉が今日ではもはや見出され得ないであろうこと、文学においても今日では〈市場〉とか〈覇権〉とかいった要素なしでは議論をなしえないことがメンゴツィ先生から指摘されました。

このような議論を受け、メンゴツィ先生は続いて、一点目に、本来「世界文学」とは何を意味するのか、という概念の定義に触れ、それは価値基準をともなったコーパスであり、その基準を含めて、「世界文学」を、西欧中心からアジア、アフリカ、南米にまで広げる必要を指摘されました。そして、それとの関連で、二点目に、文学の世界システムには中心が存在しそれが周辺へと広まり発展していったとする、パスカル・カサノヴァやフランコ・モレッティの考え方を批判し、そこにはむしろ多くの中心と多方向の運動を見るべきであると主張されました。さらに、こうした多様性に適うこととして、三点目には、「世界文学」研究においては、ディスタント・リーディング(速読)が偏重されてはならず、クロース・リーディング(精読)が変わらず重要であることが指摘されました。そのような読解の具体例として、メンゴツィ先生は、著名な二人の作家の二作品(ヌルディン・ファラー『地図』、カズオ・イシグロ『日の名残り』)を取り上げ、特殊な細部に潜む普遍的な要素を、まさに精読によって見事に指摘されました。

発表後に行われた対話では、マルクス主義における「世界文学」の問題、翻訳の不可能性の問題、19世紀の時代状況と今日のコンテクストとの差異の問題、翻訳をめぐる言語とヘゲモニーの問題など、活発な議論が繰り広げられました。優れた文学作品は、時代や国を越えて、どこまで普遍的価値をもたらしうるのか、という本講演のテーマは、まさに、ユーロ・フィロソフィーにおける「越境」の理念を彷彿とさせるものです。参加者がこの問題について、国境を越えて、対話しあう行為そのものが、グローバルな普遍的価値を秘めていると思われました。

発表するメンゴツィ先生
会場の様子
対話の様子

エリー・デューリング先生の授業 (2015)

5月18日から三日間にわたり、パリ西ナンテール大学のエリー・デューリング先生の講義が行われました。講義の題は「相対性の哲学的余波―哲学者たちはアインシュタインをどう論じたか」です。デューリング先生は今回、先日講義をされたレヴィ-ルブロン先生と事前に打ち合わせをされており、ルブロン先生が相対性理論の定立までを、デューリング先生が定立後の、とくに哲学者たちの反応を論じることで、相対性理論の哲学的意義をその定立前後から、広く掘り下げるものとなりました。

デューリング先生の講義は、相対性理論が哲学に持ち込んだ問題の吟味から始まりました。相対性理論は物理学のみならず多くの学問分野に影響を及ぼしましたが、哲学も例外ではありません。とくに哲学と物理学は世界の「理」を探求するという点で繋がりを持っています。物理学の新理論が哲学に多くの問題を課すことになったのは、自然なことです。そして、その問題は次の二つに区別されました。すなわち、(a)世界についての知識を根拠付けるアプリオリな認識の構造とはそもそも何か、というような、認識論的問題と、(b)自然哲学の中核を為す、時間と空間、同一性と変化、といった基礎的概念に関わる形而上学的問題です。三回にわたる講義では、(a)(b)のそれぞれがまず論じられ、それをふまえて、これらの問題の関連が探られました。

第一回の講義では相対性理論の哲学的受容に関する問題を上記のように整理した上で、(a)認識論的問題を取り上げ、カッシーラとライヘンバッハの考えを中心に検討しました。この二人の哲学者は、物理学の概念を伝統に従ってアプリオリとする代わりに、それは基準となる理論の恣意的な性質によって生産されるものにすぎないと考えました。例えば、メートルとはメートル原器によって定義されたものであり、メートルという概念がアプリオリに存在するわけではありません。こうした考え方は一見、幾何学化された時間と空間は本来の時間・空間には作用していないという見方で、アインシュタインがもたらした衝撃を和らげようとするデフレショニスト的解釈(たとえば、アランのそれ)に同意を示すようにも見えます。ただし、ライヘンバッハの意図はそれとは異なります。彼が明かそうとしたのは、世界の内で因果がどのように成り立つか、その客観的な(認識の枠組みから独立の)構造であり、これはむしろ形而上学的性質を持っていました。

それを踏まえて、第二回の講義で探られたのは(b)形而上学的問題です。アインシュタインの理論に合わせるために、哲学者たちが自然哲学の形而上学的・宇宙論的な背景をどのように定義し直したのか、が論じられました。ベルクソンとホワイトヘッドによれば、哲学に対する相対性理論の主な貢献は、時間と空間に関する一般的な前提を批判したことではなく、新たな地平を切り開いたことにあります。ホワイトヘッドは難解な哲学者として知られています。講義の後半では、時間―空間的要素を構成する"出来事"という概念を用いた彼の見方の解説が行われました。

最後となる第三回の講義では、ここまで別々に検討してきた認識論問題と形而上学問題との関係を探るため、相対性理論を"トイモデル"(理論の本質的な部分だけを抽象する理論)のレベルで問い直すことが行われました。このとき相対性理論を特徴づけるのは、主に次の二つの原理です。一つは相対性の原理で、これは世界には基準となるような絶対的で特別な地点や時間は存在しないことを主張します。もう一つは光速度よりも速く空間を伝わるものはないという原理で、これが示すのは、距離を隔てた物の間に同時性は存在しないということです。この二つの原理を総合したとき、空間と時間を媒介する物理的相互作用には非直観的性質があることが明らかになります。すなわち、バシュラールの言い方を借りれば、実在と言及、対象性とパースペクティヴの間には絶え間ない"干渉"が起きているのです。認識は対象と独自に成立するわけではなく、逆も然りです。こうして、相対性理論の哲学的受容に関して、認識論と形而上学とがそれぞれに抱えているように思われた問題は、実際には本質的な繋がりを持っていることが明らかにされ、講義の幕は閉じられました。

講義風景
エリー・デューリング先生

クレリア・ゼルニック先生の授業 (2015)

少し遅くなりましたが、今回は5月7日、8日に3回にわたって行われたクレリア・ゼルニック先生による授業風景をお伝えいたします。タイトルは「映画の現象学―メルロ-ポンティから日本映画へ」です。

第一回はメルロ-ポンティ『意味と無意味』(1948)の中から「映画と新しい心理学」という論文を主に見ていきました。ここで注目すべき点は、現象学ではなく「新しい心理学」(ゲシュタルト心理学)が言われている点です。一般にメルロ-ポンティの現象学は、あるものを認識する時、主観と客観とは独立にではなく影響し合い両義的に働くと考えます。同じように、あるものを知覚する時、一つの感覚に集中して、たとえば耳だけで感じているようであっても、実際には他の感覚も働いて多方向から感じとっていると主張します。しかし、映画の場合、事情は少し異なります。フレームによって知覚が遮られており、日常での知覚よりも、主観と客観の間そして複数の感覚の間で、相互に交差するブレ(キアスム)がありません。このことから、映画においては日常の知覚の場合とは異なり、現象学だけでなくて「新しい心理学」による説明も必要になるのです。

ゼルニック先生

第二回は、小津安二郎の『東京物語』を見ていきました。小津安二郎は「小津調」と言われる方法論、つまり、被写体の目線に立った低い位置からのカメラワークと完璧に配置された構図によって優れた作品を生み出し、映画界に多大な影響を及ぼしました。紹介されたシーンではそこで用いられているシンメトリーや遠近法が取り出され、このような構図が実際に知覚にどういった影響を与えているかを見ていきました。例題として、視点を変えると二通り見える絵(錯視)が紹介され、皆で、何が描かれているのか当てっこをしました。小津映画の解釈には心理学的方法が有効です。

錯視

第三回は小津安二郎の後に活躍した人々について見ていきました。特に黒沢明の映画が取り上げられ、黒沢映画のどの点が「小津調」とは異なるのかを見ていきました。『羅生門』では、冒頭の殺人事件を目撃するシーンで、殺された人の手に向かってカメラを置きつつ、目撃者の、心臓が飛び出しそうになっている表情が映し出されています。他にも、『七人の侍』、『野良犬』、『夢』などが取り上げられました。小津作品の場合は一枚の写真の様に見事な構成が維持され、観客は静かに物語を見ることに集中しますが、黒沢作品ではインパクトのある描写を始めに持ってくることで観客を物語の中に引きずり込みます。主観と客観の枠はこわされます。こうして、ここでは現象学方法がより有効となります。ただ、先生も授業中に仰っていたように「黒沢明の映画にはいつも三船敏郎が出ている」というのは、小津安二郎にとっての原節子と同じで、特定のキャストの使用であって、ここでは黒澤も「小津調」を踏襲しているのだと感じました。

映画を見る

恥ずかしながら、私はこの授業で初めて『東京物語』を見ることができました。最後の場面では、家族が去った室内、静かな時間の中に垣間見える主人公の人生への思いや、コントラストで映し出される日の明るさに、切なさのツボを突かれてしまい、授業中映画を見ながら涙を堪えるのに必死でした。これを機会に様々な作品に触れていきたいと思いました。

お茶会 (2015)

今回も番外編として、授業外の企画の模様をお届けします。

五月二十日、大学の公認サークルである法政大学茶道研究会の協力により、エラスムスの学生のためのお茶会が催されました。参加者はエラスムスの学生四人と、彼らと関わりのある学生たちです。

お茶の道具

茶室は日本人には落ち着く空間なのに、彼らにとってはエキゾチックなものに見えるようで、障子が閉まるや、「知らないところに閉じこめられちゃった」という冗談もこぼれました。

茶会が始まると、まずお菓子が出されます。今回用意されたのは、水の中を泳ぐ金魚を描いたもの。夏の気配が近づくこの時期に似合う、涼しげなお菓子でした。和菓子は味を楽しむのはもちろん、目でみて楽しむものです。エラスムスの学生たちからは、「こんな綺麗なお菓子は見たことがない」との声も上がりました。

まずお菓子から

いよいよお茶です。お茶をいただく際には、絵柄のある正面に口をつけないために茶碗を回します。動作こそぎこちないものの、彼らもこのマナーを実践していました。また、茶会では腕時計を外すのが決まりです。これは主人と客とが共に過ごす時間を尊び、現実の時間にとらわれないようにするためです。その説明を受けて、学生たちも納得していました。

涼し気な金魚模様のお菓子

彼らは今回は特別に、茶会の後で、茶筅を使って自分でお茶を点てる体験も行いました。きめの細かい泡を立てるのはなかなか難しく、手本を示す部員の仕草には感心しきりでした。こうして自分で何とか点てたお茶を味わって、茶会はお開きとなりました。

自分で点てたお茶を飲む

この茶会で飾られていた掛け軸には「一期一会」と書かれていましたが、この言葉は、「巡り合わせは一度切りのものであり、だからこそ、いまこの時を大事にすべきである」と説くものです。日本の茶道に初めて触れたエラスムスの学生たちにとって、今回の茶会はまさにそのような意味を持つものだったのではないでしょうか。
 
集合写真

エラスムスの学生と日本人学生の交流 (2015)

私たち日本人アシスタントは、エラスムス・ムンドゥスプログラムの学生たちの3か月の滞在を、出来る限り充実したものにしたいと日々思っています。

そんなこともあり、授業後に定食屋さん、居酒屋、ゲームセンターに行くなど、日本ならではの体験をみんなで企画しています。

4月 はじめてのプリクラ
4月 授業後の渋谷センター街

特に私たちの間で日課になっているのは週末の遠足です。四月に到着してから今日までで、高尾山、鎌倉、柴又、国技館、清澄公園と、代々木公園など様々な場所にみんなで訪れています。

4月 代々木公園でご飯を持ち寄ってピクニック
5月 両国の国技館

前学期のトゥールーズでも頻繁にハイキングをしていたらしく、体力がある彼らは、どの遠足時も電車やバスは使いません。とにかく歩きます。

ゴールデンウィーク中に訪れた鎌倉では、北鎌倉から出発し、浄智寺、建長寺、円覚寺、鶴岡八幡宮を見学し、由比ヶ浜では海につかり、それから長谷寺、鎌倉大仏殿を見学、最後は大仏切通という5キロのハイキングコースを体験しました。

鎌倉大仏殿

運動不足の私は、それだけで本当に疲れてしまいましたが、エラスムス組はまだまだ元気があり、みんなの体力を見習い更に横浜まで行き乾杯しました!

由比ヶ浜で組体操を始める3人
ハイキング後、北鎌倉駅にて

これから予定しているイベントは、歌舞伎鑑賞、茶道体験、カラオケ、監獄居酒屋などです。いよいよ日本滞在も後半となりましたが、更に充実した滞在となるよう私たちアシスタントも頑張ります。

原和之先生の授業 (2015)

東京大学の原和之先生の三回の講義が行われました。今回の講義のタイトルは、「ラカンにおける「欲望」概念の練り上げ:〈他者〉とその存在の問題」でした。

第一回の講義では、ラカン(1901-1981)の博士学位論文(1932)の中に見出される「欲望の欲望」という概念と「欲望の公準」 という構想について、コジェーブ(1902-1968)のテクスト『ヘーゲル読解入門』(1947)を参照しながら、説明がありました。

第二回の講義では、上記の時期のラカンの議論において、他者の欲望を知るという問題が、他者が言おうとすることの意味を知るという問題と重なっており、その延長に、ソシュール(1857-1913)を創始者とする一般言語学へのラカンの参照があったことについて指摘がありました。また、その結果練り上げられた、「シニフィアン連鎖」の概念と「グラフ」についても概観しました。

第三回の講義では、フロイト(1856-1939)における「エディプス・コンプレックス」の概念と、ラカンがそれを作り直すために行った作業について、主に説明がありました。

これらの講義で、筆者が最も考えさせられたのは、欲望と他者の関係でした。なぜ人は望むのでしょうか。ラカンによれば、それは、何かを欠いているからです。人は本質的に満たされない存在なのです。逆に言えば、望まないことは、欠如のない「全能さ(=ファルス)」を意味します。しかし、人は全能ではなく、「望む主体」として、生きなければなりません。一見、一人の主体が、何かを望みながら生きていくことは、個人的な出来事のように思えます。けれども、ラカンによると、ある主体の望みは、他者の望みです。いわば、他者の存在なしに、何かが望まれるということはありません。それは、人が言語によってものを考え、表現する時に、同じ言語によって考え、その表現を理解できる他者の存在が想定されていることに似ています。なぜなら、じっさい、人が望んでいることは、言語によって表され、他の人にも伝達されるからです。つまり、ある個人の望みは、他者との関係において生じ、共有されると言えるでしょう。とはいえ、そもそも人は、いつどのように、他者との関係で、望む方法を身につけるのでしょうか。その答えを探る上でとても興味深いのは、幼児における「前エディプス期」をめぐるラカンの議論です。生まれたばかりの子は、自分の面倒を見てくれる「母」の存在を必要とします。子が声を出して呼びかけると、「母」は応じて、空腹や排泄など子の身体的な「欲求」を満たしてくれます。いわば、「母」はそれを望んでくれます。そうして、子は、「母」が望むことを望み、いつも「母」が自分のそばにいてくれることを期待しますが、「欲求」が満たされると、「母」はいなくなってしまうことに、子は気づくようになります。そこで、子は、「母」が留まってくれるための口実として、「欲求」を表すようになります。こうして「要求」を覚えた子は、絶えず何か「欲求」を示すことで、「母」を呼ばなければならない、欠如のある主体となります。この主体が抱いているのは、単純に身体的な「欲求」というよりも、むしろ、それを通じた「愛の要求」です。しかし、やがて子は、「母」が本当に望んでいるのは、「父」に喩えられる「想像的ファルス」であることに気づき始めます。そして、「母」が何かを望むことをやめ、自分の元からいなくなってしまわないために、子の「要求」は「父」にも向けられるようになります。いわば、「母」が望んでいることを「父」に望ませるために、子は「父」に「要求」を試みるのです。こうして、いつまでも完全に満たされることなく、望み続けることを強いられるようになった主体は、無限の「要求」そのものからの解放である「欲望」を抱くようになるのです。以上の議論では、両親という他者との関係において、子の望む仕方が、いかに変容していくのかについて、巧みに描写されていますが、幼児期のこうした過程を経ることで、人の望みとその表現方法は、成長すると共に、多種多様に変化していく理由が、明らかにされていると言えるでしょう。

原和之先生
教室の様子

ドイツ語の授業 (2015)

今学期、法政大学で過ごすエラスムスの学生たちのほとんどは来学期はドイツで研究を続けます。

「来学期に備え、日本でも是非ドイツ語に触れる機会がほしい」という彼らの意見を受け、先日23日私たちは法政大学国際文化学部の授業、ドイツ語アプリケーションに参加しました。短期留学から帰国した日本人の受講生に混ざり、山根恵子教授の元、ドイツ語でのディスカッションを行いました。ドイツ社会に関するテキストを読み、各国の社会の違いとして移民の話が出ました。ドイツ、日本、フランス、ベルギー、ポーランドとそれぞれ各国の問題を話し合いました。ディスカッションは1時間にわたり、平均寿命の話、食文化の話へと続きます。

映画も専門とする山根先生、授業後半では瓜二つの少女が偶然出会うというイングマール・ベルイマンの『ペルソナ』ならぬ、ヨゼフ・フィルスマイアー監督の『ふたりのロッテ』を観賞し、1人ずつ意見、感想を交わしました。

エラスムスの学生たちは久々にドイツ語に触れ、最初は思うように話せない場面もありましたが、慣れてくるとスラスラ湧き出るドイツ語で熱心に議論に参加していました。

スイス、ザンクトガレンから帰国したばかりの国際文化学部生にとっても、授業前と授業中で何ヶ国語も操る彼らの姿が刺激になったことでしょう。

授業後は、宿題として出された「映画のレジュメ」にそれぞれ取り組んでいました。フランス語もドイツ語もスラスラと操る彼らが頼もしい限りです。

ジャン-マルク・レヴィ-ルブロン先生の授業 (2015)

ゴールデンウィークも過ぎ、本年のユーロフィロソフィのプログラムも中盤に入りました。5月11日からは三日間にわたり、ニース大学名誉教授で物理学者のジャン-マルク・レヴィ-ルブロン先生による講義が行われました。「科学認識論」と題された講義は、そのタイトルに相応しく物理学の基礎的概念や方法を哲学的な視点から再確認しつつ、最後には科学哲学の初歩から一歩踏み込み相対性理論について論じるものとなりました。

第一回目は、導入として近代物理学の哲学への「否定的」(メルロ-ポンティ)な影響が語られました。近代物理学はその始まりから新たな現象の数多くの発見を行いましたが、これは同時に、地動説がそうであるように、世界についてのそれまでの哲学による説明を否定するものでした。ところが、19世紀の終わりからは、近代物理学はさらに広汎に、人間の思考の一般的カテゴリーをも揺るがすものとなっていったのです。すなわち、そこでは時間や空間、物質の実在性などについて、哲学的な根本的視点の再検討が行われていきました。

翌日の第二回目の講義は、まずガリレオの有名な言葉の引用から始まりました。ガリレオは『偽金鑑識官』(1623)で世界を一つの本に喩え、この本は数学の言語によって記されているため、それを読み解くためにはそれを理解し知らなければならないと述べています。ではその数学の言語とはどのようなものなのか。物理学と言語との関係の問題が第二回目の授業の中心でした。物理学の古典期、そして19世紀においては、物理学の表記の案出はきわめて真剣な営為であったのが、20世紀以降、それが安易に行われるようになり('ビッグバン'といった命名がその例とされていました)、そのことが研究姿勢そのものにも影響を及ぼしていると指摘されました。

最終日となる第三回目の講義は、時間-空間を幾何学的に扱う取り組みとして、相対性理論が論じられました。まず四次元を越えるN次元空間の理論化がどのようになされてきたのかが、ユークリッド幾何学や球面幾何学を用いた試みを挙げて説明されました。そうした積み重ねの上に、アインシュタインは光の速さを時間の尺度として採用することで相対性理論を作り上げたこと、また相対性理論に対する批判としてあったベルクソンの時間論や双子のパラドクスについての解説も行われました。そして、講義の結びとして、時間-空間を幾何学的に扱うこの理論は、その意味で「相対性理論」ではなく「クロノジオメトリーchronogéométrie」と呼ばれるべきものであることが示されました。

授業風景
レヴィ-ルブロン先生

村上靖彦先生の授業 (2015)

4月16日には終日、午前と午後で3回に分けて、大阪大学の村上靖彦先生による講義が行われました。内容は『日本における統合失調症患者のホームケアの現象学』です。講義では、フッサール現象学からの考察を基に、統合失調症の、とくに治療に関わる人々を見ていきました。

第1回は「日本における精神科の歴史」と題して、第二次世界大戦後の日本で行われていた精神疾患患者に対する治療のあり方を歴史的に見ていきました。当時、特に暴れてしまう可能性のある精神病患者は外の世界から隔離した状態で治療が進められていました。しかし、それは患者の自由を束縛してしまうもので、時には暴力沙汰になることもあり、遂には死亡事故をまで生じさせました。そこにはたいへん暗い歴史があったわけです。この事故がきっかけとなり、現在では(1987年以来)、暴力を禁止し、精神病患者の人権を守る法律が制定されています。

第2回はフッサールの現象学を基にした考察から、現代行われているACT (Assertive Community Treatment) について学んでいきました。ACTは1970年にアメリカで生まれた治療法で、これまでの患者の自由を束縛してしまう治療とは違い、患者の状況をありのままに受け入れ、在宅のままで、治療と生活とをともに地域で包括的に支援するプログラムです。日本では2003年に導入されました。それまでの現象学的精神病理学との対比で、このACTの特徴が語られました。

第3回、今回最後の講義では、統合失調症患者の看護に携わっている看護師の方に、村上先生が実際に行ったインタビューを基に、授業が進められました。統合失調症の場合、症状が重ければ、患者はどんどん自分の中で独自のルールを築き上げていってしまいます。「そんな症状に向き合っていく時、場合によっては、〈妄想デート〉をしているように受けもった人のニーズに答えていくようにする」という介助者の話がとても印象的でした。こうして、介助者が、患者一人一人の状況に合わせてその人の不安と向き合っていく、という接し方は、精神科の治療にだけではなく、現象学そのものの刷新にもつながるもの、ということです。私としては、この方法は、日常生活の中でも生かせることなのではないかと考えました。

授業は淡々と進められ、皆、村上先生の講義に真剣に耳を傾けていました。一度に3コマ分、計6時間にも及ぶ講義を受け、受講者にはその日はとても内容の濃いものとなりました。後日、当日の受講者と夕食を食べに行った際に、この授業のことも話題に登りました。「やっぱり」「なんか・・」といったテキストに載っていた、インタビューでの日本語が、皆の口から思わず飛び出して来ました。

(なお今回の講義内容は、近刊の村上靖彦先生の論稿:「仙人と妄想デートする ― ACTによる重度の精神障害者への在宅支援と反転された精神病理学」,『現代思想』,43(12),2015年5月号 で確認していただけます)

授業風景

チエリー・オケ先生の授業 (2015)

2015年度のエラスムス・ムンドゥス・ユーロフィロソフィーの授業は、開会パーティの熱も冷めやらぬ翌4月7日、チエリー・オケ先生(リヨン第三大学教授)の「科学哲学」から、幕開けとなりました。

4日間計6回の講義の総タイトルは「科学とは何か。問題への取り組みと論争」です。科学とその歴史を通覧しつつ、科学と哲学のあいだに横たわる諸問題を浮かび上がらせる、大変中身の濃い授業が展開されました。

第1回の授業では、まず導入として、西洋の近代科学は果たして普遍的かという本講義の根本問題が、科学の東洋的あり方を示唆する谷崎潤一郎(1886-1965)の『陰影礼讃』(1933)の言葉を引きつつ、巧みに提起されました。その後、科学的説明とは何かということ、さらには、科学哲学の基本的な用語や科学哲学の歴史の紹介が行われました。

第2回では科学の歴史そのものが検討され、さまざまな科学革命の事例と、科学史の哲学にははずせないクーン(1922-96)とバシュラール(1884-1962)の立場が紹介されました。また、科学の客観性の4つの分類が、ダストンとギャリソンの昨今の研究(Lorraine Daston & Peter Galison, Objectivity, New York, Zone, 2007)に基づいて、新鮮な見取り図の形で提示されました。

特に印象深かったのは第3回の「フェミニストのエピステモロジー」です。この講義は、科学史における女性科学者の紹介だけではなく、科学的知識が内包しているジェンダーの問題にも鋭く迫るもので、過去の科学の客観性を根本的に揺るがすものであったと思います。特に、ダーウィン進化論における性差観、リンネ(1707-78)の『自然の体系』(1735)に著された哺乳類という分類項目、さらには解剖学における女性骨格図の「女らしさ」の例からの、18世紀後半以降の自然科学にはジェンダーが投影され、一定の女性像がすでに要請されていたという指摘は、瞠目に値するものでした。授業中、学生たちも多く発言し、この回は、現代社会における多様な性のあり方を広く考えるエキサイティングな機会ともなりました。

第4回では社会と科学技術のつながりが、そして第5回では科学と規範の関係が検討された後、最終第6回の授業では、疑似科学と科学との「線引き問題」を中心に、ファイヤアーベント(1924-94)らの相対主義が取り上げられました。この日は、本プログラムの日本側責任者である法政大学の安孫子信先生も参加されました。授業の最後で、安孫子先生から、オーギュスト・コント(1798-1857)の説く実証主義による相対主義の乗り越えが解説され、2人の先生を巻き込んでの活発な質疑応答が展開される中、4日間の講義も幕となりました。

