Hosei Erasmus Mundus Program Euro Pholosophy

Hosei Erasmus Mundus Program, Euro Pholosophy - Over the two academic years 2008-9 and 2009-10 at Hosei University, classes for the first semester of "Euro Philosophy", an EU Erasmus Mundus Master Program, have taken the form of one-month intensive lecture series. This is the first instance in Japan of administering such a large-scale intensive lecture series within the Erasmus Mundus Master Program.

Report

キアラ・メンゴツィ先生の講演会 (2015)

さる5月25日、フラデツ・クラロベ大学のキアラ・メンゴツィ先生の講演会が、市ヶ谷キャンパスボアソナードタワー25階で行われました。講演のタイトルは、「文学研究におけるワールドリテラチャーという概念の有用性と難点」です。本講演会には、メンゴツィ先生の対話者として、一橋大学の中井亜佐子先生、法政大学の笠原賢介先生、さらに、通訳を兼ねて立教大学の澤田直先生が参加。司会は法政大学の安孫子信先生が務められました。

メンゴツィ先生の発表ではまず、1820年代ゲーテによって唱えられた「ワールドリテラチャー=世界文学」という概念の確認が行われました。ゲーテは当時、人類は普遍的な時代に向かっていて「世界文学」への道が開かれていること、ただそれは、各々の国に発し、諸国との交流が増していく中で実現するのであり、そのためには翻訳が重要であることを主張しました。彼によれば、各国の文化的特徴や差異こそが他国の注目を惹起し、それがひいては国境を越えた普遍的価値へ到達させることになります。こうした考えの現代性が言われたあと、ただゲーテの言う〈普遍性〉が今日ではもはや見出され得ないであろうこと、文学においても今日では〈市場〉とか〈覇権〉とかいった要素なしでは議論をなしえないことがメンゴツィ先生から指摘されました。

このような議論を受け、メンゴツィ先生は続いて、一点目に、本来「世界文学」とは何を意味するのか、という概念の定義に触れ、それは価値基準をともなったコーパスであり、その基準を含めて、「世界文学」を、西欧中心からアジア、アフリカ、南米にまで広げる必要を指摘されました。そして、それとの関連で、二点目に、文学の世界システムには中心が存在しそれが周辺へと広まり発展していったとする、パスカル・カサノヴァやフランコ・モレッティの考え方を批判し、そこにはむしろ多くの中心と多方向の運動を見るべきであると主張されました。さらに、こうした多様性に適うこととして、三点目には、「世界文学」研究においては、ディスタント・リーディング(速読)が偏重されてはならず、クロース・リーディング(精読)が変わらず重要であることが指摘されました。そのような読解の具体例として、メンゴツィ先生は、著名な二人の作家の二作品(ヌルディン・ファラー『地図』、カズオ・イシグロ『日の名残り』)を取り上げ、特殊な細部に潜む普遍的な要素を、まさに精読によって見事に指摘されました。

発表後に行われた対話では、マルクス主義における「世界文学」の問題、翻訳の不可能性の問題、19世紀の時代状況と今日のコンテクストとの差異の問題、翻訳をめぐる言語とヘゲモニーの問題など、活発な議論が繰り広げられました。優れた文学作品は、時代や国を越えて、どこまで普遍的価値をもたらしうるのか、という本講演のテーマは、まさに、ユーロ・フィロソフィーにおける「越境」の理念を彷彿とさせるものです。参加者がこの問題について、国境を越えて、対話しあう行為そのものが、グローバルな普遍的価値を秘めていると思われました。

発表するメンゴツィ先生
会場の様子
対話の様子

エリー・デューリング先生の授業 (2015)

5月18日から三日間にわたり、パリ西ナンテール大学のエリー・デューリング先生の講義が行われました。講義の題は「相対性の哲学的余波―哲学者たちはアインシュタインをどう論じたか」です。デューリング先生は今回、先日講義をされたレヴィ-ルブロン先生と事前に打ち合わせをされており、ルブロン先生が相対性理論の定立までを、デューリング先生が定立後の、とくに哲学者たちの反応を論じることで、相対性理論の哲学的意義をその定立前後から、広く掘り下げるものとなりました。

デューリング先生の講義は、相対性理論が哲学に持ち込んだ問題の吟味から始まりました。相対性理論は物理学のみならず多くの学問分野に影響を及ぼしましたが、哲学も例外ではありません。とくに哲学と物理学は世界の「理」を探求するという点で繋がりを持っています。物理学の新理論が哲学に多くの問題を課すことになったのは、自然なことです。そして、その問題は次の二つに区別されました。すなわち、(a)世界についての知識を根拠付けるアプリオリな認識の構造とはそもそも何か、というような、認識論的問題と、(b)自然哲学の中核を為す、時間と空間、同一性と変化、といった基礎的概念に関わる形而上学的問題です。三回にわたる講義では、(a)(b)のそれぞれがまず論じられ、それをふまえて、これらの問題の関連が探られました。

第一回の講義では相対性理論の哲学的受容に関する問題を上記のように整理した上で、(a)認識論的問題を取り上げ、カッシーラとライヘンバッハの考えを中心に検討しました。この二人の哲学者は、物理学の概念を伝統に従ってアプリオリとする代わりに、それは基準となる理論の恣意的な性質によって生産されるものにすぎないと考えました。例えば、メートルとはメートル原器によって定義されたものであり、メートルという概念がアプリオリに存在するわけではありません。こうした考え方は一見、幾何学化された時間と空間は本来の時間・空間には作用していないという見方で、アインシュタインがもたらした衝撃を和らげようとするデフレショニスト的解釈(たとえば、アランのそれ)に同意を示すようにも見えます。ただし、ライヘンバッハの意図はそれとは異なります。彼が明かそうとしたのは、世界の内で因果がどのように成り立つか、その客観的な(認識の枠組みから独立の)構造であり、これはむしろ形而上学的性質を持っていました。

それを踏まえて、第二回の講義で探られたのは(b)形而上学的問題です。アインシュタインの理論に合わせるために、