この6講義で科学の「客観性」の歴史を学び直し痛感されたのは、「科学とは何であるか」という問いは、「科学は何をすべきか」という問いに直結しており、未来に向けて、科学哲学は、純粋学問の牙城としての科学ではなく、対自然、対社会、対人間に開かれたものとしての科学を扱っていかなければならない、ということでした。そうでなければ、科学哲学は科学を本当に論じることにも、至らないでしょう。講義の期間中にオケ先生や学生たちとラーメン屋で昼をご一緒する機会も得ましたが、初めての「つけ麺」(麺とだし汁が分かれて出される料理で、麺にだしをつけていただく)を見て、「世界的にも科学と哲学の議論がいまだに離れている現状は、まるでつけ麺のようだ。しかし、最後には混ざりあう」と冗談を言いつつ、箸を口に運ばれたオケ先生が忘れられません。

講義開始!
図解するオケ先生
講義3日目の様子
和やかに笑いが起こることも

開幕《ユーロフィロソフィー》2015 (2015)

去る4月6日、2015年度 欧州連合・エラスムス・ムンドゥス修士課程《ユーロフィロソフィー》法政プログラムがスタートしました。

桜の花がほころぶ初春の陽気に恵まれたこの日、はじめに、法政大学市ヶ谷キャンパスにおいて、この度ヨーロッパから来日した4名の留学生を対象に、恒例のオリエンテーションと図書館ツアーが行われました。今年は、日本における留学生の生活を支え、ともに授業に参加する法政大学の学生が多く集まり、例年以上に活気にあふれた幕開けとなりました。

オリエンテーション
図書館にて

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反省会 (2014)

6月27日、法政大学大学院棟702において2014年度の「ユーロフィロソフィー」法政プログラムの反省会が行われました。

反省会では、本プログラムの日本側実施責任者である法政大学の安孫子信教授の司会の下、原和之先生ならびに日本ややってきたエラスムスの3名の学生と学生アシスタント等を交え、今年度の反省点を授業内容から留学生たちの生活面にまでわたって細かく確認し、来年度への糧としました。

ところで、反省会に先立ち、法政大学ボアソナードタワー25階にて最後の親睦会が開かれていました。そこでは、留学生と安孫子先生、学生アシスタント、そして随所で本プログラムをサポートしてくださっていた法政大学国際交流センターの方々全員で談笑を楽しみ、留学生たちとの別れを惜しみつつ、彼らを次のステージへ送ることとなりました。

日本で西洋哲学を学ぶということの意義、西洋の人々が日本で哲学を学ぶことの意義を再考するにあたり、本プログラムはどこまでその可能性を引き出せたのでしょうか。日本国内外から参加して下さった先生方による授業一つ一つに、その可能性を呼応して顕在化していったように思えます。日本と西洋の間の、哲学思想を介した越境、あるいは日本人が西洋哲学を学び、それをまた西洋の学生たちに送り返すということ。空間的に分け隔てられながらも、たとえ小さくとも、一人一人がこの歴史的、時間-空間的差異を意識しつつ、何か小さな手触りを今回のような交流の中に残していくことで、本プログラムはよりその意義と価値を増していくことができたのだと言えるでしょう。かくして、今年度も本プログラムは無事に、そして実り多く、終了することができました。皆様の協力に感謝すると共に、来年度もまたよろしくお願いしたく思います。

集合写真
懇親会の様子
反省会の様子

国際シンポジウム「受容と抵抗-西洋科学の生命観と日本」 (2014)

6月12日、法政大学市ヶ谷キャンパスのボアソナード・タワー25階イノベーション・マネジメント研究センターセミナー室にて、法政大学国際日本学研究所が主催した、国際シンポジウム「受容と抵抗-西洋科学の生命観と日本」が行われました。この催しはユーロフィロソフィ法政プログラムの枠外のものですが、司会を安孫子信先生が執り行い、発表を金森修先生、村上靖彦先生、チエリー・オケ先生が担当され、ユーロフィロソフィとも縁の深いものでした。事実、エラスムスで派遣されてきたヨーロッパ留学生たちも全員、終日参加し、質疑も活発に行っていました。当日は以下の九つの発表が行われました。

1.アラン・ロシェ(フランス、パリEHESS)「江戸の思想における生気論の二つの源泉」
2.ポール・デュムシェル先生(立命館大学)「ロボヴィー」
3.ドミニク・レステル先生(フランス、パリENS/東京大学)「私の友達 ロボット」
4.木島泰三先生(法政大学)「natural selectionの日本語訳と社会ダーウィニズムの残留」
5.金森修先生(東京大学)「現代日本社会の生政治学」
6.村上靖彦先生(大阪大学)「精神科病院における移行空間-或る日本の精神科病院を事例として」
7.米山優先生(名古屋大学)「西田における生命と技術」
8.檜垣立哉先生(大阪大学)「三木清の技術論」
9.チエリー・オケ先生(フランス、リヨン第3大学教授)「黒川紀章の共生の哲学」

以下では、講演内容を少しでもお伝えするために、僭越ながら各講演のまとめをごく簡単なかたちでさせていただきたいと思います。

ロシェ先生の講演では、その知識の豊富さとその豊富な知識量に負けない独自のバランス感覚を感じることが出来ました。生気論をめぐって西洋から中国へ、そして中国から日本へと場所を移しつつ、生気論のその妥当性の再考を江戸時代の浪人や町人たちの思想からすくいとり提示した素晴らしい講演でした。

デュムシェル先生の講演は、「ジェミノイド」と呼ばれるロボットとその「埋葬」という日本的な対応から、人類学者エドゥアルド・コーンのいう「不在の存在論」をたどり、「生きる」という言葉が指し示す状態と人間とロボットの差異・類似から、最後に「共同体」や「他者」という概念に触れていくもので、示唆に富むものでありました。

レステル先生の講演では、ロボットとわれわれの関係性として、ロボットは「反乱機械」であったり「友達機械」であったりする点が挙げられました。つまるところ人とロボットの間の関係性をどのように見るかという点が、この講演での論点でした。例えば「愛する」という動詞が多様な対象に向けて扱われるように、友情というものも人とロボットの間で成立することなのかどうか。レステル先生の講演は上述したデュムシェル先生の講演と通底しながらも独自の切れ味をもったものでした。

木島先生の講演では、ダーウィンの進化論におけるnatural selectionの日本語訳として「自然選択」と「自然淘汰」の二つが挙げられるが、ダーウィン自身の文脈により適ったものは後者であることに加え、日本においてはこの訳語が本来の語法とはかけ離れて使われていったことが指摘されました。そのような一種の誤った語法は「社会ダーウィニズム」と結びつくものであり、それは当時盛んに移入されていたネオダーウィニズムの影響によるものであることが主張されました。本講演は綿密な調査と考察に基づくものでした。

金森先生の講演は、スモンや放射能被害を事例として取り上げ、科学と政治の芳しくない「癒着」の問題を取り上げ、科学技術の従来的な「受容と抵抗」の日本的なあり方とその欠点を指摘しており、迫真の講演であったように思います。

村上先生は、「精神科病院」というヨーロッパにおける「監獄」が起源となった施設が、やはり日本でも戦前から暴力と拘束の歴史を持っていること、ただ今日、精神科看護師たちをはじめとして関係者たちが、こうした歴史との対決から病棟の空間的意味に注目し、「強制」と「享楽」の多層的空間を作り出しつつあること、を講演で示しました。

米山先生は、真理を社会的歴史的文脈から切り離そうとする西洋的姿勢に対決すべく、「行為的直観」を示して、日本的な科学観を打ち出した西田幾多郎(1870-1945)の、生命観ならびに技術観の紹介を行いました。そして、それに続いて檜垣先生は、行為的直観に基づく西田的な科学観を「形」という概念を用いて補いつつ、独自の視点から「構想力」を語った三木清(1897-1945)と、ベルクソン(1859-1941)やカント(1724-1804)、そしてハイデガー(1889-1976)とを対比させつつ、三木の「形の変容論」の独特の意義を論じました。

最後に、オケ先生の講演では、黒川紀章(1934-2007)という日本の建築家が取り上げられました。ル・コルビュジェ(1887-1965)の「機能主義」建築と黒川の「共生の哲学」が対比させられ、黒川の思想に根付く日本的な、東洋的なものが次々に指摘され、「共生」の意義が説かれていきました。しかし、そもそも黒川が意図していた単純な二項対立からの逃避というのも、彼が機能主義と共生を対立させた時点で矛盾を含んだものとなります。対立項を乗り越えるものは何か。講演の終盤ではメルロ=ポンティやドゥルーズとガタリが挙げられましたが、オケ先生は、この場合、真の対立は東洋的共生と西洋的機能主義の間にはなく、生物学と物理学の差異にあるのではないか、つまりこういって良ければ、動的科学と静的科学の間にあるのではないかと主張しました。

本シンポジウムの意義というものを考えるとき、やはりどうしても西洋と日本という二項図式に依存してしまうように思います。そうした点から考えると、やはりオケ先生の講演は大変重要な観点を含んだもののように思えます。<日本意識>とは何かと問われても、すぐに答えの出るものではありませんが、本シンポジウムはその困難の原因の一部を垣間見させるものであったと思います。

二人のシンポジウム責任者の挨拶(左:安孫子先生、右:オケ先生)
会場の様子(中央:ロシェ先生)
会場の様子(中央:デュムシェル先生)

合田正人先生の授業 (2014)

明治大学の合田正人先生による授業が行われました。今回の講義のタイトルは、「Un pragmatiste japonais, Syunsuke Tsurumi et pénombre de l'Asie」であり、主に取り上げられた人物は、鶴見俊輔(1922-)でした。鶴見は哲学者として、アメリカからプラグマティズムの思想を日本に紹介したことで知られています。今回の講義で解説された鶴見の著書は、『竹内好-ある方法の伝記-』(1995)でした。竹内好(1910-1977)は、鶴見とほぼ同世代の批評家であり、中国文学における魯迅(1881-1936)の研究者でもあります。鶴見と竹内の経歴上の共通点として、興味深いのは、二人とも、第二次世界大戦直前から国外で生活しており、他国で戦争に巻き込まれる中で、ナショナリズムといった国際問題について、深く考えるようになったことです。まず鶴見は、1938年に渡米して、ハーヴァード大学で哲学を専攻していましたが、3年後に日米開戦となり、捕虜収容所で生活した後、帰国しました。それから海軍に出願して、敗戦までインドネシアに赴任することになります。他方の竹内は、盧溝橋事件が起きた1937年に北京に留学して、魯迅の弟である作家の周作人(1885-1967)らと親交を結びますが、1943年に陸軍に召集され、中国大陸で敗戦を迎えました。このように、竹内と似た歩みを持つ鶴見は、上記の著作において、竹内が戦争といった特定の状況の外に身を置くのではなく、善悪の見通しのきかないような状況の内部に留まって文章を書いた点を評価しています。こうした竹内の執筆スタイルに影響を与え、同じように他国において国家間の問題について思索を深めた先人として、特筆すべきは魯迅です。彼は日露戦争が始まる1904年に、日本の東北大学で医学を専攻していたことで知られます。その間、ロシア軍のスパイであった中国人が日本人によって処刑され、同じ中国人がそれを見物するという光景を目にしながらも、日本で出会った恩師との想い出を綴った『藤野先生』という作品を後に書いています。魯迅のこの体験を基に、後世、日中の和平を密かに望むかのように、太宰治(1909-1948)が、『惜別』(1945)という小説を残しているのも印象深いです。筆者にとって本講義は、哲学や文学が生み出される状況について、あるいは、その状況を構成する国家間の問題について示唆的であっただけでなく、さらに、ユーロフィロソフィーの「越境」という理念につながるものが秘められていることを感じました。

合田正人先生

ジャン‐ジャック・ヴュナンビュジェ先生の講演会 (2014)

5月23日、法政大学九段校舎にてリヨン第三大学のジャン‐ジャック・ヴュナンビュルジェ先生による「ベルクソンとバシュラール―時間、リズム、イマージュ―」と題された講演会が行われました。

アインシュタインの相対性理論をはじめとする科学革命に影響を受けながらも、独自の哲学を展開させ人間の「生」の領域、「生」の持つ力に視線を向けたベルクソン(1859-1941)に自己の哲学の芽生えを見出し、自身の哲学を構築していったバシュラール(1884-1962)。本講演のタイトルが示す通り、二人の思想家の比較から両者の線引きへというように議論が展開されていきました。

まずは、両者に共通の主題の一つである「時間」とその解釈の差異の検討がなされました。ベルクソンの著書『意識に直接与えられたものについての試論』(1889)で展開された、「純粋持続」と彼が呼ぶものを基点として二人の哲学者の時間‐空間論が紹介されました。ベルクソンにとって、時間とは科学的ないし数学的知性によっては決して捉えることのできない連続する流れでした。他方、ベルクソンが上記のような理由から時間をメロディーと例えたのに対して、バシュラールはリズムという言葉を用いて時間を説明していきます。持続し流れていくものは、その根底において、意識がとらえる各々の瞬間という時間‐空間的な断絶を矛盾した否定的継起として内に抱えているという主張が、彼の時間論における大きな基盤となっています。諸瞬間を総合し構成していく、つまり瞬間を永遠へと導くというのが彼の時間‐空間論でした。ここで瞬間と永遠を結びつけるものこそ、リズムにほかならないのです。こうした両者の時間解釈における差異を、ヴュナンビュルジェ先生は、前者を「水平的」、後者を「垂直的」と形容しています。ここで重要なことはこうです。すなわち、こうした両者の時間‐空間論において、ある現象を説明するとき、ベルクソンはどうしようもなく生命の持つ持続の相と一種の即自的物質との対立という形をとらざるをえないこと、またバシュラールは認識主体が見出さざるをえないその現象に内在している矛盾しあうもの同士の対立という形でとらえているということ。この点が、次に展開される両思想家における創造に関わる「力」の問題へと関わってきます。

議論は、両者の時間論の検討の末に姿を現し始めた「力」の問題について議論を展開していきます。ここでは、先ほど取り上げた『意識に直接与えられたものについての試論』に加えて『創造的進化』(1907)におけるベルクソンの「創造」についての主張も合わせて見ていく必要があります。先ほど確認したように、ベルクソンは、生命の持つそれ自身の持続における予測不可能で自己の内に収まろうとしない創造の力、つまり異質的であろうとする力と空間的な物質のそれに対する抵抗力、つまり持続を同質性へと引き込もうとする力とのせめぎ合いによって創造のプロセスを語ります。ベルクソンによれば、前者の力と後者の抵抗力は、前者が異質的であろうとするのに対し後者が同質性を要求することで、自己の内的、質的な多様性が生まれるのです。つまり、ベルクソンにおいて質的多様性が語られる際には、常に相互に外在的な二項の対立が前提とされています。他方、バシュラールは、持続の根底には孤独な諸瞬間が、原初的な否定性が存在していなければならないと彼が言うように、対象それ自身の内的矛盾を弁証法的に止揚し、構成していくことで創造を語っています。想像力ないし詩的言語によって、非連続的なものをいかにして連続的なものへと変化させていくのか、そこが彼の認識論における重要な点でした。いわば持続という生の力と孤独な諸瞬間としての無という抵抗力との対立を止揚させることで、対象は実体的深さを得ることができるのです。つまりバシュラールにとって、創造的な力とその抵抗力は、構造的ないし合目的的にそれぞれの内に含まれているものなのです。

ここまでを振り返ってみると、議論の全体の争点は、抵抗力という創造における一つの契機であり自己に対する他性を両者はどのようにして受け入れたのか、そしてある現象ないしある主体の分化、変容はいかにしてなされるものなのか、という二つに収斂していったように思えます。講師のヴュナンビュルジェ先生は、相互浸透的な連続性にこだわりすぎたベルクソン的創造を説明する図式より、バシュラールのように原初的な否定性を重視したそれの方が入念に同一性と差異性の混淆を語りえたのではないかと総括し、質疑応答へと移りました。

創造性と生成変化、さらには時間‐空間論と主体の認識および存在の在り方にきわめて深く関わっている両思想家の対立と共通項への評価の難しい問題群への問いに一段落つけた今回の講演会は、参加者のこころに大きなテーゼとして残ることになるだろうと、筆者は感じました。

講演会の様子
左から、通訳を担当なさった藤田尚志先生、講師ジャン‐ジャック・ヴュナンビュルジェ先生、司会の安孫子信先生
通訳の藤田尚志先生と講師ジャン‐ジャック・ヴュナンビュルジェ先生

藤田尚志先生の授業 (2014)

九州産業大学の藤田尚志先生による三回の講義が行われました。今回の講義のタイトルは、「Localiser l'illocalisable. Une lecture de Matière et Mémoire de Bergson」であり、読解の中心となるテクストは、ベルクソン(1859-1941)が、哲学の普遍的テーマの一つである心身問題を扱った第二の主著『物質と記憶』(1896)でした。

本書でベルクソンは、心身二元論における、心(精神的なもの)の領域として「記憶」を、身体(物質的なもの)の領域として「脳」を取り上げています。記憶と脳の関係を考えた時、人がまず思い浮かべるのは、記憶は脳のどこにあるのかということでしょう。しかし、周知のように、本書においてベルクソンは、記憶は脳内に局在するという仮説を徹底的に批判しています。ベルクソンによる記憶とは、思い出を頭の中に整理する能力ではないからです。それゆえ、この主張に対して、物質的世界を擁護する立場から、ベルクソンは、しばしば批判されてきました。つまり、結局のところベルクソンは、記憶についての観念的な議論に終始しており、空間や場所といった実在の問題を十分に捉えていないというわけです。こうした思想史的背景をもとに行われた本講義で、印象深い論点は、カント(1724-1804)や、二十世紀フランスの主要な哲学者たちとの議論の比較を通して、『物質と記憶』の中に、場所の論理、あるいは場所学を見出そうとする点でした。確かに、ベルクソンは、記憶を空間のどこかに還元してしまう仮説を批判しているものの、記憶に「場所」を与えることを拒否しているわけではありません。じっさい、本書の一例として、「身を置く」といった場所にかかわる諸々の表現が、物質的なものについてだけでなく、記憶や諸観念など精神的なものについても使用されているのです。したがって、ベルクソンにとって空間と区別された意味での「場所」は、記憶と対立するものではありません。つまるところ、彼が記憶の実在を認めようとする仮説の批判を通して目指しているのは、逆説的にも、場所なきものに場所を与えることであり、その結果、『物質と記憶』は、場所について徹底して思考された書として読めるわけです。より正確に言えば、本書を解読するためには、身体や脳、さらには「知覚」を対象とする物質的な場所と、記憶や「持続」を対象とする精神的な場所を区別して考える必要があります。言い換えると、この観点は、客観的に与える場所と、主観的に与える場所の差異を問うことになるでしょう。ここで重要なのは、『物質と記憶』のねらいが、記憶は存在するか否かを問うことではなく、性質の異なる二つの場所を探ることにあるという主張なのです。このように本講義は、ベルクソンの難解なテクストを、読者の意表を突く観点から、わかりやすく論じることで、非常に興味深い内容となりました。

藤田尚志先生
授業の後で

チエリー・オケ先生の授業 (2014)

リヨン第三大学のチエリー・オケ先生の全四回の授業が行われ、今年度の授業はさまざまな側面から見た「科学哲学と歴史」をテーマに行われました。

第一回は「科学哲学一般」と題して、科学がいかにして構成されていくのかという点について科学における「仮説」に注目してさまざまな議論が紹介されました。ピエール・デュエム(1861-1916)の、後にクワイン(1908-2000)に拡張されることによって「デュエム-クワイン・テーゼ」と呼ばれるようになった彼の帰納主義への指摘から、カール・ポパー (1902-1994)の「反証可能性」やカール・ヘンペル(1905-1997)の「D-NモデルとI-Sモデル」が主要なテーゼとして挙げられていました。これらに一貫して言えることは、仮説とはそもそも何らかの恣意の下でしか考えられないものであり、つまり単独で作用する仮説そのものは存在しないということです。純粋かつ中性的な、いわば孤立した仮説は存在しないのです。デュエムの場合、それは「決定実験」の弱体化を促すものであり、既存の理論に対する反証可能性を持った新しく得られた観察事実は、何らかの理論に基づいていることを示しています。ポパーにおいては、「主要仮説」と「補助仮説」という区分によって上記の主張が支持されます。そしてヘンペルでは、「ヘンペルのカラス」が示すように、それは、科学的仮説の検証を演繹的に行うことの危険性、つまり仮説そのものから予想され演繹されうる他の仮説の帰納的検証の際の危険性の指摘として提示されました。

続く第二回は「歴史的認識論」と題され行われました。例えば生物学がダーウィン(1809-1882)によって「創造説」から「進化論」にシフトしたように、数学ではユークリッド幾何学が非-ユークリッド幾何学によって包括されていくように、対立する概念が同一の学問の中で包括と交代が行われており、いわばそこでは科学の歴史の転換点があることが説明されていきました。しかしまず、科学は歴史を持つのでしょうか。この質問の意図はこうです。科学が普遍的な真理を探究し、そして発見しうるものなのであれば、科学においてはその塗り替えは存在しないのです。昨日真理だったものが、今日真理でないことはありえないのです。科学に歴史を認めることは、科学の自己否定であると言えますし、科学における連続性と非連続性の問題と緊密に関わっています。そんな中、科学における非連続性に言及したトマス・クーン(1922-1996)が『科学革命の構造』で用いた「パラダイム論」は言うまでもなく科学内の断絶と包摂と示しています。従って、彼は単に相対主義を述べたわけでも科学のその意義を減退させたわけでもないのです。科学はその理論的な真理性の追究の中で逸脱と停滞を繰り返すのだと言えます。また、第二回ではクーンに先立ち科学における非連続性をその著書『否の哲学』(1940)で繰り広げたガストン・バシュラール(1884-1962)にも触れており、「認識論的切断」や「認識論的障害」など、彼が後世にもたらした科学史的意義の深い術語とその思想の説明も行われていました。

第三回では、「フェミニストの認識論」が扱われました。女性の身体は認識の対象でしかないのか、すなわち科学者がわれわれというとき、その「われわれ」は対象でなく主体としての女性も含意しているのかが大きな議論のポイントだったように思います。そこで、まず根本的な問題として「性差」についての二つの観点が取り上げられました。性の対象としてのみの女性という問題は、思いがけぬところで科学における客観性の問題につながっていきます。主体としての女性の排除とは、男性の欲求の対象としての、あるいはこう言って良ければ、男性の価値判断の対象としての女性も原理的に要求することになります。つまり、科学における客観性は、こうした「女性」を排除することによって情念や価値から身を守っているのです。性差とはそもそも社会的な区分でしかないのだとフェミニストたちは主張します。いかに生物学的な性を語ろうと、そこに、人間は社会生物学的な形でしか、それを語りえません。そのため、オケ先生は実はこうした視点に基づいていた客観性をイデオロギーと批判していました。

第四回は「科学社会学」と題され、科学に対する外在主義的なアプローチが扱われ、マルクス(1818-1883)的な意味でのイデオロギーとしての科学が問題になっていました。オケ先生は、ガリレオとニュートンがまず研究したのがなぜ弾道学なのかという問いを提示し、端的に戦争のためだと答えました。簡単に説明を加えるなら、戦争のためと言うのは、お金になるからということでしょう。研究には莫大な資金が必要になります。つまり、科学者たちの研究テーマの設定にも、そこから得られる知識にも、その資金調達の方法にも、科学ならざる者としての社会が、あるいはこう言ってよければ政治が介入しているのです。こうした、ある社会内において生成される科学に対して、いわば越境する科学として民族的-方法論が挙げられており、授業の最後では、日本における進化論の受容といったことまで触れられました。

チエリー・オケ先生
授業の様子

ヴァンサン・ジロー先生の授業 (2014)

京都大学のヴァンサン・ジロー先生による全三回の授業が行われました。中世思想と記号というテーマで、第一回ではアウグスティヌス(354~430)、第二回ではディオニュシオス・アレオパギタとエリウゲナ(810~877)、第三回ではニコラウス・クザーヌス(1401~1464)を中心にして、彼らにおいて記号が持っていた意味作用に着目し、彼らが存在ないし現象についてどう捉えていたのかを確認していきました。いわば、今回の授業でジロー先生は中世における存在の歴史に迫っていったと言えます。

創世記において、神が「光あれ」と言うと同時に光が存在するようになったと言われています。ここに、典型的な記号があります。神の言葉がすべての存在の原因だとアウグスティヌスに限らずキリスト教的世界観においては考えられますが、そうした場合、われわれが向き合うのはただこのわれわれに残された記号のみであって、実際の神の行い、ここでは創造の現場ではありません。この場合、われわれは痕跡をたどるしか、あらゆる存在について知る方法を持ちえないのです。こうした所与の記号の持つ意味作用と神による自己表明の密接な関係が第一回では注目されていました。

続く第二回では、『天上位階論』で知られるディオニュシオス・アレオパギタの思想と、彼の作品をラテン語に訳しその発展につとめたエリウゲナにおけるアウグスティヌス的な記号解釈を越え出る独自の存在論を見ていきました。そこで重要になるのが、アウグスティヌスとプロティノスにおける存在と非存在理解の違いでした。前者にとって、非存在はまさしく存在しないもの、神が創造しなかったものしか意味しませんが、後者にとっては、その不在も含めて神の発顕に関わるものだと考えていました。エリウゲナは、ディオニュシオス・アレオパギタにおけるプロティノス的思想をくみ取り、神の発現・流出と神への還帰を認めることによって、記号解釈による存在理解の射程を広げたと言えます。

第三回では、『知ある無知』で有名なニコラウス・クザーヌスの『要綱』における記号解釈が取り上げられました。第二回までで広げられた射程を、いわば収斂させていくような形で、彼における「対立物の一致」という原理を見ていきました。この一致は理性的記号解釈の下での、いわば記号の記号ないし記号から記号へという動きを想像において知ることであり、それは理性を越えた、理性から逸れたものであります。知のその先にあるのは人の理解を逸脱していく無知なのです。そのため、彼は、神は世界を超越しており、われわれは無知を知るとき神に触れることができると考えていました。ここに彼の神秘主義的傾向がはっきりと見られます。また、他方で彼は記号を自然の徴表と捉え、独自の数理主義的世界観をも提示しています。彼を偏った一面的規定に留まらず、こうした二つの側面から存在、知、記号に迫っていったと言えるでしょう。

全三回を通じてわれわれはいわば創造の記号を見ていきましたが、総括としては、アウグスティヌスにおいて見られた記号解釈における存在と非存在の間の断絶を埋める形でエリウゲナがその思想をディオニュシオス・アレオパギタの思想と共に発展させ、クザーヌスにおいて記号解釈の神秘主義的側面と数理的側面があらわれ、近代へと続いていく道ができたように思えます。中世という時代を記号というテーマで振り返ることで得られたものは哲学史的に見ても大きなものになりうるだろうと、筆者は感じました。

授業の様子
ヴァンサン・ジロー先生

金森修先生の授業 (2014)

東京大学の金森修先生による全二回の授業が行われました。第一回では「科学的合理性と東洋の実践哲学」と題し橋田邦彦(1882~1945)を取り上げ、続く二回目の授業では、「現代日本社会の生政治学」をテーマとしていました。

神経および筋肉に関する生理学の分野に大きな業績を残した橋田は、科学者でありながら禅の思想を科学者が持つべき倫理的態度と考えていました。具体的には、彼は、実験室は研究者たちの道場だと言っています。研究者たちが、西洋における概念的で中立的な知識に留まらず、坊主たちが寺で修行をして徳を積むように、よく生きるためという倫理的側面を持った知識を探求していく、そういう空間を彼は理想としていたように思われます。つまり、彼は研究の内容だけではなく、その「実践・修行」における態度として学問と人間双方への誠実さをも重要視していたのです。

「全機性」という概念は彼の後世へ残した学問的な影響という意味では非常に大きいものであるように思われますが、今回の授業では、より根源的な彼の思想のオリジナリティを探っていきました。例えば、彼は観察における方法論としての「行」も展開させてもいます。橋田は「物心一如」という東洋的なタームをより認識論的に「主客未分」と解し、西洋的な主客二分的な観察から逸脱していきました。前述したように、彼は必ずしも中立的で普遍的な知識を重視するひとではなかったようですが、それはものごとの本当の現れ方を知るためでした。つまり、対象を観察する堅固な主体としてではなく、「無心」に、流れのままにものごとのあり様を見る(「唯観」、あるいは「唯行」)こと、ものごとをより細かく見ていく、あるいは分割して観察してくのではないこうしたスタイルが彼の思想のオリジナリティにつながっているのです。これを橋田は「行としての科学」と呼んでいました。

大正から昭和にかけてその研究者としての業績、また教育者として業績を残した橋田は、戦時中は文部大臣としても活躍していました。そして戦後、彼はA級戦犯容疑者として追われ、自殺することになりました。文部大臣という政治的権力の中心部の役職にいた橋田の「全機性」という思想は個よりも全体を優先する全体主義を思わせる面を持っていますし、また彼の観察のスタイルも主体的なものの放棄であったため、全体性への奉仕と捉えられてしまいました。彼の生理学が一種のイデオロギーとして機能してしまったのです。

第二回では、スモン(亜急性脊髄視神経症)や東日本大震災時に発生した福島原子力発電所での事故以降の放射線被害について言及していきました。金森先生は、上記の二つの事例において、被害を受けた人々のために客観的知識を優先する、もしくは、社会的上部にいる人々の利益を損なわないために科学的客観的知識を歪曲するという二択が生まれ、そして後者が選択されてきた原因と背景を探り、その結果、国家の維持ないし全体の保持という目的が隠れていることを訴えていました。日本社会の暗い側面をわれわれに提示することで、大衆の裏で自らのために知識を堕落させている少数派の人間がいることを示さない限り、これからも客観性は棚に上げられ、人々は倫理観の欠けた科学者に騙されることになるのです。金森先生はこの根源的な社会構造にこそ「生政治学」が関与していると考えていました。

筆者は、第二回においても、第一回で橋田が示した客観的な知識を探求するすべての科学者に必要とされるべき倫理としての禅の思想が根底に流れていたように感じました。「行としての科学」は現在においても、少なくとも部分的には必要なものであるはずです。また、科学的客観性の歪曲化によって起きた事件においては、数的対比としては被害者が多数派であり、それに比べれば加害者はごく一部の少数派です。こうした現状を見ると、橋田の「全機性」という概念と彼における「禅」の思想の社会的科学的価値を精査するには、生政治学的なアプローチを経ない限りは達成しえないと言えます。

金森修先生
授業の様子

原和之先生の授業 (2014)

東京大学の原和之先生の4回にわたる講義が開講されました。今回の講義のタイトルは「'欲望'概念のラカンによる練り直しとエディプス・コンプレクスの改鋳」でした。(本講義の基礎となった原先生のご業績として以下の論文が挙げられます。Kazuyuki HARA, Amour et savoir ― Etudes lacaniennes, Collection UTCP, 2011.)

今回の講義で筆者が最も考えさせられたことは、ラカン(1901-1981)における欲望と言語の関係でした。これに関する講義内容を以下に紹介します。

人は絶えず何かを望んでいます。ラカンによると、人が望むのは何かが欠如しているからです。言い換えると、人は必要な何かを欠いているために、その何かは望まれるのです。精神分析の基礎をなす欲望という概念を考える時、まず思い浮かべるのは、その流動性だけでなく曖昧で漠然とした印象です。戦後の1950年代以降、ラカンが解決を企てたのは、捉えどころのないように思われる、ある種の狂気を秘めた欲望の概念を、言語によって規定することにより、何かを望んでいる他者について理解することでした。言い換えると、他者の欲望を知るという問題は、他者の言わんとすることを知るという、言葉の意味を知る問題と重ね合わされていったのです。ただこのことは逆に、言語という存在の輪郭そのものを規定しているのが欲望であることも意味します。

ここでいう言語とは、当時ラカンが参照した言語学を指します。その参照の中心に、一般言語学の創設者であるソシュール(1857-1913)が導入した「シニフィアン」の概念があることは周知の通りです。ただラカンが参照したのは、言語の形相や構造を解明しようとする時期を越えて、再び意味の問題に注目が集まっていた頃の一般言語学です。またヤコブソン(1896-1982)を参照したことからもわかるように、ラカンが言語ということで念頭に置いているのは、主にコミュニケーションの局面です。個々の会話においては、一つのシニフィアンから多様な意味が生じることと、何かを自由に望むこととは表裏をなしています。ラカンの言語観によれば、言葉で何かを言わんとするよりも、言葉が何かを言わんとするのです。いわば、言語が望むことにより、会話の意図は明確化されるということになります。

さらに、バンヴェニスト(1902-1976)のアイディアを下敷きにして練り上げられた、ラカンの「シニフィアン連鎖」の概念により、言語を(あるいは欲望を)階層的に構造化して、欲望の自由を規定することができます。その結果、他者の欲望を知るという課題において、会話の中で主体が口にするシニフィアンの連鎖に沿って、言葉に潜在する欲望もまた移動して方向づけられていることが理解されうるのです。

原和之先生

安孫子信先生の授業 (2014)

法政大学教授であり、本プログラムの日本側実施責任者でもある安孫子信先生による全三回の授業が行われました。

授業では、「三段階の法則」や「社会学」、「実証主義」、「人類教」など、後世に大きな業績を残したにもかかわらず、生涯在野の学者として過ごしたオーギュスト・コント(1798-1857)の視点から19世紀における科学と哲学の間の力関係に注目していきました。

コントは数学、天文学、物理学、化学、生物学に続いて、これらを総括する地位を持つ社会学の誕生が人間社会においての急務だと考えていました。フランス革命以降の市民社会の不安定な情勢から、人間精神およびそれに伴う学問体系の進歩が彼にとって大きなモチーフになっていたのは簡単に推測されます。また、17世紀の科学革命以降、従来の自然哲学は科学哲学にその地位を奪われざるを得ませんでしたが、分かりやすい例では、コペルニクスをはじめとする天文学的な発見はアリストテレス的な目的論的な宇宙観とは相容れるものではありませんでしたし、天上のものと地上のものというキリスト教的な世界観も覆されることになります。自然哲学はもはや自然現象を観察する権利を上記の物理学や生物学などの自然科学に譲り渡さなければならなくなったのです。

ここで指摘すべき点は以下のようになります。つまり、神学的ないし形而上学的視点の持つ技術的な観察能力不足を抜きにするとしても、前者は何かしらの想像力、後者は絶対的原理の措定という過ちを犯しているのです。言い換えれば、両者は、たとえ後者が理性的または論理的に現象を観察していたとしてもその方法論において、あまりに主観的であり、実証的な視点を欠いているのです。そうして、新しく求められる主観性とは、内に閉じこもった絶対的内在的主観性ではなく、社会へと開かれ、なおかつそれが過去と未来における他の主観性へと地続きであるという意味で歴史的なものでなくてはなりません。

コントのこうした非-内在主義的な現象へのアプローチは、彼の三段階の法則においては神学でも形而上学でもなく、科学へと位置づけられます。つまり、コントにおいて、社会学は、諸科学のその主体である人間の認識に関する学問であり、実証主義とは社会学における認識論的方法論なのです。彼に言わせれば、哲学もこうした方法論に従わない限り無意味な学問となるでしょう。デカルトのいう「哲学の木」の根には、統一的学問としての社会学こそがふさわしいのだとも言えそうです。

また、最終回においては、われわれには周知のとおり西周(1829-1897)によって日本に哲学が導入され、また西が哲学という場合には、多くの場合コントのいう社会学を意味していることが確認されました。つまり、日本においては、神学的段階と形而上学的段階という歴史を持つことなく実証的段階としての哲学が導入されたということになります。

「哲学とは何か」という問いはそれこそ哲学が生まれた時代から現代にまで残る根源的な問いです。現代に生きるわれわれが哲学と言うとき、それはいったい何を指示しているのでしょうか。今回の授業では、留学生たちにはもちろん日本人である私にも西による日本での哲学受容が必然的に孕むことになる現代的な意義に目線を向けるきっかけを得ることができました。

安孫子先生の授業の様子

村上靖彦先生の授業 (2014)

大阪大学の村上靖彦先生による授業が行われました。今回の授業のテーマは、「日本の精神看護医療の現象学」でした。村上先生は、医療現場の出来事や看護師と患者への直接のインタービュー結果を、現象学の立場から解釈されており、今回の授業では、精神病院の現状分析を通じて、より実践的な哲学のあり方とその方法が提示されました。以下に議論の一部をご紹介します。

あらゆる組織には規範が存在します。精神病院で目にするのは、入院患者を保護し管理するという目的で、施設のつくりそのものにおいて、規範が空間化されていることです。この空間化された規範は、身体の延長として、患者の身を守っていると考えられるでしょう。またそれは、隔離という観点からすれば、『監獄の誕生』(1975)でミシェル・フーコー(1926-1984)が説いた「規律権力」を、反抗する身体への空間的な拘束という形で、端的に実現させているともいえます。この意味において精神病院には、物理的に拘束して保護するという可視空間の規範が存在するのです。さらに、このような規範の空間化は、物理的な水準にとどまりません。というのも、上から下へ指示を伝達する看護師同士や、看護師と受け持つ患者のルールに基づいて、病院は組織され、規範は作動していくからです。とはいえ、ここでいう看護師と患者のルールは、強制的ではなく、共同体を維持するための自発的で内発的なものです。看護師は、受け持つ患者にはきびしくしつつも、他の患者にはやさしく接するなど、患者によって情動上の距離の違いをつくり、病棟の人間関係を空間化して、規範にバランスを与えているのです。

こうした規範が作用する中で、看護の要点となるのは、そこにおいて、いかに自由で自発的な秩序を作り出すかということです。つまり、厳然とした規範を前提としつつも、それと異なる自由な空間をいかに作り出すかということです。例えば、患者が看護師から見られ、慕われ、散歩したり、一緒に楽しむ中で、規範とずれた別の空間が生成されてくるというわけです。それは、規範の空間を揺さぶる「遊びの空間」といえるでしょう。このようにして病院は、単に規範が可視化した管理の空間ではなくなります。多くの患者にとってそこは、複雑な社会とは区別された、安心できる「家」となります。イギリスの精神科医ドナルド・ウィニコット(1896-1971)が問題にしたように、長期入院患者にとって病院は、隔離された環境でありながら、逆説的に、そこから出られない「我が家」でもあるのです。

しかし、入院のすべての段階においてより重要なことは、病院から「外」に出る回路が存在することです。つまり、単に散歩によって外の世界に触れるだけでなく、病院の規範から解除されて社会の規範の中に収まるまで、患者は病院の内と外を往来できるということです。この意味で、現在の医療が目指す病院とは、患者が社会に出るための準備といえます。こうした施設で、とある患者は入退院を繰り返し、看護師は異動でさまざまな病棟を循環するなどして病院内の人間関係の固定化を防ぎ、看護しやすい環境と、それに伴う自由な遊びの空間は存続していくのです。

村上靖彦先生

エリー・デューリング先生の授業 (2014)

パリ西ナンテール大学のエリー・デューリング先生による、何が存在していないのかというテーマの全3回の授業が行われました。

第一回では、「不在」という存在論的にきわめて特異な概念の批判的導入を行いました。例えば、「一角獣」や「シャーロック・ホームズ」はわれわれの何らかの対象としては存在していますが、現実に存在しているわけではありません。AさんがBさんを愛しているという「関係」ないし「現象」も、厳密に言えば、その意味内容はわれわれにとって不確実なものでしかありません。あるいは「幻覚」はどうでしょうか。この扱いづらい現象はつかみどころがなく、本当に見えているもの、つまり現実との断絶を持っています。にもかかわらず、「幻覚」という現象をわれわれははっきりと、それは存在すると言ってきましたし、また、言いうるのです。これはどういうことでしょうか。ひとつ言えることは、これらは「無」ではないということです。

第二回では、第一回でその存在のあいまいさが批判されつつも、しかし存在しているとわれわれがこれまで言ってきた「不在」を、ラッセルの記述理論を用いて解釈していきました。「現代のフランス王はハゲである」とわれわれが言うとき、この命題は真でしょうか、あるいは偽でしょうか。彼はこの命題を、単純に偽であるとします。なぜなら、当たり前ですが現代に、そして彼の生きた時代にもフランスに国王はいないからです。しかし、ではなぜこのような命題が立てられ、そして考えることができるのでしょうか。言い換えれば、指示対象(この場合はフランス国王)が実在しない命題を、なぜ彼は偽であると解釈できたのでしょうか。ラッセルは、人工的な言語をつくり上げることによってこの難問を解読しました。人工言語による翻訳によって、解釈の困難な命題でさえも、単に無意味であるとせずに真偽の判断をできるようにしたのです。ここで重要なことは、ラッセルの記述理論によって、われわれは「不在」という対象を語る権利を獲得したことです。認識論的な意味で、ようやくスタート地点に立ったと言えるでしょう。

第三回では、デューリング先生は「不在」に関するある翻訳を試みました。第一回で不在は無ではないことが確認され、続く第二回では、われわれは不在に言及する権利を獲得しましたが、今回は不在を存在によって、存在を不在によって説明するという大変興味深い議論が展開されていました。ひとつの例として、光と日陰の関係を考えてみましょう。日陰という存在は光によって作り出される、一種の光の不在です。そして光という存在は日陰の不在でもあります。存在と不在は一種のペアとして存在し、一方が極限まで増大すれば他方はそれに応じて極限まで減少する。「度合」という関係がここに成立しています。重要なことは、光も日陰も、その存在ないし不在の度合1から度合0の間を行き来するのではないということです。つまり光も日陰も無となることはないのです。この例から出発して、デューリング先生はカントをはじめ、スーリオ、サルトル、そしてベルクソンとドゥルーズに関して言及していきました。特にこの最後の二人の思想家において言われている「現前しているものの潜在化」と「潜在的なものの顕在化」の二元論的ないし弁証法的結合とそれに付随する現在・過去・未来の連関は、筆者にとって思想的にもっともスリリングなものでした。

エリー・デューリング先生
授業の様子①
授業の様子②

大阪大学における学生ワークショップ (2014)

去る5月29日(木)13時より大阪大学大学院人間科学研究科棟304において、ユーロフィロソフィーの留学生3名を迎えた国際学生ワークショップが開催されました。このワークショップは、ユーロフィロソフィー法政プログラムで教鞭をとる大阪大学の村上靖彦先生の発起で開催されており、本年で3回目。当日は村上先生ご自身が司会を務められました。この会では毎年、来日中の留学生と日本人大学院生とが、哲学における互いの関心を披歴し、腹蔵なく話し合うことが行われてきましたが、今回のワークショップでも、洋の東西に跨る多様なテーマが取り上げられ、6人の発表に続いて、参加者間で活発な議論が繰り広げられました。取り上げられたのは、メルロ=ポンティー、ドゥルーズ、シモンドン、リシールなど、現代フランス哲学者だけでなく、精神分析のメラニー・クラインやニーチェ、西田幾多郎など。多様な思想家が取り扱われ、互いの解釈が交換され、相互に大いに刺激を与え合う機会となりました。ワークショップの後には、皆で食事をとる時間が用意され、そこでは、学問だけでなく、それぞれの趣味や生活、さらに最近の日本のポップカルチャーなどについて、和やかな会話が最後まで行われました。





アルノー・フランソワ先生の講演会 (2014)

去る4月8日(水)18時30分より東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム3において、フランス・トゥールーズ第2大学のアルノー ・フランソワ先生による講演会が行われました。本講演会のタイトルは「ベルクソンとヒュームにおける感性と情緒」でした。

本発表でのフランソワ先生の目的は、ベルクソン(1859-1941)とヒューム(1711-1776)の哲学を取り上げて、道徳についての彼らの主張に共通点が認められることをまず確認した上で、最終的に二人の違いを明らかにすることにありました。

まず、ベルクソンは、晩年の主著である『道徳と宗教の二源泉』(1932)の前半において道徳について検討しています。ベルクソンは、カント(1724-1804)が行ったような、理性による道徳の基礎づけを試みませんでした。なぜなら、理性がわれわれの行為の規範や理想を示すことができる一方で、ベルクソンは根源的にわれわれの意志を道徳的行為へと促しているのは、他の何らかの力であると考えたからです。この点についてベルクソンは、「知性」との関係で、「感性」や「情緒」と呼ばれるものに注目して、これらを「知性以下の情緒」と「知性以上の情緒」という仕方で区別しました。それがベルクソンにとって重要な理由は、本著作の主要概念となる「閉じられた道徳」と「開かれた道徳」の区別へと展開していくからです。つまり、社会における「閉じられた道徳」とは、共同体を維持するために働く形式的で非人格的な力を意味しているのに対して、「開かれた道徳」は、ある特権的な人格が道徳を体現することにより、他の人々を魅了して共同体の枠を広めうる、道徳を創造する力を意味します。後者において、ある人格を模倣することは、「情緒」が転移することであり、ベルクソンはこれを「呼びかけ」と名付けます。ここで言われる情緒は「知性以上の情緒」であり、知性の原因となりうるものであって、情緒と区別された知性では規定できないものです。むしろ、この場合の情緒は、知性を孕んでいるとも言えます。他方で、単純に知性から生じるのは「知性以下の情緒」であり、ここでの知性は情緒から負っているものはありません。ベルクソンによれば、われわれの意識は、こうした因果に絶え間なく貫かれており、この意識の諸瞬間において、情緒はどちらかに属していることになります。このようにベルクソンは、哲学史における理性と情念の関係を、道徳の問題において捉え直そうと試みました。

時代を遡り、ヒュームは、道徳を語る上で情念を肯定的に扱い、理性と情念の対立と理性の優位という伝統的な見解を批判した点において、ベルクソンと類似しています。まず、ヒュームは、『人間本性論』(1739-1740)における「穏やかな情念」と「激しい情念」の区別によって、われわれの行動を左右する善悪の基準を、古代からの見解によってではなく、情念そのものの区別によって見出そうとしました。また、本書でヒュームは、理性は情念の「奴隷」であると述べていることも注目に値するでしょう。さらに彼は、『道徳原理の探求』(1751)の中でこの区別を発展させ、「道徳の利己的な体系」に対する、利他的な「共感」について言及します。ここでは、他者との共感によって、「感情」の伝達が可能となり、それが好意的感情であるならば、「善意」と呼ばれるとヒュームは考えました。以上に見る限り、ベルクソンとヒュームの道徳についての主張には、いくつかの類似点が挙げられます。

しかし、ベルクソンは上記の著作において、ヒュームの議論にも見られる「感情の道徳」を批判しています。つまりベルクソンは、理性に対立するものとして情念や感情を論じて、優越を決定するような「主知主義」の理論家たちを斥けています。なぜなら、ベルクソンに従えば、彼らはこの二項対立を自明の観念として解釈しているため、それらの因果関係を現実的に捉えていないからです。言い換えれば、彼らは実際の経験を十分に踏まえないまま、抽象的な思弁に終始していることになります。その意味において、イギリス経験論を代表する哲学者ヒュームも逆説的に批判されているわけです。この批判で「経験」として示唆されているのは時間であり、ベルクソンにおける「持続」です。ベルクソンが重視するのは、合理性を追求するあまり現実離れしてしまう議論ではなく、彼によればわれわれの意識そのものとされる持続に起こる「道徳の発生」であり、つまり、時間の経過における理性と情念のいかなる因果によって道徳が生まれ、広まっていくのかという点にあります。

以上、現代に至るまであまり注目されてこなかったテーマについて、非常にわかりやすくまとめた本講演会は、この日集まった聴衆の関心を、大いに惹きつけるものとなりました。

アルノー・フランソワ先生と司会の原和之先生
会場の様子

カミーユ・リキエ先生の授業 (2014)

パリ・カトリック学院のカミーユ・リキエ先生による6回の授業が行われました。今回の授業では、シャルル・ペギー(1873-1914)の思想が紹介されました。(ペギーに関するリキエ先生のご業績として以下が上梓されています。« Métaphysique de l'événement. Péguy et le problème de l'insertion », dans Métaphysiques des possessions, D. Debaise (éd.), Paris, Presses du Réel, 2011)

19世紀後半に、ジャンヌ・ダルク(1412-1431)の故郷として有名なフランスのオルレアンに生まれたシャルル・ペギーは、哲学者というより、詩人や社会主義者として今日よく知られています。とりわけパリでの学生時代に、ベルクソン(1859-1941)に師事したペギーは、技術や産業の進歩を謳い、外的な財をひたすら追求する近代社会に鋭い批判を加えました。ただ彼の問題意識は、単純に政治理論や社会体制に向けられたのではなく、貧困や労働に苦しむ人々の惨状を目にした上で、社会を形成する民衆の内面性に向けられました。つまり、ペギーの生涯にわたる関心事は、利益を追い求めた結果、形骸化して堕落してしまった既存の社会を変革すること以上に、個々の精神の内的生命に呼びかけることにあったのです。ここにベルクソンの決定的な影響を伺うことができます。例えば、彼の晩年の著作『われらの青春』(1910)にあるように、「すべては、神秘的なものに始まり、政治的なものに終わる」のです。そしてペギーの重要視した精神面での変革を可能にするのは、苦痛を負う一人一人を救済しうる原理であり、それは世俗化する以前のキリスト教の世界観へとつながります。ここでベルクソンとの関わりと並んで挙げなければならないのが、ペギーの思想におけるパスカル(1623-1662)の影響でしょう。というのも、ペギーの時代より二世紀以上昔のフランスに生まれたパスカルは、社会に生きる人々の悲惨を目にした結果、厳格なキリスト教徒として、人間の精神や道徳の観点から救いの道を求めたからです。じっさいペギーは、一生を通じてパスカルの遺した思想の理解に努めました。例えば、パスカルは『パンセ』(1670)において、世の中に「三つの秩序」を認め、「物質の秩序」の上に「精神の秩序」、そして最も高い領域に「愛の秩序」を見出しましたが、ペギーも同様に、どんなに物質が満たされたとしても超えることのできない精神の次元は、さらにキリストが実践したような、苦悩する他者への救いの情熱を伴う愛の次元に至らなければならず、そうでなければ、あらゆる社会的行為もむなしいものと考えたのでした。このようにして真理を追究しようとした二人の人物が、パスカルは39歳で、ペギーは41歳で、ペギーの場合は第一次大戦の戦場に斃れてですが、それぞれの短い生涯を終えたことも筆者には驚きでした。

カミーユ・リキエ先生

アルノー・フランソワ先生の授業 (2014)

フランス・トゥールーズ第2大学のアルノー・フランソワ先生による6回の授業が行われました。

法政プログラムにおいてEU側の責任者を務めるフランソワ先生は、フランスにおいて若手を代表するベルクソン(1859-1941)の研究者でもあります。今回の授業のテーマは、ベルクソンの四大主著の一つ『創造的進化』(1907)における科学的(とりわけ生物学的)な源泉を探ることにありました。(このテーマに関するアルノー先生の業績として以下が挙げられます。« Les sources biologiques de L'évolution créatrice de Bergson » (2007), in Frédéric Worms et Anne Fagot-Largeault (éds.), Annales bergsoniennes, t. IV : L'évolution créatrice (1907-2007) : épistémologie et métaphysique, Paris, PUF, coll. « Épiméthée », 2008, pp. 95-109)

本講義において、筆者に印象深かったのは、機械論と目的論の問題です。すなわち、『創造的進化』の第一章の後半では、ダーウィン(1809-1882)とラマルク(1744-1829)の進化論がそれぞれ考察されますが、ベルクソンが生きた時代において、前者の系譜である新ダーウィン主義は、生物の進化が物理的な因果関係によって必然的に左右されるものとする機械論の傾向を、後者の系譜である新ラマルク主義は、特定の目的を遂げるための生物自身の努力や意志に進化の源泉を認めようとする目的論の傾向を強めていました。本来ダーウィンの進化論は、自然選択説として広く知られるように、生存に有利な個体がより多くの子孫を残すとされるもので、首の長いキリンは高い木の葉を食べやすいので子孫を残すのに有利であるというように、外的な環境要因を重視しました。他方でラマルクの進化論は、生物の進化の過程に、寒くなれば暖かい所へ逃げたり、毛を増やしたりするような、環境に適応するために生物が発揮する主体性を見ようとしました。それは内的で心理的な環境要因といえるでしょう。ベルクソンによれば、両者の議論は、生物の進化を何らかの意味で決定されたものとして捉えているという点で誤っています。ベルクソンにとって生命の本質とは、常に新たなものへと向かう絶えざる変化であり、まさに、それは未決定な自由が伴う「創造的進化」です。そこからベルクソンの生の哲学の核心にある「生命の飛躍」という概念が登場してくるわけです。

以上はフランソワ先生による講義内容の一部分ですが、機械論と目的論の論争を超えようとする立場から科学と哲学を跨いで展開されるベルクソンの議論は、現代においても熟考に値する内容を持つものと強く実感されました。

アルノー・フランソワ先生

富士山麓での合宿研修 (2014)

新学年早々の4月19日-20日の2日間、法政大学哲学科新入生のための恒例の富士山麓合宿が、法政大学富士セミナーハウスで行われました。この合宿には、ユーロフィロソフィ・プログラムでやはり同じくこの4月から法政大学で学ぶ、ヨーロッパからの3人の学生も参加しました。天気は生憎で富士山は見ることができませんでしたが、全体でのにぎやかな自己紹介から始まった合宿では、さまざまな主題について、日本語と英語混じりで、活発にグループ討論が行われました。とくに「異文化を本当に理解することは可能か」をめぐっての討論では、ユーロフィロソフィの学生たちから鋭い発言が相継ぎました。そして、夜の懇親会が異文化理解の実践の場となったことは言うまでもありません。

全員集合!
「異文化交流」のひとこま
セミナーハウスの室内で

サラ・グインダーニ先生の授業 (2014)

パリ第8大学のサラ・グインダーニ先生による4回の授業が行われました。

芸術や美学と哲学との関係の研究を専門とされているグインダーニ先生は、プルースト(1871-1922)の研究者でもあります。今回の授業のテーマは、プルーストが、大著『失われた時を求めて』(1913-1927)において、その後の20世紀の哲学者に与えた多大な影響を考察するものであり、影響を受けた哲学者として、メルロ=ポンティー(1908-1961)、ジル・ドゥルーズ(1925-1995)、ポール・リクール(1913-2005)、ロラン・バルト(1915-1980)などが挙げられました。(プルーストに関するグインダーニ先生の著作の一例として以下が挙げられます。Lo stereoscopio di Proust. Fotografia, pittura e fantasmagoria nella Recherche Le stéréoscope de Proust. Photographie, peinture et fantasmagorie dans la Recherche, Milan : Edizioni Mimesis, 2005.)

本講義で、筆者にとって最も興味深かったのは、プルーストとドゥルーズの関係でした。というのも、ドゥルーズは、初期の著作『プルーストとシーニュ』(1964)において、『失われた時を求めて』の解釈を試みていますが、そこにおいて問題とされるのは、プルーストによる、マドレーヌについての有名な描写に代表されるような「無意志的な記憶」ではないからです。すなわちドゥルーズは、プルーストの作品の基礎が、一般的に知られるような、過去の記憶の想起にではなく、「シーニュの習得」にあると主張します。「シーニュ」とは、「記号」や「しるし」など様々な訳が可能な単語ですが、ドゥルーズによれば、あらゆる事物はシーニュを発しており、それを解釈することが、「習得」へとつながります。『失われた時を求めて』で中心テーマとされる記憶の働きも、習得のための一つの手段であり、こうした習得の物語がこの作品に統一性を与えているとするのがドゥルーズの立場です。この立場によれば、『失われた時を求めて』は、シーニュを発する4つの要素から成り、つまり、空虚な「社交界のシーニュ」、偽りに満ちた「愛のシーニュ」、物質的な「感覚的シーニュ」、そして、本質的な「芸術のシーニュ」です。ドゥルーズによれば、プルーストの作品は、このようにして、シーニュを習得させ、シーニュを生産して、読者に効果を与えるものとされるのです。

以上は、4回にわたるサラ先生の授業の一部分ですが、記憶によって過去を探求していくという『失われた時を求めて』についての読者の一般的なイメージを覆すドゥルーズの解釈は、革新的なものであるとともに、その後のドゥルーズ自身の哲学が、プルーストの作品の影響を少なからず受けていくことを深く考えさせられる講義でした。

サラ・グインダーニ先生
授業の様子

ユーロフィロソフィー2014 スタート (2014)

桜が満開となった4月1日、2014年度 EUエラスムス・ムンドゥス修士課程《ユーロフィロソフィー》法政プログラムが開幕しました。

この日はまず、法政大学市ヶ谷キャンパスにて、今回来日した、ヨーロッパからの教員と留学生を対象とするオリエンテーションと図書館ツアーが行われました。東京に着いたばかりで、都内の地理や暮らし方にも未だ慣れない初来日の留学生3名は、祖国と異なる日本の生活に適応すべく、国際交流センターのスタッフの説明に懸命に耳を傾けていました。その後、図書館に移動し、日本滞在の3ヶ月間、彼らの勉学を支える諸文献を検索し借り出す方法の説明を受け、書庫の見学を行いました。

オリエンテーションの様子
図書館にて
書庫にて

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反省会と閉会パーティー (2013)

さる6月28日(金)に、法政大学ボアソナードタワー25階において、2013年度≪ユーロフィロソフィ≫法政プログラムの反省会、および、26階ラウンジにおいて最後の懇親会が開催されました。

反省会においては、本プログラムの日本側責任者である法政大学の安孫子信教授の司会の下、ヴァンサン・ジロー先生、今回来日した3名の留学生、法政大学国際交流センターのスタッフの方々が参加され、3か月間のプログラム期間における、授業内容から留学生の日本での生活に至るまであらゆる点で、今年度の反省と次年度への対応が話し合われました。

2時間に及ぶ反省会の後、最後の懇親会が和やかに執り行われました。留学生にとっては、桜のほころぶ初春に来日し、多忙なスケジュールの中で戸惑いながらも、次第に日本での生活に適応し、最後には日本への愛着を覚えるに至った3ヶ月であったようです。懇親会を通して、彼らの表情には、日本への名残惜しさが感じられました。

さて、本プログラムの特筆すべき点としては、まず、きわめて多様なテーマについて、様々な専門家による授業が行われたという事があります。それに留まらず、「越境」(Mobilité)という≪ユーロフィロソフィ≫の理念に現れているように、留学生にとっては、日本の文化に身を置きつつ、日本での受容というプリズムを通して、西洋哲学を捉え直すまたとない機会となったようです。さらに、彼らを受け入れた日本人の学生たちにとっても、哲学をライフワークとするヨーロッパの若い仲間と親交を深めるよい機会となりました。このような種々の成果を伴って、今年度のプログラムも無事終了しました。これまでの皆様のご協力にお礼を申し上げますとともに、来年度もまたどうかよろしくとお願をさせていただきます。

反省会における安孫子先生とジロー先生
感想を語る留学生たち
留学生たちのあいさつ
会場の様子
集合写真

村上靖彦先生の授業 (2013)

6月6日と19日の二日間で、全三回の村上靖彦先生の授業が行われました。

村上先生は現象学を専門としていますが、医療現場に携わる人々へのインタビューを通じて、人間関係の実践の現場における現象学的構造を研究しています。今回の講義は村上先生が行った看護婦へのインタビューをもとに、医療の実践を規定する構造を現象学的視点から解き明かすことを目的としています。

一日目の授業(二回)は、病院の人工透析室で働くある看護婦(Dさん)へのインタビューを扱いました。人工透析(dialyse)とは機械を使って血液の老廃物を除去する治療法で、腎臓の機能に障害を持つ人が利用するものです。インタビューの相手であるDさんは、人工透析を行う部屋で働くベテランの看護婦で、患者の様子と他の同僚たちの仕事を監督する立場にありました。透析室はレイアウトに特徴があり、患者たちが横になるベッドは部屋の壁にそって並べられ、部屋の中央にはナースステーションが置かれています。この部屋の中で、Dさんはナースステーションから部屋内のすべての患者と、同僚の看護婦たちが患者に施す治療が見える状態にあります。人工透析は非常に時間のかかる治療法で、一回の透析に五、六時間かかり、しかも患者はその間ずっとベッドで横になっていなければならないため、医療スタッフは患者の様子を逐一観察している必要があるのです。つまり患者や他の医療スタッフを監視するDさんの「眼差し」は、病室内に一定の治療の形態を強いる権力を発揮しているわけですが、重要なのはそのような権威的関係が、病室の空間的構造に由来しているという点です。この構造はジェレミー・ベンサム(Jeremy Bentham 1748-1832)が構想した有名なパノプティコン(panopticon一望監視システム)とよく似ており、またミシェル・フーコー(Michel Foucault 1926-1984)がこのパノプティコンについて指摘したのと同様のことが、透析室においても起きています。つまり、病室の全体がナースステーションから「見える」という事実それ自体が、(実際に誰かが見ているかどうかにかかわらず)監視の機能を果たすのです。

また、時間的構造も問題となります。透析室を訪れる患者は五、六時間の透析治療を週三回行わなければならず、長い時間を医療スタッフと共にすることになります。そのため患者の看護婦に対する依存的関係が、半ば自然発生的に現れてくるのです。

Dさんへのインタビューでわかったことは、Dさん本人は自分が周囲を監視し、同僚や患者に対して権威的に振る舞わなければならない立場に置かれていることは自覚していても、それが透析治療の空間的・時間的構造によって規定されたものであるという意識を持っていないということでした。彼女自身はこうした実践はあくまで患者のためを思ってやっていることだと認識していたのです。村上先生によればこうした構造は本質的に無意識のものであり、意識のレベルでの行為を可能にさせる「地平(horizon)」としての役割を果たしています。それは意識の内部にあるとされる心理学的な無意識と異なり、意識の外部にある「現象学的無意識(inconscient phénoménologique)」とでも呼ぶべきものです。実際、Dさんはインタビューの後に透析室を離れ、訪問看護の領域で働くようになると、それまで抱いていた看護の実践についての考え方を改め、患者には依存的関係に陥るのではなく「旅立ってほしい」と考えるようになったのです。

二日目の授業(一回)は、重度の障害を抱えた妹を持つ、ある小児科の看護婦(Fさん)へのインタビューを分析しました。Fさんの二人の妹は脳障害を抱えており、特に上の妹は言葉も話せないほど障害が重いのですが、Fさんが子供の頃にその妹が痙攣を起こして倒れたとき、Fさんは倒れた妹の姿を見せてもらえず、また家族はFさんに対して、妹の障害については「わかってるでしょ」というような態度でいたので、妹に何が起こっているのかについて説明されることもありませんでした。つまりここには妹の障害に関する「可視性(visibilité)」の欠如と「疎外(aliénation)」があり、それが小児科の看護婦になるというFさんの選択の背景になっているのです。

Fさんは妹の姿を人に見られるのをどことなく恥ずかしいと感じており、妹のことはなるべく話さないようにしていたのですが、看護婦として障害のある患者たちと接触し、その生活を見ることで、「障害があっても大したことじゃない」と思うようになり、妹のことも普通に話せるようになったといいます。このことはFさんが患者の身体の「可視性」を出発点として、行動のための地平を見出したのだと分析することができます。

講義ではこの後、Fさんがある終末期の患者との接触を通して新たな行動の地平を獲得し、看護婦の仕事としてのケアを超えた行動(尊厳死の同意書を書くのを手伝うなど)が可能になった事例が紹介されていました。これらの事例が示しているのは、行動には関係の地平としての構造があるということ、そしてどれだけ個人的・特殊的な行動においても、その構造には何らかの普遍性を見出すことができる、ということです。

村上靖彦先生

ヴァンサン・ジロー先生の授業 (2013)

6月3日から二週間にわたって、ヴァンサン・ジロー(Vincent Giraud)先生の授業計三回が行われました。

この講義では、初期キリスト教の教父である聖アウグスティヌス(saint Augustin 354-430)の著作を扱い、その思想の実存的側面に光を当てています。中心となるテキストは『告白』(Confessions)で、特に第十一巻に見られる、時間についての議論に焦点が当てられています。アウグスティヌスによれば、時間とは我々の誰もが理解しているものでありながら、それが何であるかを誰も説明できないものです。時間には過去、現在、未来の三つの様態がありますが、過去とは「もはやない」ものであり、未来は「まだない」ものです。ということは過去も未来も存在しておらず、あるのは現在だけということになります。しかし現在とは何でしょうか。たとえば一年という時間があるとして、そのうちのひと月が経過している間、他の月は未来もしくは過去にあります。したがって一年のうち現在であるのはひと月だけということになるわけですが、そのひと月の中には一日があり、一日の中には一時間がある、というように、現在でありうる時間は際限なく縮まって、最終的には無に等しくなります。したがって存在する唯一の時間である現在には、いかなる長さもない、捉えがたいものであることになります。しかし、我々は時間が過ぎ去るのを感じ取り、その長さを測っています。時間を説明することの困難はここにあります。

アウグスティヌスによれば、時間とは我々にとって感覚されるものであり、したがって精神に関係しています。我々が過去や未来の出来事について語っているとき、その出来事は我々の精神のうちにすでにあるのであって、それゆえ過去・未来・現在という時の三様態は、実際には「過去についての現在、現在についての現在、未来についての現在」なのだとアウグスティヌスは述べています。過去についての現在とは記憶(memoria)であり、現在についての現在は直観(contuitus)、未来についての現在は期待(expectatio)です。この三つは精神のはたらき(intentio)であり、時間とはこの精神のはたらきの延長(distentio)であるとされています。

アウグスティヌスにおいて延長すなわち時間という形式で世界を捉えることは人間の根本的条件ですが、それは同時に、人間が何かを認識する際には常にそこへ解釈を加えているということでもあります。時間を介さず、ものの純粋な実在を捉えるのは神にのみ可能なことであり、被造物である人間は原罪によって実在を奪われています。実際、『告白』ではdistentioという言葉が「分散(dispersion)」の意味で使われている箇所があります。人間が時間的多様性(過去・現在・未来)においてしか認識できないのは、一なる神から遠ざかった我々の罪と不完全さを示しており、したがって人間は自らの生を不可避的に分散させていく存在なのです。ここにおいてアウグスティヌスは、時間という人間の認識形式を実存的なあり方として捉えています。

以上のような時間的あり方は、アウグスティヌスの思想においては「非本来的(inauthentique)」ということになります。しかしこれに対する「本来的」なあり方は時間を超越することではなく、distentioを別の仕方で生きることです。それは人生の個々の出来事を見つめ直し、その意味を解釈することで、分散した生を再びひとつに合一させる(rassembler)ことです。『告白』はまさにアウグスティヌス自身の個人的生の探究であり、迷いに満ちた彼の人生に「神を求める」という意味を見出すための試みなのです。したがってアウグスティヌスにおいて時間という実存的問題は、それをいかに生きるかという道徳的問題として捉えられているのです。

ヴァンサン・ジロー先生

学生によるワークショップ (東京大学) (2013)

さる6月15日(土)、東京大学文学部本郷キャンパス法文二号館二階教員談話室において、学生を中心としたワークショップが開催されました。留学生3名と日本人学生3名の計6名の発表が行われ、司会も兼ねて学生たちが主体となって進められました。多様な哲学領域が集結した本発表会の各テーマは、以下の通りでした。

・「ベルクソン『試論』における二つの認識様態――『主観的なもの』と『客観的なもの』」
・「ハイデガーと内面性の神話」
・「現象野――メルロ=ポンティの前期思想における」
・「反『生命的内在』としてのキリスト教哲学.近代哲学的な逸脱に対する聖ピオ10世の応答」
・「フロイトを読むリオタール:『形象』の戦略」
・「マルク・リシールとエドムント・フッサールにおける崇高なものと神学的反省」

本発表会では、異質な専門分野を横断するように、各テーマが大変興味深いものであり、各自の専門以外の研究内容を分かち合える、という点が非常に刺激的でした。また、当然のごとく、洋の東西で、研究環境が離れた者同士が、哲学という共通了解の下に議論を展開できたという意味では、規模の差こそあれ、国際的な学会を思わせるものがありました。そして、発表時間の後には、学問上の同胞たちの健闘を称えあうように、交流の場が設けられました。

会場の様子

発表する留学生

質疑に臨む学生たち

原和之先生の授業 (2013)

5月24日から三週間、原和之先生による全三回の授業が行われました。

授業のタイトルは「分析と欲望(l'analyse et le désir)」です。精神分析(psychanalyse)においては「分析(analyse)」という言葉は精神分析を指して使われるのが一般的ですが、この講義では「分析」という概念一般の起源とその歴史的変遷を踏まえ、その上でジークムント・フロイト(Sigmund Freud 1856-1939)およびジャック・ラカン(Jacques Lacan 1901-1981)の精神分析が分析概念一般の中でどのように位置づけられるのかを、特にラカンの欲望についての理論が分析概念にもたらした新しさを明らかにすることを目的としています。

ジャック・ラカンは精神分析の基礎を確立するために、フロイトの著作の再検討を行いましたが、講義ではラカンが精神分析にもたらした新しい理論を、18世紀末にフランスの数学界で起きた「解析学革命(révolution analytique)」と呼ばれる運動に比較して論じました。解析学革命とはラグランジュ(Joseph-Louis Lagrange 1736-1813)、ラクロワ(Sylvestre-François Lacroix 1765-1843)、モンジュ(Gaspard Monge 1746-1818)などの数学者たちが作った、新世代の理論家たちのための教育プログラムを発端とする数学教育の発展を指しますが、これによってそれまで幾何学計算のための技術でしかなかった解析/分析(analyse)がそれ自体独自の学として見なされるようになり、単なる計算の一手法に留まらない意味を持つようになりました。

数学の解析/分析(analyse)はもちろん精神分析と同じものではありませんが、どちらも分析(analyse)としてのエッセンスを共有してはいます。そもそも分析という概念には二つの起源があり、ひとつはユークリッド幾何学、もうひとつはアリストテレスの『論理学』です。前者において分析とは予想される結論を最初に仮定すること(supposition)であり、後者では論証をより単純な要素へと分解すること(décomposition)とされています。フランソワ・ヴィエト(François Viète 1540-1603)が体系化した解析学(art analytique)は、この二つの要素を組み合わせて代数計算の手法としたものです。フロイトの精神分析もまた、神経症患者の言動の裏にある無意識の欲望を仮定し、その仮定を裏付けるために患者の言動を分解して考察するという、分析の二要素を用いています。

ラカンの欲望理論の特徴は、フロイトの分析手法の詳細な検討に基づいて、分析行為の構造を人間存在一般に当てはまるようなものとして提示したことでした。講義ではラカンが初期の論文で発表した「欲望の公準(postulat du désir)」の図式や、フロイトが提唱したオイディプス・コンプレックスの再検討などについて論じられていましたが、こうした理論によってラカンが明らかにしたのは、我々が他者について知ろうとするときに必然的に遭遇する、「仮定と分解」という「分析的契機(moment analytique)」の存在です。ラカンはこうして、分析概念を精神病患者に留まらない、より普遍的な人間の本質にまで拡張したのです。その意味で、精神分析はもうひとつの「分析革命(révolution analytique)」であると言えるでしょう。

原和之先生

藤田尚志先生の授業 (2013)

5月10日から17日までの一週間、藤田尚志先生の講義が行われました。

講義のテーマは形而上学と隠喩(métaphysique et métaphore)です。マルティン・ハイデガー(Martin Heidegger 1889-1976)は1957年の『理性の原理』(Le principe de raison)第六章の中で、隠喩と形而上学との結びつきを語っています。ハイデガーにとって西洋の形而上学とは見えるものから見えないものへの転移(transposition)であり、その意味で言葉の具体的意味から比喩的な意味への転移である隠喩は、形而上学的な意味を持つものであるということになります。ハイデガーは「隠喩的なものは形而上学の内側にしか存在しない」とまで述べています。講義はここから出発して、隠喩と形而上学との関係性を探ること、またそれに伴う数々の問いを検討することを目的としています。

第一回は導入として、西洋思想における隠喩の歴史的位置づけ、および隠喩がどのように定義されてきたかについての解説でした。アリストテレス(Aristote 前384-前322)の『詩学』(Poétique)および『弁論術』(Rhétorique)では、隠喩とは比喩(analogie)の一種であり、対比関係を明確にせず、暗示的に表現することを特徴とするとされています。例えば昼(jour)という言葉によって若さを、夜(nuit)によって老いを意味するとき、そこには「一日の時間における昼と夜との関係は、年齢における若さと老年との関係に等しい」という比喩が隠れているというわけです。この意味において、アリストテレスは隠喩と比喩一般を区別しておらず、厳密な分類にはなっていないと言えますが、アリストテレスが目指していたのは単に隠喩を言語学的に分類することではなく、詩的な言葉が持つ形而上学的な作用、すなわち既存の表現に変化を加えることで新たな意味を創造していく作用を解明することでした。しかしアリストテレス以降、隠喩は主に文学的修飾として、あるいは言語的機能のひとつとして考察されるようになり、哲学の領域からは離れていきました。例えばセネカ(前4頃- 65)はこの世のあらゆる物に名前を与えることは不可能であるため、ある名前を使って本来それが意味するのとは別の物を指すこと(=隠喩)は必要なことであるとしています。近代に入ってからは純粋な文学表現以外の観点からも隠喩が考察されるようになり、特にデュマルセ(César Chesneau Dumarsais 1676-1756)は隠喩を科学的な手法で定義しようと試みています。

しかし古代から近代にいたるまで、隠喩は常にある意味をひとつの言葉から別の言葉へと移動させること(transport)として捉えられており、したがって隠喩には常に、それに対応するひとつの意味があると考えられていました。隠喩を哲学的に考察するには、この一義性(univocité)を乗り越える必要があります。

第二回の講義では、アンリ・ベルクソン(Henri Bergson 1859-1941)の思想における隠喩の位置づけを探りました。ベルクソンは一方では文章の名手として知られ、ノーベル文学賞を受賞しているほどですが、他方で彼の思想には言語に対する批判が多く見られます。したがってここには一見したところ、矛盾した態度があるように思えます。

ベルクソンの思想においては、生には二つの側面があります。ひとつは生存(survie)であり、これは実用性と必要性の領域です。我々は生き延びるために行動せねばならず、その必要性に基づいて世界を切り取り、把握しています。我々の日常的なあり方はこの生存の原理に支配されており、言語や科学も有用性を追求するものとして、この領域に属しています。しかし生にはもうひとつの側面があり、それはいわば生存を超えた生(sur‐vie)です。これは精神の領域であり、有用性とは関わりを持たない創造に向って我々を突き動かす不断の運動です。「生のはずみ(élan vital)」とも呼ばれるこの流動的実在を切り取り、固定した物質として表象するのが我々の日常的な知覚であり、そこにおいて中心的な役割を果たしているのが、ベルクソンによれば言語です。言語は実在の繊細なあり方を、記号によって一般化してしまうからです。つまりベルクソンの思想においては、言語の通常の使用がすでに現実の歪曲(violence)であるということになります。しかし彼自身が多くの比喩を用いて自らの思想を語っていることからもわかるように、ベルクソンは言語の使用そのものを糾弾しているわけではありません。言語による歪曲を修正するためには、言葉そのものを歪曲する(violenter les mots)必要があるとベルクソンは述べています。これがベルクソンにおける隠喩の位置づけということになります。なぜなら、ありのままの現実を変形させるという意味では、通常の言語がすでにひとつの隠喩なのであり、そのため隠喩的に言葉を用いることは、言語によって行われた逆転を再びひっくり返すことにほかならないからです。言語による創造はこのようにしてはじめて可能になります。したがって作家の使命は言葉が持つ自然な傾向に逆らうこと、実現不可能なものを実現すること(réaliser l'irréalisable)にあるということになります。

ベルクソンの思想において「歪曲された言語」としての隠喩が占める位置は、中間(l'entre)であることを大きな特徴としています。隠喩的なものは、一方では通常の言語、すなわち生存の必要性に基づいた言語とは異なるものですが、他方で完全に非言語的な、純粋な精神の領域に属しているわけでもありません。それはむしろ両者の中間において生じる何かなのです。そのためか、ベルクソン自身が用いている比喩表現は言葉それ自体がまったく新しいといったようなものではないし、また特定の比喩あるいは隠喩が決定的な重要性を持っているということもないのです。

第三回の講義では、ジャック・デリダ(Jacques Derrida 1930-2004)とポール・リクール(Paul Ricoeur 1913-2005)が交わした隠喩に関する論争を扱いました。デリダは1971年に『白い神話』(La mythologie blanche)を発表しましたが、リクールは1975年の『生きた隠喩』(La métaphore vive)の中で、デリダのこの著作に批判を加えました。さらにそれに対する回答として、1978年にデリダが『隠喩の引退』(Le retrait de la métaphore)を発表した、というのが論争の経緯です。

リクールが批判しているのは、もともとハイデガーの主張である「隠喩と形而上学の一致」という考えをデリダが採用している点です。そのためこれはハイデガーに対する批判でもあるわけですが、それに加えてリクールはハイデガーのテクストにおける隠喩(métaphore)と隠喩性(métaphoricité)は区別しなければならないと述べています。隠喩とはある既存の意味からまた別の既存の意味への移行であり、そこに新しいものは含まれていません。それに対して、ハイデガーの著作に見られるいくつかの隠喩的表現は、それまで明らかにされていなかった内容を示しており、単なる隠喩とは異なるとリクールは主張します。

リクールの提唱する「生きた隠喩」という概念は、隠喩と隠喩性とのこの区別を念頭に置いています。生きた隠喩とは新たな意味が発生する創造的過程であり、語彙上の必要性から既存の表現を使いまわす転化表現(catachrèse)とは区別されます。後者はいわば「死んだ隠喩」であることになります。生きた隠喩が使い古され、磨滅(usure)することで死んだ隠喩になっていくというエントロピーの過程がここでは想定されています。哲学はこの使い古された隠喩に新しい意味を与えることで、生きた隠喩を作り出すのだとリクールは述べています。哲学の概念はこのように(少なくとも部分的には)死んだ隠喩から生じるものであるため、哲学と隠喩との間には本質的なつながりがあることになります。しかし隠喩を生きたものにすることは、単に死んだものを再生させることではなく、別の仕方でそれを生き直すことなのだとリクールは述べています。その意味で生きた隠喩の産出である哲学は、隠喩とは別の領域に属するものであることになります。

それに対してデリダは『白い神話』の中で、隠喩の領域は常に補足されうるものであり、それゆえ限定も制御も不可能であると述べています。つまり隠喩はどこまでも広がりうる開かれた領域であり、その総体は特定の言葉や表現ではなく、むしろ既存の表現、つまり使い古された隠喩によって構成されています。デリダにおいては、隠喩が持つこの補足性(supplémentalité)が哲学の概念に影響を及ぼすとされています。そのため哲学と隠喩との間に明確な一線を引くことはできないのです。ここから、デリダは隠喩の磨滅(usure)とそれが概念に交代することを同じものとして捉えていることがわかります。リクールのデリダに対する批判は、この混同に向けられているのです。隠喩が死んでいく過程は、生きた隠喩が生まれる過程とは別のものだからです。リクールとデリダとの相違はこの点にあると言えるでしょう。

しかしリクールとデリダは、隠喩を概念の領域に解消することを望まず、詩的言語(=隠喩)がそれ自体として持つ意味を認めようとしているという点では一致しています。両者は共に、概念に還元不可能な意味を持つものとして隠喩を扱わなければならないと考えているのです。

藤田尚志先生
藤田先生と学生たち

合田正人先生の授業 (2013)

明治大学の合田正人先生の3回にわたる講義が行われました。以下では、そのうち、合田先生のご専門であり、筆者にとって興味深いテーマであった、レヴィナス(1906-1995)の解釈を巡る講義の一部を、ご紹介いたします。(レヴィナスについての合田先生の初著として、以下が上梓されています。『レヴィナスの思想――希望の揺籃』 弘文堂、1988)

本講義の主旨は、レヴィナスにおける、「コナトゥス」解釈と、スピノザについての言及でした。良く知られているように、レヴィナスは、初期の論文『フッサール現象学の直観理論』(1930) においてすでにスピノザについて言及しており、後にレヴィナスは、『全体性と無限』(1961)第一部において、スピノザ主義を批判しています。しかしここで、なぜレヴィナスは「スピノザ」と言わずに「スピノザ主義」と言ったのか、という疑問が生じます。この区別については、レヴィナスの師であったレオン・ブランシュヴィック(1869-1944)も意識していた痕跡があり、この問題を明らかにするために、スピノザの『エチカ』(1677)を強く意識したレヴィナスの「コナトゥス」の解釈とその批判、また、レヴィナスにおいて、「ある」(il y a)からの自己‐自我の生成を指す、「ヒュポスタシス」(sub-stance)の概念について、それが、『全体性と無限』の議論で消失し、それに代わって登場する「享受」、「幸福」の問題などを考察しました。その結果、レヴィナスの倫理思想は、反コナトゥスとみなされながらも、デカルトの「高邁」の精神など、哲学史におけるコナトゥスの概念の系譜をしっかりと押さえており、かつレヴィナスは、スピノザ主義とは、スピノザではない、と自ら認識していた可能性が提示されました。周知のように、レヴィナスは、反スピノザの立場を鮮明にしていますが、両者の関係が意外に複雑なものであることが、本講義を通して理解できました。(レヴィナスとスピノザに関する合田先生の論考の一例として、以下が挙げられます。「コナトゥスと倫理――レヴィナスのスピノザ解釈」『スピノザーナ――スピノザ協会年報』第2号、学樹書院、2000)

合田正人先生

金森修先生の授業 (2013)

東京大学の金森修先生の2回の講義が行われました。

初回の講義では、「科学的合理性と東洋の行動科学」というテーマで、大正期 (1912-26)を代表する日本の生理学者である橋田邦彦(1882-1945)が中心に取り上げられ、『生理学要綱』 (1923)などの科学的著作が紹介されました。また、道元 (1200-1253)を尊敬し、『正法眼蔵』の注釈者でもあった橋田における、科学と「禅宗」の関係や、「全機性」という概念についても説明がなされました。さらに、橋田の行動科学に焦点が当てられ、彼の「行としての科学」について、実験室を「道場」と捉える独自な考え方を踏まえつつ、橋田における生理学と倫理的行為の関係が明らかになりました。(橋田論を所収した金森先生の著作として、以下が上梓されています。『自然主義の臨界』勁草書房、2004)

二回目の講義のテーマは、「近代日本のダーウィニズムの事例」でした。ここでは、明治期の日本の官僚であり、政治学者であった加藤弘之(1836-1916)の思想について解説がなされました。初期の加藤の主著として、中国を対象に立憲政体を明確に主張した『鄰草』(1861)や、啓蒙思想家として、平等主義を掲げて、優れた立憲思想について解説した『真政大意』(1870)などを著しました。しかし、後に加藤は、ダーウィン(1809-1882)やヘッケル(1834-1919)の影響を受け、ダーウィニズムへの転向を始めており、1882年の『人權新説』では、社会進化論の立場から民権思想に対する批判を明確にし、論争を巻き起こしました。本講義では、同書における、生存競争の中での「優勝劣敗」の概念などに着目しました。さらに、晩年の加藤の哲学的著作として、とりわけ、『自然と倫理』(1912)が紹介され、「社会有機体論」 、「利己」、「利他」の議論などを考察することで、生物学的唯物論者としての加藤の姿が浮き彫りにされました。(加藤弘之に関する金森先生の論考として、以下が挙げられます。Dictionnaire du Darwinisme et de l'Evolution, F-N, Paris, P.U.F., janv.1996, pp.2434-2442.)

金森修先生

河野哲也先生の授業 (2013)

立教大学の河野哲也先生の二回の講義が開講されました。本講義のテーマは「心のエコロジーに向けて」でした。

初回で中心に扱われたのは、アメリカ人心理学者のJ.J.ギブソン(1904-1979)についてです。晩年の著作である『生態学的視覚論』(1979)まで、ギブソンの一連の仕事が紹介された後で、とりわけ、彼の生態学的心理学の核心をなす用語である「アフォーダンス」の概念が説明されました。「アフォーダンス」とは、英語のaffordを名詞化したギブソンの造語で、動物にとって、どのように行動できるのか、どのように行動すべきなのか、等にかかわる環境の特性を指します。またエコロジー(生態学)とは、動物と環境の相互作用を研究する生物科学のことで、ギブソンは、このエコロジーの発想から新しい心理学を切り拓こうと試みました。これは、例えば、デカルト哲学における独我論的な内面性とは大きく異なる立場です。つまり、ギブソンによると、心は身体と環境の関係性に存することになります。こうしたギブソンの心理学は、美学や建築、工業デザイン、教育等にも受け入れられ、適用されています。(この主題に関する河野先生の著作の一例として、以下が上梓されています。『<心>はからだの外にある』 NHKブックス, 2006年2月.) さらに、ギブソンのこの考えに通じる概念として、A.クラークとD.チャーマーズによって提起された「拡張した心」についても解説がなされました。

続く二回目の講義では、以上のギブソンの思想を応用する形で、「痛み」(douleur)についての考察がなされました。われわれが日常生活で経験するあらゆる苦痛は、一概に定義することが難しい事柄の一つと言えます。例えば、身体的な痛みとは、個人的なものとみなされるのが一般的ですが、間主観的あるいは社会的文脈においては、必ずしもそうは言い切れません。その点を踏まえ、実際の医療現場における慢性的な苦痛の事例も挙げられ、医療人類学者のA.クラインマン、社会学者のJ.コールの議論、メルロー=ポンティの『知覚の現象学』(1945)における「幻影肢」についての議論等も引用され、「痛み」をめぐる多角的な解釈がなされました。

以上、本講義は、筆者にとって、ギブソンの思想の内実と、それが様々な分野において、現実的な応用に優れていることを実感できる時間となりました。

河野哲也先生

鈴木泉先生の授業 (2013)

東京大学の鈴木泉先生の三回にわたる授業が開講されました。今回の講義のテーマは、G.ドゥルーズの哲学を中心とした「ドゥルーズと離接的論理」でした。(本講義の参考となる鈴木先生の著作の一例として、以下が上梓されています。「ドゥルーズ哲学の生成:1945-1969」『現代思想』「ドゥルーズの哲学」第30巻第10号、青土社、2002年、pp. 125-147.)

各講義の主題は、以下の通りでした。
1.『差異と反復』における「超越論的経験論」について
2. ハイデガーとドゥルーズにおける「差異」の概念
3.『千のプラトー』における「リトルネロ」について
以下では、筆者にとって印象的であった「超越論的経験論」について、議論の部分的背景を紹介させて頂きます。

ドゥルーズ哲学は、一貫した超越論哲学と言われますが、彼は、カント哲学に由来する超越論的哲学の深い影響を受けながらも、それに批判と変更を加えています。ドゥルーズによれば、カントは日常的な経験の枠組みの「転写」(décalque)としての超越論性の探求をしており、そこにおいては、超越論的なものと経験論的なものとの条件づけを巡って、悪循環が生じています。ドゥルーズは、これを断ち切るべく、経験の発生の実質的な条件を探究することを目指しました。そのための作業として、ドゥルーズはまず、超越論的なものによる経験の発生、という見方をします。しかし、ここでは、先の悪循環を免れていないため、続いて高次の経験論を提示します。すなわち、彼によると、日常的な経験とは、感性や理性といった諸能力(facultés)が、安定しながら調和して働くことにより生じますが、これらが調和しないで成立する、高次な経験が存在します。これは、「差異」(différence)との「遭遇」(rencontre)という暴力的な契機により可能となる真の経験となります。また、諸能力は、共同して働くのではなく、非調和的になって初めて真に活動すると述べられます。さらにドゥルーズは、この高次の経験にとどまることなく、これが超越論的なものになる、という意味での超越論的経験論を語ります。ここでは、超越論的なものと経験論的なものとが創造的関係にあり、「非人間的」(inhumanistique)な経験が問題となってきます。
以上は、筆者の理解による、初回の講義の文脈の一部ですが、他の講義においても、思想史における、ドゥルーズ哲学の非常に興味深い主題が考察されました。

鈴木泉先生

フロランス・ケマックス講演会(明治大学)(2013)

去る4月20日(土)、16時より、明治大学駿河台キャンパスリバティタワー1075室において、ベルギー、リエージュ大学のフロランス・ケマックス先生の講演会が行われました。今回の発表タイトルは、「政治と生権力:私たちは生の政治を必要とするのか?」(Politique et biopouvoirs : avons-nous besoin d'une politique de la vie ?)でした。(本発表に関連するケマックス先生のご業績の一例として、以下が挙げられます。( « Le concept de biopolitique est-il un concept critique ? », in Medicalizzazione, sorveglianza e biopolitica. A partire da Michel Foucault (a cura di Natascia Mattucci, Gianluca Vagnarelli), Milano- Udine, Mimesis filosofie, 13-29. (2012))

本発表では、フーコー(1926-1984)の『監獄の誕生-監視と処罰』(1970)における、「生政治」の議論が主に扱われました。周知のように、フーコーは、人がルールに従わなければ殺してしまったり、従えば放っておく、というような古代からの権力像とは異なり、個人の身体や人口全体を通して、人々の生に積極的に介入して支配し、管理することで、住民を心から服従させようとする、近代以降の権力のあり方を、「生権力」と呼びました。これは、近代になってから個々人の自由が認められるようになったという一般的イメージを覆すもので、むしろ、個人を管理する技術としての権力が発達してきたとフーコーは捉えました。この考え方の普及によって、特に人間科学の分野では、今日に至るまで、これと関連する多くの研究が生まれました。

しかし、こうした「生権力」によって行われる「生政治」を想定した場合、この議論は、どのような法律や政策ならば権力を正当化できるのか、という現実的問題も抱えています。また、哲学との関係で言えば、自由や平等といった主題を権力との関係で論じた、とりわけ近代政治哲学の文脈で、フーコーの権力論を論じるには、大きな困難が伴います。そのような中で、例えば、イタリアの哲学者ロベルト・エスポジト(1950-)は、われわれが、政治を語る時の語彙、つまり、歴史ある政治哲学の概念体系そのものを変えるべきであると主張しています。

本発表でのケマックス先生の主張は、この論争にかんして、アーレント(1906-1975)やカンギレム(1904-1995)などの思想家を引き合いに出しながら、正しい生の理論の在り方を問うものであり、それによって、近代的な政治哲学が基盤としている、「人間学」(anthropologie)の観点から、新たな概念体系を無から作るのではなく、その刷新を試みるための可能性を探る、という内容でした。

「国立科学研究基金」の研究員も務めておられるケマックス先生は、そこにおいて、政治社会思想もご専門にされています。今回の来日発表において、最新の研究報告をして頂き、たいへん有益な時間となりました。

ケマックス先生
ケマックス先生と司会を務める合田正人先生
質疑に臨む金森修先生

木島・オケ講演会(法政大学)(2013)

4月16日、法政大学にて開かれたシンポジウムで、リヨン第三大学教授のチエリ―・オケ氏と、法政大学博士課程の研究員である木島泰三氏の発表が行われました。シンポジウムの使用言語は英語で、通訳は木島氏自らが担当しました。

まず木島氏の発表は、デイヴィッド・ヒューム(David Hume 1710-1776)の著作『自然宗教に関する対話』の登場人物であるフィロが展開しているエピクロス主義についての議論が、ダーウィンの進化論を先取りしたものであるかどうかを検討するというものです。『自然宗教に関する対話』の登場人物フィロは、自然の複雑性に神の意図を見ようとする「デザイン(意図)理論(design theory)」と呼ばれる態度を批判しますが、その一方でフィロはデザイン理論に代わる自然世界の説明原理をいくつか展開しています。その中のひとつが、木島氏の発表が焦点を当てているエピクロス主義的立場です。エピクロス主義の特徴は目的論を否定し、自然世界は偶然によって機能していると考える点にありますが、フィロはこの考えにいくつかの修正を加え、粒子の無軌道な動きによって成り立つ自己充足的な世界(self-supporting world)として世界を捉えようとします。
フィロが提示するエピクロス主義的宇宙論は多くの点でダーウィンに接近していますが、ヒュームを自然淘汰概念の考案者のひとりとして数えることはできないと木島氏は述べています。自然淘汰の関心は生物が環境に適応するための特定の性質を獲得する過程にあるのに対し、フィロの考える世界のシステムは全体として一気に作られるものであり、そこには「再生産による差異化」というダーウィン思想の決定的な要素が欠けているからです。ヒュームが進化論のある種先駆的なアイデアを持っていたということは言えるにしても、それはあくまで「エピクロス主義者のヒューム」という一面においてのことであり、ヒューム自身は同時にそれとは反対の、自然宗教の伝統の中で生きた思想家でもありました。木島氏はそのことを、『自然宗教に関する対話』でフィロが最終的にデザイン理論に一定の妥当性があることを認めているという点から導いています。

木島氏に続いて行われたオケ氏の発表は「ダーウィンは目的論者か ランについての論考とデザインの問題」というタイトルでした。
ダーウィンが1859年に発表した『種の起源』は当時、経験的根拠に基づいていないとの批判を多く受けました。そこでダーウィンが試みたのは、ランの観察研究によって自然淘汰の理論を証明することでした。その研究は1862年、「英国および諸外国のランが昆虫によって受精するための多様な技巧、および異種交配の有利な諸効果」と題された論文に結実することになります。本発表はランについてのこの論文を中心に扱い、「ダーウィンは目的論者か」という問いに一定の回答を与えることを目指しています。
目的論には二つの意味があり、ひとつは自然の中に技巧(contrivances)が存在し、それがある意図(design)を示しているということ、もうひとつはそのような意図が存在するという事実から、その根本に何らかの製作者がいるのではないかという推測です。この製作者を神と捉えれば、目的論は同時に神学論でもあることになります。目的論という問題を巡っては、ダーウィンに対する評価はさまざまで、ハクスリー(Thomas Henry Huxley 1825-1895)のようにダーウィンの理論は目的論と激しく対立すると考える者もいれば、ケリカー(Rudolf Albert von Kölliker 1817-1905)のようにダーウィンを純粋な目的論者として捉える者、さらにはダーウィンの理論を自然神学を基礎づけるための枠組みとして扱う者までいます。ダーウィンを非目的論者とする説の根拠は、自然淘汰はあらかじめ設定された到達点を持たないということによっており、これは『種の起源』におけるダーウィンの主張を重視した立場です。他方でダーウィンを目的論と結びつける主張は、ダーウィンが自然界の生物が持つ技巧の中にある種の意図を見ているという点に立脚しており、これは「ラン」論文の内容に着目した立場であることが多いとされています。
以上のように、ダーウィンの理論が互いに対立する諸見解を引き起こすことは、ある意味で本人の意図したことでもあったとオケ氏は言います。ダーウィン自身、自分の理論は神学的立場からの解釈も認めるものであるというようなことを述べており、神学的立場と無神論的立場(あるいは目的論と非目的論)との対立を生じさせることは彼の望みではありませんでした。ダーウィンは自らの議論を無神論に対しても自然神学に対しても開かれたものにしており、それが多くの解釈を許容する要因となっている、というのが発表の結論でした。

木島先生とオケ先生
会場の様子

チプリアン・ジェレル講演会(東京大学)(2013)

去る4月22日(月)、15時半より、東京大学本郷キャンパス法文二号館二階教員談話室において、ルーマニア、アレクサンドロル・イオン・クーザ大学のチプリアン・ジェレル先生の講演会が行われました。今回の発表タイトルは、「The Price approach to multi-level selection scenarios and its implications for individual and group selection」でした。(本発表と関連するジェレル先生のご業績の一例として、以下が挙げられます。What Does Multi-level Selection Tell us about the Causal Nature of Natural Selection? [Philosophy Abstracts 7th Annual International Conference on Philosophy 28-31 May 2012, Athens, Greece] )

ベルクソン(1859-1941)における「行為」に関する研究の他に、生物学の哲学にも関心を持っておられるジェレル先生による本発表では、「自然選択」の理論における、「群選択」や「個体選択」の議論を解説しながら、ソーバー(1948-)とウィルソン(1949-)が提唱した「マルチレベル選択 」について検討しました。

生物は、種の保存を目的として行動するという前提に立つ場合、「自然選択」は、個体よりも種や群れの間に働くと考えるのが、「群選択」の捉え方です。そこでは、利他的な行動、つまり、その集団の別の動物や仲間に対して、自分よりも相手を優先する行動をとる個体が多い集団は、存続しやすいと帰結されます。「群選択」の概念は、1950年代に流行しましたが、その後、ドーキンス(1941-)などを中心に批判が生まれ、「自然選択」は、個体に対して働くという見方が強くなりました。その最も有力な議論が、「包括的適応度理論」です。こうして、「群選択」の考え方は後退していきましたが、「自然選択」を家族や個体や遺伝子など様々な階層で働くものとして、つまり、マルチなレベルで働くものとして考える時、「群選択」を復活させることができるのではないかと考えたのが、ソーバーやウィルソンでした。

本発表は、非常に専門的な内容であり、会場には、哲学だけでなく、生物学研究をされている方も参加され、この分野における最新の研究動向を知る貴重な機会となりました。

ジェレル先生と鈴木泉先生(司会)
会場の様子
ジェレル先生

チプリアン・ジェレル先生の授業 (2013)

ルーマニア、アレクサンドロル・イオン・クーザ大学のチプリアン・ジェレル先生の6回にわたる授業が開講されました。今回のテーマは、「Aspects de la causalité dans les débats actuels sur la théorie de l'évolution」であり、進化論の問題を中心に、この分野における研究史の解説が主になされました。(本講義と関連するジェレル先生のご業績の一例として、以下が挙げられます。Causal partitioning and causal status in multi-level natural selection[Evidence and Causality in the Sciences Canterbury, 5-7 September 2012]by the Centre for Reasoning at the University of Kent )

本講義において、生物学初心者である筆者が、最も興味を抱いた内容を二つ挙げると、一つ目は、ダーウイン(1809-1882)以来の進化論における、「自然選択」という概念を、どのように捉えるべきなのか、つまり、「自然選択」を偶然的な性格のものとして解釈すべきなのか、それとも、生物学の哲学において盛んに議論されてきたように、より因果的に説明すべきなのか、という難問です。二つ目は、1950年代頃から続いている、「自然選択」における、「群選択」と「個体選択」の議論において、どちらの解釈がより説得力を持っているのか、という問題です。

実際に、本講義を聴講して印象深かったのは、上記の諸問題に関する現在の研究動向は、筆者が思っていたよりも、より緻密になっているということでした。例えば、後者については、ソーバー(1948-)とウィルソン(1949-)が提唱した「マルチレベル選択」という考えに依拠すると、これまでの「個体選択」と「群選択」の諸理論のうち、どちらかを一方的に支持するのは困難であることを感じました。さらに、「因果性」の問題については、アメリカの集団遺伝学者 であったジョージ・プライス(1922-1975)の考案した「プライスの公式」と「マルチレベル選択」の関連を通して、この問題に鋭く迫れることを知り、また、その妥当性を考察することに、ジェレル先生は、強いご関心をお持ちであることも窺われました。

本講義は、生物学の専門的な内容であったにもかかわらず、ジェレル先生の理解しやすい解説により、この分野における本質的な問題と、それに対してなされた様々なアプローチ方法を、詳しく知ることができました。


ジェレル先生

フロランス・ケマックス先生の授業 (2013)

4月8日から19日までの二週間、フロランス・ケマックス(Florence Caeymaex)先生による現象学の講義(全六回)が行われました。講義の中心的テーマは「有限性(finitude)」とされていましたが、主な内容はフッサール(Edmund Husserl 1859-1938)に始まる現象学の成り立ちと、それがハイデガー(Martin Heidegger 1889-1976)やサルトル(Jean-Paul Sartre 1905-1980)、メルロ=ポンティ(Maurice Merleau-Ponty 1908-1961)などの思想とどのような繋がりを持つかについての説明でした。テーマに沿ってひとつの議論を展開するというよりは、現象学についての概説という印象を受けました。

第一回と第二回は有限性の概念を巡る歴史的・思想的な変遷を解説するため、ミシェル・フーコー(Michel Foucault 1926-1984)の『言葉と物』(Les mots et les choses)、およびメルロ=ポンティの『知覚の現象学』(Phénoménologie de la perception)が扱われていました。フーコーは『言葉と物』の中で「人間」という概念の歴史的な成り立ちを明らかにしようと試みていますが、それによると有限の存在としての人間という認識が成立したのは近代(特にカント)以降でした。近代において人間は自らを他の生物たちと同様にひとつの歴史的産物として認識するようになり、人間の有限性というテーマが浮上することになります。近代の哲学もまた、この有限性の認識の上に築かれており、その代表的なものとしてフーコーが挙げているのが現象学です。

第三回と第四回の講義ではハイデガーの『カントと形而上学の問題』(Kant et le problème de la métaphysique)を中心として、ハイデガーが人間の有限性をカント哲学の中心命題として捉えていたこと、またハイデガー自身の哲学もこの有限性を基盤として築かれていったものであることが解説されていました。

第五回と第六回の講義ではフランスの現象学(主にサルトル)を扱い、それがフッサールの思想とどのように異なっているかを学びました。フッサールは我々の自然的な態度が知覚に加えている判断を停止(épochè)し、あらゆる知覚物、ひいては世界それ自体の存在を「括弧に入れる(mettre en parenthèse)」ことで、物事のありのままの認識に辿り着こうとしました。現象学的還元(réduction phénoménologique)と呼ばれるこの手続きによって、フッサールは知覚経験が持つ二つの本質的特性を発見しました。ひとつは絶対的な意識作用である「超越論的主観性(subjectivité transcendantale)」、もうひとつは意識の「志向性(intentionnalité)」、すなわち意識は常に何かについての意識であるという事実です。フッサールにとってこの超越論的主観性は経験の基礎となる第一の明証(évidence)ですが、この主観性が示しているのは自分自身の経験のみであり、他者の存在、また世界の存在を確証するような必然性をもたらしてはくれません。しかし意識は常に志向性を持っています。よってフッサールの思想において意識経験は常に世界へと向かって展開していく、開かれた歩みとして定義されることになります。
サルトルやメルロ=ポンティをはじめとするフランスの現象学者はある部分までフッサールの現象学を継承していますが、その関心は主に意識の志向性にあり、超越論的主観性は彼らにとって疑わしいものでした。またフッサールの現象学は学問の基礎を打ち立てるという意図を持っていましたが、サルトルにもメルロ=ポンティにもそのような意図は見られません。フランスの現象学において意識は受動的かつ有限であり、フッサールにおけるような絶対的な性格は消滅しています。
ここから講義では最後にサルトルに焦点を当て、その思想が人間の有限性に基礎を置いて築き上げられていることを明らかにしています。サルトルは現象学的還元を批判して、自然的態度を停止することなどできないと述べていますが、それは現象学的態度の中で発見される主観性も志向された対象であることに変わりはなく、フッサールの言うような超越論的主観性は成立しないからです。意識作用は自我やコギトといったような主観性を前提とせず、意識の存在は偶然的であるというのがサルトルの考えです。サルトルは『存在と無(L'Etre et le néant)』の中で、意識は実質(substance)を持たないものであり、自己への同一化(identité à soi)を常に拒否する無化(néantisation)の動きであることを本質とすると述べています。一方では、意識は何かについての意識であり、常にこの世界の何かを志向しています。それはつまり、自らを正当化してくれるような何物かを求めるということを意味します。しかし他方で、そうして意識に与えられるのは自分が選んだわけではない数々の状況であり、意識の本質はそのような偶然的状況から逃走することにあります。与えられた状況をそのまま受け入れ、ただ存在している物質から意識が区別されるのは、意識が存在の拒否であるからです。サルトルは意識のこのようなあり方を自由と呼んでいますが、この自由は存在論的条件であり、意識存在(人間)は自由であることから逃れられないため、自由は意識存在を限界づけるものでもあることになります。このようにサルトルは意識存在(人間)を、相反する要素の間で板挟みにされた存在として提示しているのです。

ケマックス先生
ケマックス先生の授業

チエリー・オケ先生の授業 (2013)

4月15日の午後、リヨン第三大学教授のチエリー・オケ(Thierry Hoquet)先生による一日だけの講義(全二回)が行われました。

この講義はチャールズ・ダーウィン(Charles Darwin 1809-1882)の進化論を扱っていますが、その中でも特に「性淘汰(sélection sexuelle)」と呼ばれる概念がテーマです。ダーウィンの自然淘汰(sélection naturelle)はよく知られていますが、性淘汰はその自然淘汰からの派生概念であり、メスを獲得するために同種族のオスが争うことを意味します。ダーウィンの著作において、この概念は『種の起源(Origin of species)』(1859年)では軽く触れられているだけですが、後の『人の由来(The Descent of Man)』(1871年)では中心的なテーマになっています。

性淘汰の特徴はどこにあるのでしょうか。自然淘汰(あるいは自然選択)はまず何よりも「生存のための争い」ですが、生存を左右するのは環境への適応であるため、「争い」といっても比喩的な意味のものでしかなく、また「選択」といっても選択をする何者かが存在するわけではありません。これに対して性淘汰は実際にオス同士が争い、また勝者を選択する者としてのメスが存在します。そして自然淘汰と違って敗者には死ではなく、子孫を残すことの困難という形での不利が生じます。

今日、性淘汰は自然淘汰の最も本質的な形態と見なされていますが、ダーウィンが性淘汰を提唱したのはあくまで、自然淘汰の概念に伴ういくつかの困難に対する説明仮説としてでした。たとえば、緑地のない地域に生息している鳥が、緑色のクチバシを持っているということがあります。クチバシの色は身を隠すのを困難にするだけで、生存に有利な特性ではないため、なぜこんな色をしているのか、自然淘汰では説明がつきません。そうした生存のためには不利な装飾的性質が存在することに対して「メスの気を引くため」という説明を与えるのが性淘汰です。性淘汰は同種の生物においてオスとメスの姿が異なるという現象(dimorphisme)を生み、それは武器または装飾(クチバシや羽の色など)の発展という形で表現されることになります。ジョン・ベイトマン(John Bateman 1919-1996)はハエの観察実験から、オスの繁殖成功度は環境に依存するがメスの繁殖成功度は環境に無関係であることを発見し、その原因はオスとメスの役割の違いにあると結論しました。ベイトマンによると、オスは繁殖の相手を選ばず誰とでも交尾するのに対して、メスは繁殖により大きなエネルギーを注ぐため慎重に相手を選ぶ性質を持っています。これが性淘汰の原因ということになります。

オスは互いに争い、メスはオスを選ぶという性ごとの役割は一見対称的に思えますが、実は違います。オス同士の争いはオスが用いる武器の発展を促すのだし、メスによる選択が促す発展もまた、オスの装飾でしかありません。つまり性淘汰が働きかけるのは基本的にオスに対してのみなのです。このような性淘汰の考え方はアントワネット・ブラックウェル(Antoinette Blackwell 1825-1921)やサラ・ブラファー・ハーディー(Sarah Blaffer Hrdy 1946-)などによって、主にフェミニストの観点から多くの批判を受けています。性淘汰の考えに従うなら、女は進化してこなかったということになるからです。特にロバート・ストーラー(Robert Stoller 1924-1991)が提唱したジェンダー(社会的に形成されたものとしての性)の概念は、我々が(生物学的な)性について語っているときも、そこにはすでに社会的な要素が紛れ込んでいることを明らかにしました。それはつまり我々が生物学的な必然だと思っていることも、実は歴史的に構築されたものにすぎないということです。たとえば古代において男性器と女性器は同じものを違う形で表していると考えられており、男と女は明確に区別されていませんでした。したがって「男と女」という区分自体が、すでに社会的なものを含んで成立しているということになります。

以上のことを踏まえると、ダーウィン/ベイトマンの性淘汰モデルは不十分であり、拡張される必要があることになります。しかしこの必要性はフェミニズムの観点からの要請ではなく、むしろ単純に旧来のモデルが事実に反していることによります。大部分の生物種においてメスが繁殖により多くのエネルギーを費やしているというベイトマンの主張は、哺乳類に限って言えば正しくても、他の類では必ずしも当てはまりません。鳥類の場合、卵を産むのはメスの仕事でも、孵化や産まれてきた子供の世話はオスの仕事であることが少なくないのです。

講義では最後に、生物の性的関係について語ることに伴ういくつかの問題点が指摘されていました。たとえば性淘汰においてメスがオスを選ぶという場合、いったい何を基準に選ぶのか?一般的に生物学では「子孫を残す能力」がその基準だとされていますが、このような統一的な基準を設けることは、同じ性別の個体は全員が同じ基準で配偶者を選ぶと想定することであり、個体間の差異を考慮に入れていません。それに性行為と繁殖行為は同じものではありません。多くの生物種に同性愛的な振る舞いが見られるという事実も、性的関係が繁殖のみを目的としたものではないことを示しています。問題は結局、擬人化(anthropomorphisme)にあります。自然界の現象を観察する際、我々はどうしてもそこに自分たちの視点を当てはめてしまうからです。たとえばある鳥のメスが最初に交尾したオスを離れて別のオスと交尾することを「寝取られる(cocuage)」と呼ぶように、我々は社会的に構築された観点を用いて自然界の出来事を語っています。ここには自然を社会化してしまう危険性があると同時に、反対に社会を自然化してしまう危険性もあります。人間社会の行動に生物学的起源を求めると、たとえばレイプも結局は繁殖のための一戦略にすぎず、何ら異常な行為ではないという結論が可能になってしまうのです。

我々はこの問題にどう対処すればいいのでしょうか?生物学それ自体を社会的産物にすぎないものとして捨て去ってしまうのでないとしたら、我々は生物学を生物学者だけに任せておくことはできない、とオケ先生は言います。自然化の危機を避けるためには、生物学が自然について語る仕方に常に注意しておかなければならないからです。


オケ先生

ロッコ・ロンキ講演会(東京大学)(2013)

去る4月10日(水)18時より、東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルームにおいて、イタリア、ラクイラ大学のロッコ・ロンキ先生の講演会が行われました。今回の発表タイトルは、「盲目の直観―現代思想における精神分析と現象学の討論」でした。

本発表でロンキ氏は、まず、フロイト(1856-1939)が唱えた「無意識」について言及し、その発見と、後にラカン(1901-1981)の言う「現実的なもの」(le Réel) との関連を示唆しました。この「現実的なもの」の性質を明らかにするため、時代と分野を遡り、カント(1724-1804)が『純粋理性批判』(第1版1781年、第2版1787年)において記した「概念なき直観は盲目である」という一節の「盲目の直観」(l'intuition aveugle)という言葉に着目し、それを「視ること」(un regarder)と捉えました。その後、ハイデガー(1889-1976)における「アレーテイア」(αλήθεια)の概念、ベルクソン(1859-1941)の「イマージュ」、ドゥルーズ(1925-1995)の『シネマI』(1983)の議論などを辿った後、再度フロイトに回帰して、彼の「原風景」(Urszene)に触れて、「盲目の直観」についての解釈を深めていきました。

精神分析をはじめ、幅広い学問分野を押さえながら、多様な哲学者が論客として取り上げられた本発表会には、様々な専門領域の研究者の方々が参加され、質疑討論の時間には、異なった観点から多くの意見が交わされる、たいへん興味深い発表会となりました。

ロッコ・ロンキ先生
会場の様子
ロンキ先生と司会を務めた原和之先生

ジャン・ガイヨン講演会(東京大学)(2013)

去る4月6日(土)、16時より、東京大学本郷キャンパス教育学部第一会議室において、パリ第1大学のジャン・ガイヨン先生の講演会が行われました。今回の発表タイトルは、「エンハンスメント問題を巡って」(Autour du probleme de l'amélioration humaine)でした。(本発表の基礎となったガイヨン先生のご業績として、以下が挙げられます。Simone Bateman et Jean Gayon, « L'amélioration humaine : trois usages, trois enjeux », Médecine/Sciences, n° 10, vol. 28 (octobre 2012), 887-891.)

「ヒューマン・エンハンスメント」とは、脳神経科学や、細胞生物学などをベースに、人間のもつ知的および身体的能力を、現在の状態から改善させることを意味します。ガイヨン先生の発表の目的は、それが私たち人間にどのような結果をもたらすのかについて、今日に至るまでの研究動向を検討しながら、総合的に考察することにありました。ここでは、特に、「人間能力」(capacités humaines)、「人間性」(la nature humaine)、「自己」(soi)という異質な三つの観点に注目しつつ、議論が進められました。

第一の「人間能力」の改善については、人類を遺伝的・技術的な介入によって進化させることを前提としています。特徴的な事例として、薬学において、医療的な手段を非医療的に拡大して適用した上での、成長ホルモンの投与による身体の成長や、アルツハイマー病の薬による記憶能力の増大などが挙げられます。

第二の「人間性」の改善については、抽象的な言説にその起源が認められるだけでなく、これは、哲学や政治、道徳、宗教など様々な領域にも関連していきます。具体例として、コンドルセ Condorcet(1743-1794)の進歩の観念や、優生学におけるフランシス・ゴルトン Francis Galton(1822-1911)の議論、近年では、ジョージ・アナス George Annasや、応用倫理学におけるジョン・ハリス John Harrisの著作について説明がありました。

第三の「自己」の改善について、これは主に、個人についての主観的解釈に依拠しており、「自己同一性」の探究がその根底にあると言えます。とりわけ、エンハンスメントの文脈において、自己の改善は、薬などによって、人格の変化を図ることにより、自分の状態をより良くしたい、という人間の本性的欲求に基づいていると考えられます。しかし他方で、そのことが自己同一性を危機にさらすことにもなりかねないという、逆説的な意味合いも、この問題は含んでいます。

以上、近年、世界的に注目を集めるエンハンスメントは、人類に多くの恩恵をもたらすと言われる一方で、多くの倫理的問題も引き起こすと考えられており、発表後の質疑応答の時間には、賛否両論を孕んだこの概念について、IPS細胞など最新科学技術の話題にも触れながら、様々な意見が飛び交いました。フランスの科学認識論(エピステモロジー)を代表する研究者にふさわしい、明快かつ緻密な報告となりました。

ガイヨン先生
会場の様子
質疑の時間、右から、安孫子信先生、ケメック先生、ロンキ先生
ガイヨン先生と司会の金森修先生

ロッコ・ロンキ先生の授業 (2013)

イタリア、ラクイラ大学のロッコ・ロンキ先生の6回にわたる授業が開講されました。講義のテーマは、「絶対的内在について」でした。ベルクソンをはじめとする哲学を専門としておられるロンキ先生は、「絶対的内在」の観点から「生成」(devenir)の観念の刷新に取り組んでおられます。近年のご業績の一例として、以下が挙げられます。Filosofia della comunicazione (Bollati Boringhieri, Torino, 2008)、Filosofia teoretica. Un'introduzione (Utet, Torino, 2009)、Bergson. Una sintesi (Marinotti, Milano, 2011)、Come fare. Per una resistenza filosofica (Feltrinelli, Milano, 2012)

今回の授業の概要として、まず、ベルクソン(1859-1941)の『形而上学入門』(1903)と、ハイデガー(1889-1976)の『カントと形而上学の問題』(1929)を主に参照しながら、「形而上学」について解説がなされました。その後、ベルクソンの議論を中心に言及しつつ、「絶対」(absolu) 、「直観」(intuition)などのキーワードを挙げて、ベルクソンによる形而上学批判について、また、ベルクソンが「充足」(plénitude)、「継続性」(continuité)について、どう捉え直していったのかについて説明がありました。講義の後半では、アリストテレスも参照しながら、「生成」(devenir)や「個体性」(individuation)、「行為」(acte)、「生けるもの」(vivant)といった諸問題を取り上げ、「絶対的内在」に関するロンキ先生の解釈が提示されていきました。講義内容と関連した現代フランス哲学では、ドゥルーズ(1925-1995)の『シネマI』(1983)、ミシェル・アンリ(1922-2002)の「自己触発」(auto-affection)などにも話題がおよびました。

「形而上学」という哲学の主要分野を掲げた本講義は、多くの哲学者を取り上げながらも、主張は非常に明快な講義であり、授業最終日の夜に開催された東京大学での講演会とも併せて、ロンキ先生のこれまでの研究成果の一端を垣間見ることができました。

ロッコ・ロンキ先生
質疑に答えるロンキ先生

ジャン・ガイヨン講演会(法政大学)(2013)

4月5日、ジャン・ガイヨン先生の講演会が法政大学にて行われました。講演は英語(通訳者付き)で行われ、日本語に翻訳された原稿が来場者に配られました。

講演のテーマは「酸素は機能を持つか?」です。生物学においては「機能(function)」の概念がほとんどあらゆる研究対象に適用されており、生物の器官(内臓など)から細胞、分子に至るまでが「それがどのような機能を果たすためのものか」という観点から考察されています。それどころか、より大きな枠、生物種や生態系のような枠組みにもこの機能モデルは用いられています。本講演で提起された主要な問題は、ある単位をそれが持つ機能へと帰属させるこのような態度が、必ずしも自明のものではないということです。

生物学における「機能」という言葉の定義には大きく分けて二つあります。ひとつは「システム説(systemic theory)」と呼ばれるもので、これはある器官の機能は、その生物を取り巻くより大きな系に対して果たしている因果的役割によって定義されるというものです。もうひとつは「淘汰事由説(etiological theory)」で、この理論によれば、ある器官の機能は生存を有利にするものとして、自然淘汰によって残されたものを指すことになります。本講演ではこれら二つの理論をそれぞれ「原子と基本分子」、「生物個体」および「種」という単位に当てはめ、それらが機能を持つと言えるのかどうかの検討がなされました。

まず基本分子のレベルで考えると、たとえば酸素は機能を持つと言えるのか?淘汰事由説においては、そのようなことは主張できません。たしかに酸素濃度は生物の生存に影響を与えますが、淘汰によって残されてきたのは環境中の酸素を利用する生物の能力であって、酸素の存在それ自体ではないのです。それに対してシステム説では、酸素はより大きな系(たとえば呼吸のプロセス)が成立するための構成部分として、機能を持つとはっきり言うことができます。

生物個体や種に関しても、結果は似たようなものとなります。自然淘汰によって保存されるのは通常、生物個体が生存するために有利な性質に限られます。つまり個体を超えたスケールでは、自然淘汰は起きないのです。したがって淘汰事由説においては、自然淘汰を特殊な仕方で解釈するのでもなければ、個体、あるいは種が機能を持つと言うことはできません。一方でシステム説に従うなら、このような問題は起きません。生物個体はそれが属する種に対して一定の役割を果たしていると考えられるし、種それ自体も生物圏(biosphere)の中で何らかの機能を持っていると言えるからです。

淘汰事由説が小さすぎる単位(原子や分子)あるいは大きすぎる単位(個体や種)に対して機能を帰属させることができないのは、この説の欠陥よりは、むしろ長所を示しているとガイヨン先生は主張します。システム説が一見うまくいっているように思えるのは、単にそれが具体性を欠いているからであって、機能の概念を正当化する原理としては、システム説では不十分なのです。淘汰事由説はより厳密な理論であり、それだけに障害も多いというわけです。

講演の結論は、もし淘汰事由説が正しいとすれば、機能という概念それ自体が自然淘汰の理論に依存するものになるということです。つまり、ある物が何らかの機能を持つ、と述べることは、その物が進化論的な起源を持つことを前提としていることになるのです。

本講演は前日までに行われた授業の集大成とでも言うべき密度の濃い内容で、生物学という学問の本質的なあいまいさと、その進化論との密接な関わりを垣間見ることができたように思います。

会場の様子
右から、ジャン・ガイヨン先生、木島泰三さん(通訳)

ジャン・ガイヨン先生の授業 (2013)

4月2日から4日までの三日間、ジャン・ガイヨン(Jean Gayon)先生の講義が行われました。
ガイヨン先生は生物学を専門とする科学哲学者で、今回の講義は生物学において用いられている諸概念が抱える哲学的問題をテーマとしています。

一日目のテーマは「法則(loi)の概念は生物学に適用可能か」でした。法則とは古くは数学の概念であり、後に物理学や化学において適用されるようになったものです。しかし科学における法則はまず理論上の必然性(necéssité)から生まれるものであり、経験に基づくものであるとは限りません。例えば落体の法則をガリレオが発見した時代、物体がどのように落下するのかを正確に計測する方法は存在しませんでした。したがってこの法則は理論上の要請に基づくものであったということになります。法則の概念を生物学に適用する際に問題となるのは、生物学にこのような「必然性」が存在するのかどうかという点です。これに対してノーと答えたのがオーストラリアの哲学者J・J・C・スマート(John Jamieson Carswell Smart 1920-2012)です。スマートによれば、生物学には一般化(generalisation)はあっても法則(law)は存在しません。なぜなら生物学が扱う対象は分類学上の特定の種であり、そこに見出される規則性が普遍化可能なものであるという保証はどこにもないからです。実際、生物学の領域で起きることの大部分には例外が存在します。またたとえ例外が発見されていないとしても、ある生物が与えられた環境とはまったく異なる条件においても同様の性質を持つかどうかを知ることはできません。つまり生物学においては一見法則と思えるものも、実は「事実上の普遍性(universalité de facto)」以上のものではなく、そこに論理的必然性を見出すのは困難です。したがって結論としては、生物学に法則は存在しない可能性が高いということになります。ガイヨン先生は、生物学で法則に近いものが存在するとすれば、おそらくそれは自然淘汰のような動的なものに求められるべきだろうと述べています。

二日目は「モデル(modèle)」とその方法論についての問題を扱いました。モデルは様々な分野で使われる方法で、たとえば模型を使って飛行機の仕組みを研究するといったものがこれに当たりますが、その特徴は自然界の物体や現象への「類似(analogie)」に基づいたシステムを利用するという点にあります。生物学においては13世紀にロジャー・ベーコン(1214-1294)が使用した「カメラ・オブスクラ(camera obscura 穴を開けた箱を用いて視覚の仕組みを再現した装置)」や、DNAのらせん模型などがありますが、これらはどれも直接には知ることのできないものを、類似した仕組みを用いることで間接的に研究できるようにしたものです。生物学者はこうしたモデルに基づいてひとつの仮説を立て、そこから理論を構築しようと試みますが、このときモデルがしばしば仮説や理論それ自体と混同される、という問題が起きます。このため生物学の仮説は、それがいかなるモデルに基づいているのかが曖昧であることが少なくないとされています。

三日目は「機能(fonction)」の概念とそれが抱える問題を扱いました。機能は生物学の領域における支配的な概念であり、ほとんどあらゆるものが機能の観点から、すなわち「それは何をするためのものなのか」という観点から考察されます。ある物体や現象を、それが果たしている機能によって定義するこの考え方を「機能帰属(attribution fonctionelle)」と呼びます。この考え方の問題は、ある物体や現象が果たしている機能を、その物体や現象が存在している理由とみなしてしまうことです。たとえば「心臓の機能は血液を送り出すことである」と述べることは、同時に「心臓は血液を送り出すからこそ存在している」ということでもあります。しかし他の科学、たとえば化学においては「電子の役割は原子同士の結合を可能にすることである(=電子は原子を結合させるために存在している)」などということは言えません。生物学では事実上の結果(血液を送ること)から現象それ自体(心臓の存在理由)を説明するということが行われているわけです。
機能の概念に対する説明原理として、この授業ではラリー・ライト(Larry Wright)の「事由論(théorie étiologique)」とロバート・カミンズ(Robert Cummins)の「システム論(théorie systémique)」が挙げられていました。この二つについて詳しく説明するのは避けますが、これらの理論を見ていくことでわかるのは、機能という概念が何であるのかは、それを説明する原理に大きく依存しており、機能についての統一的な定義は今のところ存在しないということです。これは機能という概念それ自体が相対的なものであることを示唆しています。

ガイヨン先生

開幕《ユーロフィロソフィー》2013 (2013)

去る4月1日、2013年度 EUエラスムス・ムンドゥス修士課程《ユーロフィロソフィー》法政プログラムがスタートしました。

桜も満開のこの日、まず初めに、今回ヨーロッパから来日した教員と学生を対象とした、オリエンテーションと図書館ツアーが行われました。今回の日本での滞在に臨むべく、オリエンテーションでの説明に耳を傾けた後、一行は図書館に移動し、利用方法などを確認し、その後、書庫に入って西洋哲学関係の蔵書の見学を行いました。

オリエンテーションの様子
洋書を閲覧する教員たち

続いて夕方からは、ボアソナードタワー26階ラウンジにて、レセプションが行われました。本プログラムの日本側責任者である文学部安孫子信教授の司会の下、はじめに、増田壽男総長による挨拶が行われました。増田総長からは、国際化を目指す法政大学にとって、《ユーロフィロソフィー》の本学での展開は意義深く、その運営に携わる他大学を含む関係者には深い謝意を表したい旨が語られました。続いて挨拶に立った、駐日欧州連合代表部のエリック・ハーメリンク氏、フランス大使館文化部のカトリーヌ・ドロゼフスキー氏からは、西洋文化の核に位置づく哲学の、世界に向けての本格的教育を、日本の教育機関が担い行っていることの画期的な意義が語られました。

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反省会と閉会パーティー (2012)

3か月にわたる≪ユーロフィロソフィ≫2012年度プログラムは6月末をもって幕となりました。それに先立つ6月27日(水)には、法政大学ボアソナードタワー25階で、今年度の反省会および最後の懇親会が実施されました。

反省会には、学生と授業担当の日本の先生方だけではなく、法政大学国際交流センターや大学院のスタッフ、さらにはスカイプを通じてフランスからアルノー・フランソワ先生も加わりました。今回初の3か月というプログラム期間と見比べての、授業や生活のあり方について、様々な反省点と来年度に向けた具体的な対応が話し合われました。

その後、法政大学の福田好郎常務理事も出席されて、最後の懇親会が行われました。長丁場の授業やワークショップを無事に乗り切り、異国日本の文化や国民性にも十分に慣れ親しんだという安堵と満足感とを、4名の学生それぞれの表情に読み取ることができました。そうした彼らには、前途を祝し、健闘を祈る言葉が多々寄せられていました。3ヶ月にわたって育まれた友情と親交とが再確認され、近い将来の再会が約されて、懇親会も幕となりました。

*本年度のプログラムは、みなさまのご協力で無事に終了しました。このブログも今回が最終回です。ただ、来春には次年度のプログラムがさらに進化を遂げて実施されます。引き続いての皆様のご支援ご協力をよろしくお願いいたします。


反省会における安孫子先生と金森先生
感想を述べる留学生
反省会の様子
乾杯の様子[左から、福田理事、金森先生、鈴木先生、安孫子先生]
福田理事を囲む学生たち
パーティー会場
記念品を受け取る学生たち

学生たちによるワークショップ (東京大学) (2012)

さる6月2日、学生たちによるワークショップが、東京大学文学部(本郷キャンパス)法文二号館二階教員談話室において、開催されました。

ヨーロッパからの学生4人と日本の学生4人の計8人を発表者とし、司会も含めて学生たちが主体となって進められました。

ベルクソン(1859-1941)やメルロ=ポンティ(1908-1961)、レヴィナス(1906-1995)やデリダ(1930- 2004)、リクール(1913- 2005)といった現代フランス哲学から、ヘーゲルやフッサールといったドイツ系の哲学者、さらには中国の荘子に至るまで、歴史および洋の東西を限定せず、バラエティに富んだ哲学者が主題とされ、時間を大幅に超過して発表と議論が果敢に続けられました。

このワークショップは、ほぼ同世代の各国の大学生が、哲学における自らの関心・テーマを発表し合うことにより、本プログラムの「越境」の理念を公に体現するひと時となりました。日本人学生にとっては、日本国内で、フランス語のみで、レジュメを用意し、発表し、質疑に応じるというレベルの高い貴重な体験が与えられ、留学生にとっては、現代の日本における哲学の一役を担う若き研究者たちが、どのような環境で各人の研究生活を送っているのか、発表内容だけでは知りえない、学問における同胞たちの境遇も目の当たりにする、という機会に恵まれました。

本プログラムでは、次年度以降も、一連の講義に加え、ワークショップを通じた、直接的な文化交流も試みる予定です。(本記事作成は、東京大学の木山さんにもご協力を頂きました)


発表する留学生
会場

授業風景その12 (2012)

立教大学の河野哲也先生の3回にわたる講義が開講されました。

本講義のテーマは「現象学と心の哲学」でした。

ここではまず、アメリカ人心理学者のJ. J.ギブソン(1904-1979)について、彼の主著『生態学的視覚論』(1979)を中心に、「直接知覚論」というギブソンの立場とその核をなす「アフォーダンス」の概念、さらに、ギブソンにおける「エコロジー」、「環境」の問題などが説明されました。(この主題に関する河野先生の著作の一例として以下が上梓されています。『エコロジカルな心の哲学:ギブソンの実在論より』勁草書房、2003年)

さらに、アンディ・クラークとデイビッド・チャーマーズによって提起された「拡張した心」という概念について解説がなされました。人間の心について考えるうえで、身体性と環境との関係を切り離すことはできないという「拡張した心」は、ギブソンの議論に通じており、ギブソンの「生態学的心理学」は、この「拡張した心」の先駆のひとつと言えます。(このテーマに関する河野先生の著作の一例として以下が上梓されています。『意識は実在しない:心・知覚・自由』講談社選書メチエ、2011年)

本講義では、動物の行動に関する環境の特性を指す「アフォーダンス」というギブソンの概念の説明を中心に、さらにはそうした理念が、「ユニヴァーサルデザイン」のように、いかに現代社会に応用されているのかについても学ぶことができました。


河野哲也先生

授業風景その11 (2012)

東京大学の金森修先生の3回にわたる講義が開講されました。

本講義のテーマは「20世紀日本思想史のために」であり、ここではまず、大正期(1912-26)を代表する生理学者である橋田邦彦(1882-1945)が取り上げられ、『生理学要綱』(1923)などの科学的著作が紹介されつつ、道元(1200-1253)を尊敬し、科学を宗教的実践と捉えていた橋田における、科学と禅宗の関係や、「行としての科学」といった構想が、「全機性」という彼の思想的背景を踏まえながら説明されました。なお、橋田の著書でもある『行としての科学』(1939)については、別途ハンドアウトによる紹介がなされ、「物心一如」、「唯観」、「主客未分」といった主要概念の説明により、橋田思想の一元的世界観が浮き彫りとなりました。

次に、戦中期日本の文芸誌『文学界』(1942年9・10月号)の特集記事に掲載された13名の評論家によるシンポジウムである「近代の超克」について紹介がありました。小林秀雄(1902-1983)、西谷啓治(1900-1990)、亀井勝一郎(1907-1966)、吉満義彦(1904-1945) といった当時の名高い思想家の議論が紹介された後、そのうち、下村寅太郎(1902-1995)については、彼の「機械観」をめぐり、金森先生の御業績の一つである論考が発表されました。(SHIMOMURA TORATARŌ ET SA VISION DE LA MACHINE, Ebisu, no. 40-41, Automne 2008 - Été 2009, pp. 115-125)

最後に、戦後を代表する日本人科学哲学者の大森荘蔵(1921-1997)が取り上げられ、『物と心』(1976)などの主著が紹介され、彼の独特な一元論における「立ち現われ」の観念、さらに、『時間と自我』(1992)を中心とする時間論が説明され、同書における「言語的制作としての過去と夢」が、金森先生の仏訳により読み上げられました。

戦時期の日本における思想史の歩みを辿った本講義は、留学生にとって、政治・歴史的観点からも興味深い内容であり、現代日本においても、再考に値する貴重な講義であることを実感しました。


金森修先生

授業風景その10 (2012)

大阪大学の村上靖彦先生の3回にわたる講義が開講されました。

本講義のテーマは「質的研究における現象学」であり、村上先生ご自身が行った看護師・助産師へのインタビューデータを分析するという主旨のもと、フッサール(1859-1938)、ハイデガー(1889-1976) 、レヴィナス(1906-1995) 、マルディネ(1912-)を念頭に置きつつ、配布されたレジュメをもとに議論が進められました。

末期がん患者の緩和ケアや人工妊娠中絶に携わる看護師や助産師との対話の分析を通して、死にゆく人あるいは死者といかにしてコミュニケーションを取るのか、その現象学的構造を探ることが主題となりました。「死への存在」や「原創設」といったいくつかの現象学の概念を具体的な場面と対照させることで、新たな意味を見つけ出す努力を行なっていました。医療現場と現象学を対峙させる手法が、非常に印象深い講義でした。(本講義の参考となる村上先生の御業績の一例として以下が挙げられます。Yasuhiko Murakami,« La gravite et l'eau. - Dialogue avec un patient atteint de la SLA »,Annales de phénoménologie,vol.11, pp.169-179,2012. 『傷と再生の現象学』青土社、2011)


村上靖彦先生

授業風景その9 (2012)

九州産業大学の藤田尚志先生の3回にわたる講義が開講されました。

本講義のテーマは「ベルクソン哲学入門――レヴィナス、ドゥルーズとの対決を通して」でした。

本講義ではまず、「ベルクソンとレヴィナスにおける『物質と記憶』」と題するレジュメが配布され、ベルクソン(1859-1941)とレヴィナス(1906-1995)に焦点が当てられました。

まず、前期レヴィナスは、ハイデガー(1889-1976)の問題を乗り越える試みの中で、「ある」や「多産性」といった概念を作りましたが、彼はベルクソンの「無の観念の批判」や「エラン・ヴィタル」などの議論に影響を受けつつも、これらを批判することで、自らの「物質性=質料性」論を構想しているという点が指摘されました。こうして前期の主著『全体性と無限』(1961)の可能性と限界が浮き彫りにされると同時に、ベルグソンの『創造的進化』(1907)における質料性の議論について、その問題点を乗り越える方向が見出されました。

次に、この比較研究の延長線上で、後期レヴィナスの主著『存在するとは別の仕方で』(1974)などで展開される、「記憶/記憶を絶したもの」という概念対について、説明がありました。後期ベルクソンにおけるこれに対応する概念対として、『道徳と宗教の二源泉』(1932)における、「閉じたもの/開いたもの」が挙げられ、前期ベルクソンの『物質と記憶』(1896)の「感覚運動的記憶/純粋記憶」という概念対との関係とともに、レヴィナスとの共通点と差異が示され、これらの議論を整理する過程で、ベルクソン哲学の「無為」という概念の重要性が強調されました。

さらに、上記の議論を踏まえ、「偽なるものの力と記憶の無為―ドゥルーズか、ベルクソンか」というレジュメが配布され、ベルクソンとドゥルーズ(1925-1995)の親和性や類似性ではなく、根本的な差異を取り出そうとする試みが展開されました。ベルクソンにおける「潜在的なものの現働化」から「純粋な潜在性」の論理を抽出する際に、ドゥルーズがベルクソンに対してどのような解釈の暴力を行使しているか、そして、「純粋記憶」の「無力」と「無為」を区別することによって、ベルクソン哲学の根本的な「動的行動性/幽在論」と、奇妙にも見落とされているドゥルーズ哲学の「静的観照性/存在論」との対比を、明確化するという議論が、論拠となる諸テクストの読解とともに示されました。

明確なフランス語による本講義は、ベルクソン哲学の紹介にとどまることなく、フランス本国の研究者と肩を並べる、本プログラムの日本側の教員の水準の高さを物語る機会となりました。(本記事の作成にあたり、東京大学の木山さんにご協力を頂きました)


藤田尚志先生

授業風景その8 (2012)

現在、京都大学で研究生をされているヴァンサン・ジロー先生の3回にわたる講義が開講されました。

本講義のテーマは「西谷啓治と形而上学」であり、ここでは、日本の哲学者で、京都学派の西谷啓治(1900-1990)について、彼の著作『宗教とは何か』(1961)を中心に、西田幾多郎(1870-1945) やハイデガー(1889-1976)に師事しながら、西谷がいかに彼らを乗り越えていったのかについて議論が行われました。

筆者の理解した範囲で、本講義における西洋思想との文脈で興味深かったのは、西谷が「ニヒリズム」の克服を目論んだ点でした。西谷は最終的に「大乗仏教」の伝統に根ざした「空」の立場につきましたが、例えば、西谷は著書『ニヒリズム』(1949)において、ハイデガーのニーチェ(1844-1900)解釈を批判的に考察しながら、「ニヒリズム」と「空」の関係を主題的に扱っています。そしてこの「空」を理解するために欠かせないのが「虚無」の観念といえます。というのも、とりわけ、西谷の時間論における「虚無」の位置付けは重要であり、それを踏まえ、『宗教とは何か』で繰り返し強調され、西谷によると、ニヒリズムの真の克服を可能にするのが、「虚無」の立場から「空」の立場への転換だからです。

西谷の時間論は、アウグスティヌスにまで遡ると思われますが、ジロー先生の博士論文が、アウグスティヌスを主題としたものであり、また先生の目下のご関心が、キリスト教と仏教の関係をめぐり、古代西洋哲学から現代東洋思想までを一巡するものであることについて、彼がエラスムスプログラムの理念にかなう研究者であることを実感しました。(ジロー先生の博士論文のタイトルは以下の通りです。Signum et vestigium dans la pensée de saint Augustin. Par Vincent GIRAUD)


ヴァンサン・ジロー先生

授業風景その7 (2012)

法政大学の安孫子信先生の3回にわたる講義が開講されました。

本講義のテーマは「科学の分類と哲学」であり、ここではまず、オーギュスト・コント(1798-1857)について、彼の前期思想を中心に、主著『実証精神論』(1844)などをじっさいに引用しつつ解説が試みられました。

そのあらましとして、ナポレオンの登場により革命を終え、未だ混沌としていた当時のフランスの社会情勢を背景に、まず、コントによると、「内的観察」により「絶対的知識」を追い求める「形而上学的哲学」を含んだ「否定主義」に対抗するのを目的に、コントが自らの哲学として「実証哲学」(即ち、「社会学」)を誕生させた過程を概観しました。

そして、こうした「実証性」を掲げたコントの思想が依拠したのは、「実効ある観察」と、それが求める「法則」でしたが、コントにおける「法則」として広く知られる「三段階の法則」および「分類の法則」についても説明がなされました。(コントに関する安孫子先生の御業績の一例として、以下が挙げられます。『哲学の歴史8 社会の哲学』(共著、中央公論新社、2007年)。Positivism and the Spirituality -Auguste Comte's Biological Philosophy-, in : Annual Review of the Japanese Society of the French Philosophy, No. 5, 2000, in Japanese)

次に、西洋語の「philosophy」の訳語として「哲学」という言葉を創ったことでも知られる、日本を代表する啓蒙家の西周(1829-1897)について紹介がありました。若くして「朱子学」を修め、1862年からオランダに留学し、コントやミル(1806-1873)に深い影響を受けた西が、3年後に帰国した後、ミル、コントの実証主義哲学をモデルとした学問体系を築こうとしたことについて学びました。(西周に関する安孫子先生の学会発表の一例として以下が挙げられます。Nishi Amane et le problème de la classification des sciences, in : International Japan-Studies Library, Hosei University, No.4, 2006, in French)

以上本講義では、19世紀前半の西ヨーロッパにおける「科学」と「哲学」の関係づけ、およびその後の歩みを語る上で、コントの名は確固とした位置を占めていること、そして彼の思想は、はるか日本にも伝播していっただけでなく、その後20世紀のフランスにおいては、ベルグソン(1859-1941)やデュルケーム(1858-1917)にも受け継がれていったという思想史上の重大な転換期について再認識することができました。


安孫子信先生

授業風景その6 (2012)

東京大学の鈴木泉先生の3回にわたる講義が開講されました。

本講義のテーマは「スピノザと現代フランス哲学の諸問題」であり、ここではまず、≪ La philosophie de la ritournelle : Deleuze & Guattari et la pop'music ≫という表題のもと、ジル・ドゥルーズ(1925-1995)とフェリックス・ガタリ(1930-1992)の共著『千のプラトー──資本主義と分裂症』(1980)における「リトルネロ」、「領土」といった概念をめぐり議論がなされました。(このテーマに関する鈴木先生のご業績として、以下の論文が挙げられます。「リトルネロ/リフの哲学 ドゥルーズ&ガタリの音楽論に寄せて」『現代思想』「ドゥルーズ」第36巻第15号、青土社、2008年、pp. 194-203)

また、「力能と<事象性の度合い>――スピノザ『デカルトの哲学原理』第一部定理7 に関する覚書」と題する論考が示され、スピノザ(1632-1677)の『デカルトの哲学原理』(1663) や『形而上学的思想』をテクストとして、デカルト哲学の核心に潜んでいる「力能」概念が『デカルトの哲学原理』においては消え去り、『エチカ』(1677)において浮上する意味について議論が行われました。(この議論の基となった鈴木先生の学会発表として、以下が挙げられます。《 Degrés de réalité 》 et puissance. Remarques sur Principia... I, 7, scolie, Journée d'étude franco-japonaise, 《 Spinoza interprète de Descartes : les Principia Philosophiae Cartesianae 》, Université de Paris I, 2007 年6 月9 日)

さらに『スピノザと表現の問題』(1968)を著したドゥルーズをはじめ、M.ゲルー(1891-1976)、A.ネグリ(1870-1945)、A.マトゥロンといったスピノザ研究を代表する思想家が紹介されたのち、「一義性」「内在」「個体化」といった概念から議論が試みられ、そのうち、筆者が特に関心を抱いたのは、グレゴリー・ジャン氏の専門とする、M.アンリ(1922-2002)の著書『スピノザの幸福』(1944)におけるスピノザの影響であり、「自我」の問題に深く通じる、アンリの「自己触発」といった概念が、いかに解釈されうるのか改めて考えさせられました。

現代フランス哲学を中心に進められた本講義は、本プログラム期間中に東京大学で行われた講演会や学生によるワークショップの内容とも深く関連することで、稔り多い時間となりました。


鈴木泉先生

授業風景その5 (2012)

明治大学の合田正人先生の3回にわたる講義が開講されました。

今回の講義のタイトルは「ディアスポラ・システム論に向けて」であり、この観点から「日本的なもの」を考え直すために、「沖縄学」、「日本の精神医学」、「吉本隆明の思想」が取り上げられました。

本講義ではまず、合田先生が教鞭をとられていたことでも知られる「琉球」「現:沖縄」について地理的な解説に始まり、写真家の比嘉豊光(1950-)、さらには、沖縄に関するエッセーを遺した芸術家の岡本太郎(1911-1996)などにも触れながら、「沖縄学」の始祖とされる民俗学者の伊波普猷(1876-1947)の生涯と著作が紹介されました。伊波の「沖縄学」が明治期日本に移入されていた西洋人文諸科学を前提としているという観点から、言語学では、上田萬年(1867-1937)、イギリスの日本語学者B.H.チェンバレン(1850-1935) 、少壮文法学は、スイスの言語学者ソシュール(1857-1913)、アメリカの哲学者ドナルド・デイヴィッドソン(1917-2003)、人類学では、フランスの神経科学者P.ブローカ(1824-1880)、フランスの人類学者レヴィ=ストロース(1908-2009)などが扱われました。

第二回では、精神医学における「スキゾフレニア」をめぐり、木村敏(1931-)と中井久夫(1934-)が紹介されました。そして、第三回では、今年他界した吉本隆明(1924-2012)の著作『共同幻想論』(1968)について論じられました。(吉本隆明に関する合田先生の著作として、以下が上梓されています。『吉本隆明と柄谷行人』PHP新書、2011年)

本講義は、他国においてだけではなく、日本においても意義深いテーマを立てることにより、エラスムスの学生にとっても、異質な文化領域に触れるような、新鮮かつ貴重な機会となりました。


合田正人先生

授業風景その4 (2012)

EUからの3名の先生による4月の授業も無事合わり、5月の連休を挟み、今回のプログラムは、日本人の先生を中心とした後半戦に入りました。その初めの授業として、東京大学の原和之先生の3回にわたる講義が開講されました。

今回の講義のタイトルは「'欲望'概念のラカンによる練り直しとエディプス・コンプレクスの改鋳」でした。(本講義の基礎となった原先生のご業績として以下の論文が挙げられます。Kazuyuki HARA, Amour et savoir ― Etudes lacaniennes, Collection UTCP, 2011)

本講義ではまず「欲望」の概念をめぐり、フロイト(1856-1939)とラカン(1901-1981)の接点に着目することで、ラカンの学位論文の中心主題ともなった「パラノイヤ」、「エメ」、そして原先生によると、認識論的な水準において「欲望の欲望」を規定する概念であると考えられる「欲望の公準」といった主要キーワードが説明され、次にヘーゲルとラカンとの関係について、主にコジェーブ(1902-1968)のテクスト『ヘーゲル読解入門』(1947)を引用しつつ、考察がなされました。

続いて、「意味作用」をめぐり、ソシュール(1857-1913)とラカンの関係について、主にソシュールの『一般言語学講義』(1916)を中心に検討し、一見ソシュールに依拠しているように見えながらも、「シニィフィエ」に対する「シニフィアン」の優位を説いたラカンが、「シニフィアン連鎖」といった概念により、どのようにソシュールと袂を分けていったのかについて解説がなされました。

そして最後に、ラカンの思索を理解する上で重要な「エディプス・コンプレックス」の概要が述べられ、ラカンの「グラフ」の説明も行われました。

以上、本講義は、プロジェクターと引用資料による丁寧な解説がなされ、本プログラムのフランスからの留学生においても、ラカンの遺した思索の意味が明らかとなりました。


原和之先生

富士山麓での交流 (2012)

4月21日から22日にかけて、法政大学文学部哲学科一年生の一泊研修が、法政大学富士セミナーハウスで行われました。ヨーロッパからの学生たちもそれに同行し、交流のひとときを持ちました。


自己紹介
食事タイム

天気はあいにくで富士山は見られませんでしたが、富士山麓の樹海を散策したり、氷穴を見学したりして、学生たちは、いつもとは一味違った週末を過ごしました。

樹海を望む
氷穴

授業風景その3 (2012)

EUからの教員として、アレクサンドル・シュネル氏に続き、3番手を務めるベルギー・ルーヴァン大学のグレゴリー・ジャン氏の6回にわたる授業が開講されました。

今回の講義のタイトルは「現前の形而上学、情感性、合理性」でした。(ジャン氏の業績のうち、本講義の内容の一部に関するものとして、以下の論文を挙げます。« Histoire et Être. Heidegger et l'esquive du présent », dans Phénice, numéro spécial : « Le Présent », mai 2009, pp. 55-70.)

筆者の理解した限りでの本講義の要点は、以下の通りです。

―ここでは、まず『声と現象』(1967)においてデリダ(1930-2004)が批判した、「現前の形而上学」に焦点があてられます。

―そこにおいて批判の的となったように、ハイデガー(1889-1976)は、『存在と時間』(1927)の中で、「現前」における「過去」の問題を中心に据えた議論を試みたのでした。そのハイデガーの議論は「過去の解放」という意味においては、ミシェル・アンリ(1922-2002)に通じるものがあり、ハイデガーの「死へ臨む存在」にアンリは「発生の現象学」を置き換えた、ということもできます。

―アンリはさらに、これを「自己触発」という概念を使って、さらに先鋭化しようとした印象を受けます。アンリの「自己触発」は、ハイデガーが『カントと形而上学の問題』(1967)で呈示したような、「地平(世界)」を介する「自己触発」とは異なるもので、アンリはそこにおいて、より際立った仕方で「生」の直接的な「情感性」を強調したと言えます。

―しかし、ジャン氏の解釈によると、アンリの思索は、そのようにして、「過去」の内に認められる根源的な次元に「情感性」を見出しつつも、「主観性」と「ア・プリオリ」とのつながりを「情感的」に再定義することで、むしろそこに「合理性」を露呈させている、と言うのです。そして、その場合、そこにおいて生じる「情感性」と「合理性」の関係を理解するために、ジャン氏が手掛かりにしたのは、キルケゴール(1813-1855)でした。

以上、ジャン氏の講義で中心的に扱われたのはミシェル・アンリです。アンリの思想に関する著作や論文は、日本において未だそれほど多くなく、今回、アンリの専門家によって日本でまとまった講義が行われたというのは、大変に貴重な機会であったと感じました。



ジャン氏

グレゴリー・ジャン講演会 (2012)

法政プログラムにおけるEUからの教員の一人で、ベルギー・ルーヴァン大学のグレゴリー・ジャン氏の講演会が、4月16日の15時より、東京大学文学部(本郷キャンパス)法文二号館二階教員談話室にて行われました。

東京大学の鈴木泉先生の司会のもと行われた本講演会のテーマは、「情感性とミシェル・アンリにおける既在性の形而上学」でした。(ミシェル・アンリ(1922-2002)の著作の編者としても知られるジャン氏の業績の一例として、以下の論文が挙げられます。« L'être-soi et l'être-seul : le problème de la solitude dans la phénoménologie de M. Henry », dans PhænEx. Revue de théorie et culture existentialistes et phénoménologiques, Vol. 6, n°2, « La solitude », 2011, pp. 109-130.)

本講演での発表方法は、ミシェル・アンリの主著『顕現の本質』(1963)を手掛かりに、フッサール(1859-1938)、ハイデガー(1889-1976)、デリダ(1930-2004)などを論客として置いて、「現前」、「情感性」、「既在性」といったアンリにおける主要概念の解釈を試みるものでした。

筆者の理解した範囲での本講演の要点は以下になります。

ジャン氏が提起した問題は、デリダが『声と現象』(1967)において批判的にとり上げた「現前の形而上学」の内に、アンリの哲学も入ることになるのか、ということでした。というのも、「生の現象学」を標榜したアンリは、志向性を自己に内在する情感性に重ね合わせて考えましたが、それは自己に「永遠に現前するもの」と見なされたからです。ただジャン氏は、アンリの言うこの「永遠の現前」は、過去を退場させるようなものではなく、反対に「絶対的な過去」のことなのだと主張しました。情感的自己に現前しているのは現在ではなく過去だというわけです。こうしてジャン氏によれば、アンリが展開したのは「現前の形而上学」ではなく、「既在性の形而上学」ということになります。今回の発表においてジャン氏は、アンリ思想の解釈の中心に時間の問題を置いており、私はそこに大変興味深いものを感じました。

およそ一時間におよぶ発表の後、しばしの休憩を挟み、活発な質疑討論の時間がもたれました。この講演会を通じて、ミシェル・アンリの思索の独自性が再評価されることになったのは間違いなく、20日より始まるジャン氏の講義への関心も大変に高まることになりました。


左:ジャン氏、右:鈴木先生
会場

授業風景その2 (2012)

アルノー・フランソワ氏に続いて、アレクサンデル・シュネル氏による6回の授業が開講されました。現在、フランス・パリ第4大学で教鞭をとるシュネル氏の専門は、カントやフィヒテ、シェリングなどのドイツ古典哲学と、フッサールを中心とする独仏の現象学です。

今回の講義のタイトルは、「現代フランス現象学入門(レヴィナスとリシール)」でした。(シュネル氏の今日までの業績のうち、本講義に関するものとして、以下の二著が上梓されています。En face de l'extériorité. Levinas et la question de la subjectivité, coll. « Bibliothèque d'Histoire de la Philosophie - Poche », Paris, Vrin, 2010. Le sens se faisant. Marc Richir et la refondation de la phénoménologie transcendantale, Préface de Guy van Kerckhoven, Bruxelles, Ousia, 2011.)

さて本講義の主な流れを私が理解した限りで、以下、簡単に書かせていただきます。(なおここでは、東京大学の木山さんからも貴重なご教示をいただきました。)

-さまざまな性質の背後にある実体を第一に考える伝統的な存在論を否定し、性質の間の関係や差異、つまり現象にだけ注目するのが現象学だとまずは言うことができる。

-しかし、現代フランス現象学は、マルディネ(1912-)やテンゲリ(1954-)が見るように、この現象の概念のさらに捉え直しを行なっている。すなわち、それまでは、見たり聞いたりする主観の働きに相対的で、主観が広げている地平の内部で生じているのが現象だとされていたのが、現代フランス現象学では、現象が、例えばそうした地平の外部から到来する出来事という形で、捉えられている。

-必ずしも一枚岩ではないが、この新しい流れの中に様々な思想家を置くことができる。ここではレヴィナス(1906-1995)とリシール(1943-)とをとくに取り上げたい。

-まずレヴィナスは、予期されるものを超えた絶対的に他なるものの現れを語る「顔」という概念や、全体性を超える「無限」という概念を提出した。すなわち、そこでは、存在するものは思考の相関者であるだけでなく、さらに思考を基礎付けるものでもあるという、存在と思考との相互の条件づけが語られているのである。

-またリシールは、われわれの世界への関係を、「生成しつつある意味の匿名的で非主観的なプロセス」として理解しようとした。すなわち、彼は、混沌の中で、流動的なものと固定されたものとが相互に運動を行い、その中で「意味の形成」が行われていると主張した。

以上、本講義は、専門家以外では日本においてまだ十分に知られているとは言い難い、現代フランス現象学の動向を詳しく伝えるもので、大変に貴重なものであったと言うことができます。そのためか、毎回、他大からも多く聴講者を集めていました。


シュネル先生
教室
説明するシュネル先生

授業風景その1 (2012)

4月3日から11日にかけて、ユーロフィロソフィーのプログラムとしては最初の授業となる、アルノー・フランソワ教授(フランス、トゥールーズ第二大学)による「科学哲学」の講義が行われました。授業のテーマは「ベルクソン『創造的進化』における諸科学」です。

20世紀初頭において「生の哲学」として一世を風靡したベルクソン(1859-1941)の哲学は、同時代の心理学、物理学、生物学など諸科学の発展と切り離すことはできません。ベルクソンはその著作の中でそのつど科学の諸問題と対峙しながら、自身の哲学的テーマに立ち向かいました。

この6日間にわたる講義では、『創造的進化』(1907)が言及しているダーウィン進化論やネオ・ラマルキズムなどの生物学の進化学説について見取り図が示され、それらに対するベルクソンによる批判の要点が示されました。さらに、生気論と機械論との関係、科学の持つ規約主義的な側面などが問題とされました。

以上の科学の検討を受けて、講義ではさらに、『創造的進化』における中心概念である「生命の躍動(エラン・ヴィタール)」が、また、ベルクソン哲学誕生のきっかけともなった、イギリスの哲学者スペンサー(1820-1903)の進化論哲学へのベルクソンの批判が、扱われました。最後には、時間と持続、空間と運動などベルクソン哲学のキーワードの解説も盛り込まれて、フランソワ先生の講義は、ベルクソン哲学、さらに広く科学と哲学の関係を考えるうえで、とてもスリリングなものになりました。参加者たちとの間で大変活発に質疑応答も行われたことも申し添えます。


授業風景
授業風景

神社めぐりとお花見 (2012)

4月8日、すっかり桜が満開となった東京は晴れ渡って絶好のお散歩日和となりました。
われわれユーロフィロソフィーメンバーは、神社めぐりとお花見に出かけました。

まず、神田明神へ。

神田明神入り口正面にて

ここは1300年近くある歴史を持つ神社で、日本橋や秋葉原、築地市場など108の町会を守っている場所です。
日本の神社ではそれぞれ氏神と呼ばれる守り神が奉られています。
この神田明神は商売の神様である大黒様と恵比寿様が奉られており、周辺に住まう人々や観光客にこんにちに至るまで長く親しまれています。
この日も神社では結婚式が行われており、また観光客でにぎわいを見せていました。

人々に親しまれている神田明神

さて、参拝です。
参拝には一連の流れとそれに付随したルールがあり、日本人にはおなじみのことですが、留学生たちにとってはたいへん新鮮に映ったようです。

まず禊をします。参拝前の身を清める行為です。

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原先生授業日時の変更

5月11日(金)14時-16時に予定されていた原和之先生の第1回授業は延期され、5月14日(月)16時-18時に行われることになりました。教室は変わらず大学院棟702教室です。どうぞご留意下さい。

オーレリ・ネヴォ講演会 (2012)

法政プログラムの4月の授業で、二番手を務めるアレクサンデル・シュネル先生の講義が開始された12日の夜、ご夫妻で来日しているシュネル先生の伴侶であり、フランス国立科学研究センター(CNRS)研究員で、文化人類学者のオーレリ・ネヴォさんを迎えた講演会が、法政大学国際日本学研究所(HIJAS)の主催により、国際日本学研究所セミナー室において行われました。

講演の題目は、「"新世界の中心"としての上海-上海万博の中国館<東方の冠>を読む-」であり、シュネル夫妻をはじめ、エラスムス・ムンドゥス関係者としては、当夜の司会も務めた安孫子信先生、アルノー・フランソワ先生、ヨーロッパからの学生4名も参加しました。

講演の内容は、2010年に開催された上海国際博覧会(上海万博)において出展され、「万博史上最も費用をかけたパビリオン」と呼ばれた「東方の冠」という別称を持つ「中国館」を対象に、その文化的・象徴的な意味を解釈することでした。

ネヴォさんの解釈によれば、建物の構造や色、そしてそこに示唆されている儒教思想から、「中国館」には野心的な意図、すなわち、上海が「新世界の中心」として21世紀の世界で中心的役割を引き受けていこうする意図、が読み取れるといいます。またさらにそこには、(西洋から押し付けられたのではなく)東洋自身が世界における東洋の位置を決めていくという、「新オリエンタリズム」とも言うべき発想が認められるといいます。

以上のネヴォさんの分析は表象の文化的解釈を手法としているとはいえ、主張内容は大変に刺激的で、講演の後には、予定時刻を大幅に越えて、白熱した質疑討論が行われました。

中国語・日本語・フランス語が会場に飛び交ったこの講演会は、国際日本学研究所の催し物としても際立って国際色を帯びたものだったと思いますが、洋の東西の壁を超えて、自ら極東の地に乗り込み果敢に異文化理解に挑むネヴォさんの姿勢には、エラスムス・ムンドゥスの越境(モビリティ)の理念にも強く通じるものを感じました。


ネヴォさんと「中国館」の写真
会場
左から、安孫子先生、杉本先生(通訳)、ネヴォさん
質疑 (中央はシュネル先生)


オリエンテーション (2012)

桜の花も開花。この春の到来に合わせて4月2日に<ユーロフィロソフィ>法政プログラム2012も開幕しました。当日は、メインの行事である開幕パーティに先立って、3ヶ月の授業の場ともなる大学院棟の教室で、ヨーロッパからの先生と学生のためにオリエンテーションが行われました。

国際交流センターの担当者が資料に基づき、法政大学の概要や歴史を説明した後、より実際的なこととして、大学キャンパス内での、また大学外、社会一般での生活上の諸注意が行われました。

その後、一同は建物を出て、外濠を渡り、図書館へと向かいました。図書館は、学生たちにとって、これからの毎日、学習に欠かせない場所となるはずです。図書館では職員の方から、本の閲覧や貸出の仕方、またパソコンを使ってデータベースへアクセスする仕方などについて、説明を受けました。

図書館ツアーの最後は、閉架の書庫の見学です。地下4階まで降りましたが、とくに哲学書コーナーの前では、先生も学生も足を止め、しばし蔵書に見入っていました。

オリエンテーションも終えてパーティまでの空き時間を利用して、皆で隣接の靖国神社への散策も行いました。靖国問題はヨーロッパでも知られており、ここで戦争と民族との関係について、思いを馳せた学生もいたようです。


オリエンテーション
図書館ツアー
書庫
靖国神社

開幕レセプション (2012)

東日本大震災による中止から早や1年、2年ぶりとなるEUエラスムス・ムンドゥス修士課程《ユーロフィロソフィ》法政プログラムの開幕レセプションが、桜もほころび始めた4月2日、法政大学ボアソナードタワー26階ラウンジにて開催されました。

本プログラムの日本側責任者である文学部安孫子信教授の司会のもと、プログラム開幕にあたって増田壽男総長の挨拶が行われ、まず、本プログラムへの法政大学の参加は国際化を教育方針の一つとする本学の誇りであること、そして、それは関係者の方々、とくに、教育を担って下さっているヨーロッパからの、また国内他大学からの先生方の協力の賜物であることが、謝意とともに表明されました。また次いで挨拶に立った駐日EU代表部リチャード・ケルナー氏からは、ヨーロッパを代表して、日欧教育交流分野で法政大学が果たしている役割への賛辞が呈されました。

福田好朗理事の発声で乾杯が行われ、しばしにぎやかに歓談した後、3科目(形而上学、現象学、科学哲学)の授業を3ヶ月にわたって担当するフランスおよび日本の教員から、自己紹介と授業紹介が行われました。また、これまでにヨーロッパから到着している学生たちからも(ただし、国籍はヨーロッパに限りません)、自己紹介と挨拶が行われました。

再び歓談の花が開いた後、来賓として出席された駐日スロヴァキア大使のドゥラホミール・シュトス氏と、フランス大使館文化部のマキシム・ピエール氏から、それぞれ会を締めくくるご挨拶がありました。シュトス大使がそこで強調されたのは、若者たちに国境を越えさせるエラスムス・ムンドゥスという教育制度が今日の世界で持つ重要性です。またピエール氏は《ユーロフィロソフィ》での使用言語が英語ではなく、フランス語とドイツ語であることの意味を強調されました。

こうして3時間にわたる和やかな開幕レセプションを終えて、参加者みなの胸に、今年度プログラムの成功に向けての思いが、強く抱かれたことは間違いありません。

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最後の夜 (2010)

16日のフェアウェルパーティー後の夜は、安孫子教授の発案で、安孫子教授、モンテベロ教授、ヨーロッパ学生、河野教授、村上教授、国際交流センターの林さん、田中さん、日本人学生から成る一行は、安孫子ゼミでよく利用する法政大学近くのレストランに直行し、あらためてビールや焼酎などを飲みながら歓談しました。

歓談する教員や学生たち(法政大学近くのレストラン)

☆ エラスムス・ムンドゥス・法政プログラム2010のレポートは本記事で終わります。ありがとうございました。安孫子ゼミ 高橋

フェアウェルパーティー (2010)

16日は反省会の後、フェアウェルパーティーが法政大学ボアソナードタワー25階B会議室で行なわれました。このパーティーをもって、4週間にわたったエラスムス・ムンドゥス・《ユーロフィロソフィ》・法政プログラム2010も終わり、ヨーロッパからの教員と学生の皆さんは、翌17日から、順々に日本を発っていきます。

フェアウェルパーティーで乾杯する教員や学生たち(左:法政大学ボアソナードタワー25階B会議室)、パーティーに参加している学生や教員たち(右)

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反省会 (2010)

エラスムス・ムンドゥス・法政プログラム2010は4月16日、最終日を迎え、反省会が法政大学ボアソナードタワー25階B会議室で行なわれました。法政プログラム実施責任者の安孫子教授を始め、エラスムス・ムンドゥスからはモンテベロ教授、ロドリゴ教授、日本人教員の村上教授、ヨーロッパ学生が出席し、法政大学からは哲学専攻の奥田教授、国際交流センターの林さん、廣岡さん、大学院事務部の松井さんが出席しました。
この会議では、ヨーロッパ学生、ヨーロッパ教員、日本人教員が全員発言し、本年度のプログラムの成功を確認するとともに、来年度の法政プログラムをよりよいものにするために、さまざまな感想や意見を率直に述べ合いました。

反省会の進行役を務める安孫子教授(上:法政大学ボアソナードタワー25階B会議室)、反省会の出席者たち(下)

エラスムス・ムンドゥス講演会 (2010)

「教育と哲学の新たな実験としてのエラスムス・ムンドゥス《ユーロフィロソフィ》」というテーマで、アルノー・フランソワ氏(フランス・トゥールーズ第2大学講師、法政プログラムEU側実施責任者)による講演会が12日、法政大学ボアソナードタワー26階A会議室で行なわれました。この講演会では、講師のフランソワ氏により、EU欧州委員会のエラスムス・ムンドゥス・プログラムに含まれる《ユーロフィロソフィ・プログラム》の目的と内容について、詳しい紹介がなされました。(この講演会の録画映像は後日、http://erasmus.ws.hosei.ac.jp/video/ で配信される予定です。)

この「ユーロフィロソフィ」はフランス哲学とドイツ哲学を意味しており、より具体的には、(1)カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲル、マルクス、ショーペンハウアー、ニーチェなどの「ドイツの古典的哲学」、(2)ビラン、ベルクソン、フーコー、ドゥルーズなどの「フランスの現代哲学」、(3)「ドイツおよびフランスの現象学」、という3分野の哲学を意味しています。このフランス哲学およびドイツ哲学の教育と研究の国際的な共同体を形成し、発展させていくことが、このプログラムでは目指されています。このプログラムの修士課程で学ぶ学生は、複数の国の大学に行き、それぞれの国の大学のフランス哲学またはドイツ哲学の専門家から、これらの哲学を学びます。またそれぞれの国の大学では、現地の専門家だけではなく、他の国からも専門家を招きます。それゆえ、それぞれの国の大学で行なわれるこの修士課程の授業には、エラスムス・ムンドゥス学生、現地の大学の学生、現地の教員、外国からの教員が集まることになります。この修士課程の授業の実施を、世界のより多くの国の大学に広げていき、そのことによってフランス哲学およびドイツ哲学の教育と研究の国際的な共同体を形成し、発展させていくことが、この《ユーロフィロソフィ・プログラム》において目指されています。

講演するフランソワ教授(法政大学ボアソナードタワー26階A会議室)
挨拶する司会の安孫子教授、隣は通訳の郷原教授フランソワ教授に質問する参加者

エラスムス・ムンドゥス講演会 (2010)

「教育と哲学の新たな実験としてのエラスムス・ムンドゥス《ユーロフィロソフィ》」というテーマで、アルノー・フランソワ氏(フランス・トゥールーズ第2大学講師、法政プログラムEU側実施責任者)による講演会が12日、法政大学ボアソナードタワー26階A会議室で行なわれました。この講演会では、講師のフランソワ氏により、EU欧州委員会のエラスムス・ムンドゥス・プログラムに含まれる《ユーロフィロソフィ・プログラム》の目的と内容について、詳しい紹介がなされました。(この講演会の録画映像は後日、http://erasmus.ws.hosei.ac.jp/video/ で配信される予定です。)

この「ユーロフィロソフィ」はフランス哲学とドイツ哲学を意味しており、より具体的には、(1)カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲル、マルクス、ショーペンハウアー、ニーチェなどの「ドイツの古典的哲学」、(2)ビラン、ベルクソン、フーコー、ドゥルーズなどの「フランスの現代哲学」、(3)「ドイツおよびフランスの現象学」、という3分野の哲学を意味しています。このフランス哲学およびドイツ哲学の教育と研究の国際的な共同体を形成し、発展させていくことが、このプログラムでは目指されています。このプログラムの修士課程で学ぶ学生は、複数の国の大学に行き、それぞれの国の大学のフランス哲学またはドイツ哲学の専門家から、これらの哲学を学びます。またそれぞれの国の大学では、現地の専門家だけではなく、他の国からも専門家を招きます。それゆえ、それぞれの国の大学で行なわれるこの修士課程の授業には、エラスムス・ムンドゥス学生、現地の大学の学生、現地の教員、外国からの教員が集まることになります。この修士課程の授業の実施を、世界のより多くの国の大学に広げていき、そのことによってフランス哲学およびドイツ哲学の教育と研究の国際的な共同体を形成し、発展させていくことが、この《ユーロフィロソフィ・プログラム》において目指されています。

講演するフランソワ教授(法政大学ボアソナードタワー26階A会議室)
挨拶する司会の安孫子教授、隣は通訳の郷原教授フランソワ教授に質問する参加者

日本人教員 (2010)

今年度の日本人教員8名は、昨年度からの5名と、今年度から新たに加わった3名から成っています。昨年度は6名の日本人教員がそれぞれ3コマの授業を担当しましたが、今年度は8名のうち1名が4コマの授業を担当し、7名がそれぞれ2コマの授業を担当しました。

ドゥルーズ的スピノザ主義について論じる鈴木教授の授業(左上)、ラカンの欲望概念を考察する原教授の授業(右上)、ギブソンの「拡張した心」と神経倫理学について論じる河野教授の授業(下)

日本の哲学 (2010)

法政プログラム・2010の特徴のひとつは、ヨーロッパ哲学だけではなく、いくつかの日本の哲学が取り上げられていることです。たとえば、大森荘蔵、西周、田辺元、鶴見俊輔などの哲学です。ヨーロッパからの学生はどの哲学にも関心を示していますが、とりわけ田辺元の「種の論理」を取り上げた合田教授の授業では、彼らからの質問や発言が相次ぎました。

大森荘蔵の哲学を取り上げる金森教授の授業(左上)、田辺元の哲学を取り上げる合田教授の授業(右上)、西周の哲学を取り上げる安孫子教授の授業(下)

飲み会 (2010)

9日の夜は、モンテベロ教授、安孫子教授、合田教授、村上教授、ヨーロッパ学生、日本人学生、日本人学生の友人などが集まり、東京・飯田橋の沖縄居酒屋で歓談しました(この会は法政大学大学院安孫子ゼミの松井さんとソニアさんが設定してくれました)。

歓談する教員や学生たち(飯田橋の居酒屋)

観光 (2010)

ヨーロッパからの学生が日本での生活を始めて2週間が過ぎました。いま日本は桜も満開で、一年で最も美しい季節です。「よく学び、よく遊べ」で、彼らはこの2週間のあいだに観光にも積極的に出かけています。築地、銀座、浅草、秋葉原、渋谷など都内の名所はもちろんのこと、横浜、鎌倉などにも出かけています。週末を利用して、遠い北海道に行ってきた学生もいます。彼らは誘いあって出かけることもあれば、一人で出かけることもあり、授業外でも、充実した時間を過ごしているようです。

法政大学近くの外濠公園(左)、外濠公園から見た大学院棟(右)

宿舎 (2010)

ヨーロッパからの学生は日本滞在中、東京・新富町のワンルームマンションを宿舎にしています。彼らの部屋は、バス、トイレ、ベッド、キッチン、冷蔵庫、洗濯機、エアコンディショナー、等々を備えており、またインターネットに常時接続できる環境になっています。築地の卸売市場が歩いて10分の距離にあります。近くにはカフェもあります。彼らはここから法政大学に通っています。

マンション入り口(左)、マンション10階からの眺め(右)

哲学的関心 (2010)

ヨーロッパからの学生は皆、哲学を専攻する修士課程生です。彼らはどんな哲学者、どんな哲学的問題に関心を持っているのでしょうか。まず言わなければならないのは、どの学生もひろく哲学全般に興味を持っている、ということです。ただ、あえて特定を試みれば、彼らが勉強しているとして挙げてくれた哲学者の名前は、プラトン、フィヒテ、マルクス、フッサール、ミシェル・アンリ、ドゥルーズ等々でした。また関心のある問題としては、「生命現象は物理的現象とどんな関係を有しているのか」、「文学作品の背後にはどのような宇宙論が隠れているか」、「よりよい主権のあり方を考えることはできないだろうか」、「無とは何か」等々を挙げてくれました。

授業を受ける学生たち(村上教授の授業)

ノートテイキング (2010)

ヨーロッパからの学生たちは、どんな仕方で授業を受けているのでしょうか。日本の学生との比較で特徴的な点は、彼らの多くが、教員が話すほとんどすべての言葉を、そのまま速記のようにしてパソコンに打ち込んだり、ノートに書き記していることです。ひとつの授業が終わった後、彼らの手元には、その授業の講義録が残っているという状態になっています。

ノートを取る学生たち(上:藤田教授の授業)、(左下:ロドリゴ教授の授業)、(右下:ミケル教授の授業)

モンテベロ、ロドリゴ、ミケル (2010)

23日から大学院棟303教室で授業が始まりました。ヨーロッパからは、ピエール・モンテベロ、ピエール・ロドリゴ、ポール=アントワーヌ・ミケルの3名の教授が、法政プログラムの教員として来日しています。

モンテベロ教授の授業では自然の哲学が問題です。自然の科学的説明の背後には形而上学的な基礎が隠れているが、それがかならずしも十分に問い直されていない、という問題意識の下に、シモンドン、ニーチェ、ドゥルーズの自然の哲学が検討されています。それを通して目指されているのは、自然に対して新たな形而上学的理解を得ていくことです。

ロドリゴ教授は現象学の専門家です。授業では、現象学の提唱者フッサールの著作『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』を取り上げ、フッサールがこの著作で現象学をどう提示しているのか、その現象学によってどのような問題にどう対応しようとしているのかが示されています。そのことを通して目指されているのは、フッサール現象学の改めての根本的理解です。

ミケル教授の授業では、物理的なものと生命的なものとの関係が問題とされています。この問題意識の下で、ベルクソン、カンギレム、シモンドンの哲学が検討されています。このことを通しては、物理的なものと生命的なものの関係を越えて、科学と哲学の関係そのものの新たな解明が目指されています。

モンテベロ教授(左)、ロドリゴ教授(中)、ミケル教授(右)

授業中の303教室

近隣散歩 (2010)

オリエンテーションとオープニングセレモニーの間の少しの時間を利用して、ヨーロッパからの学生たちは、法政大学の隣にある靖国神社へ散歩に出かけました。彼らは、この神社の日本情緒をまずは楽しんでいましたが、それだけではなく、この神社がかかえる歴史的・政治的問題にも気づいてくれたと思います。

yasukuni01.jpg靖国神社の神池庭園を散歩する学生

yasukuni02.jpg靖国神社の境内にある屋台でたこ焼きを買う学生(左)。靖国神社の拝殿前で(右)。

オリエンテーション (2010)

オープニングセレモニーに先立って、22日は大学院棟303教室で、オリエンテーションも行なわれました。ヨーロッパからの7名の学生と3名の教員は、法政大学について、日本での日々の生活について、そして、地震など緊急事態への対応について、国際交流センターの田中さんから英語で説明を受けました。

オリエンテーションの後、一行は学内の見学を行ない、図書館では、図書館の利用にかんする説明を受けました。

田中さんの説明を聞く学生・教師(303教室)(左)、(図書館)(右)

学内見学をする学生・教師(正門前広場)

オープニングセレモニー (2010)

外濠の桜も開花し始めた本日22日、ヨーロッパからの7名の学生と3名の教員を迎えての、エラスムス・ムンドゥス《ユーロフィロソフィ》2010法政プログラムのオープニングセレモニーが、ヨーロッパ連合やフランス大使館関係者も交えて、ボアソナードタワー26階ラウンジで行なわれました。法政大学からも、増田総長、徳安常務理事を始め、プログラムの日本側責任者である安孫子文学部教授など、多数が参加しました。

授業はいよいよ明日23日から始まります。

president2.jpg挨拶する増田総長。 左は徳安理事。

three4.jpg挨拶するEU欧州委員会教育文化担当エイチソン氏(左)。 駐日EU代表部広報担当ヴァレイユ氏(中央)。 フランス大使館大学担当ドゥクルー氏(右)。

teacher_student.jpg教員の皆さん(左)。 安孫子教授と学生の皆さん(右)。

(1).jpgのサムネール画像オープニングセレモニー記念写真

小暮さきさん、エラスムス・ムンドゥス・修士課程へ

法政大学文学部哲学科4年生で、この3月に卒業の小暮さきさんが、まさにこのエラスムス・ムンドゥス・修士課程《ユーロフィロソフィ》に合格し、2010-2012の2年間哲学の勉強をすべくヨーロッパに旅立つことになりました。ヨーロッパ域外生10名の枠に60名もの応募があった中での合格であり、これは快挙と言えるでしょう。10名の内訳は、カナダ1名、ロシア1名、ブラジル2名、アルゼンチン1名、中国2名、日本1名、イラン1名、韓国1名です。詳しくは以下を御覧下さい。

http://www.europhilosophie.eu/mundus/spip.php?article117

まもなくエラスムス・ムンドゥス・2010の授業が始まります

桜にはまだ少し早いですが、3月23日(火)からエラスムス・ムンドゥス《ユーロフィロソフィ》・2010法政プログラムの授業が始まります。

一般の方も、自由に聴講できます。直接、外濠畔の法政大学大学院棟303教室にいらしてください。(3月24日のみ、法政大学政策創造科(安信ビル)A501教室)

☆ 日、時間、場所、授業内容の詳細についてはシラバスをご覧ください
シラバス:http://erasmus.ws.hosei.ac.jp/syllabus/

最終回: 試験、反省会、そしてお別れパーティー (2009)

1ヶ月にわたって行なわれてきた「ユーロフィロソフィー」法政プログラムも4月29日に最終日を迎えました。今回は、この日に行なわれた試験と反省会、そしてお別れパーティーの模様をお伝えします。

0902_photo.jpg反省会(左)と、パーティー(右)の様子

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第8回: 欧州学生の日本での生活 (2009)

今回は、欧州学生のひとり、ジェローム・パウルッチ(Jérôme Paulucci)から届いたアパートについての報告と写真とをもとに、彼らの日本での生活の一端をご紹介します。

0801_photo.jpgアパートの入り口の様子

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第7回: 授業風景 その3 (2009)

あたりの景色も桜花のピンクから若葉のライトグリーンへと移り変わってきました。プログラム開始から4週間、授業の方は4月24日に無事に終了しました。今回は、スケジュール後半に主に置かれていた日本人の先生方の授業の様子を中心にお届けします。

0701-scene.jpg授業の行われている法政大学大学院棟

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第6回: アルノー・フランソワ講演会 (2009)

続いて4月18日に法政大学大学院哲学専攻と法政大学情報技術 (IT) 研究センターの共催で、九段校舎で行われたアルノー・フランソワ先生の講演会の模様を紹介します。

0601_photo.jpgアルノー・フランソワ先生の講演会の模様

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第5回: フローランス・ケマックス講演会 (2009)

前回の予告どおり、今回と次回は法政大学で行なわれた講演会の模様をお伝えします。まずは4月17日に法政大学国際文化学部の主催によって、法政大学ボアソナード・タワーで行なわれたフローランス・ケマックス先生の講演会についてです。

0501_photo.jpg講師のフローランス・ケマックス先生

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第4回: カクテル・パーティー (2009)

在日フランス大使館文化参事官アレクシス・ラメック氏が法政大学でのエラスムス・ムンドゥス・マスタープログラム「ユーロ・フィロソフィー」を記念し、4月15日に御自宅公邸で懇親会を開いてくださいました。

0401-photo.jpgフランス大使館文化参事官公邸でカクテル・パーティー

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第3回: 授業風景 その2 (2009)

前回に引き続き、授業の様子を紹介していきます。今回は主に授業の内容について見ていこうと思います。

0301-photo.jpg授業風景(左)と、安孫子先生の授業計画書(右)
このような講義全体の見取り図のほかに、テキストのコピーなどが配布される

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第2回: 授業風景 その1 (2009)

春というよりも初夏という言葉がふさわしい天気が続き、気温が25度を越える日も増えてきました。授業開始から10日が過ぎ、すでに5人の先生方が授業を行っています。そこで今回は、実際に授業がどのように行なわれているのかを紹介したいと思います。

0202-photo.jpg授業風景

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第1回: オリエンテーションとレセプション風景 (2009)

桜が咲き誇るなかスタートしたエラスムス・ムンドゥス・マスタープログラム「ユーロ・フィロソフィー」法政プログラム。このブログリポートでは、実際のプログラムの様子をお伝えしていきます。

今回は、4月1日に授業開始に先立って行われたオリエンテーションとレセプションの模様をお知らせします。

0101_photo.jpg全員での記念写真

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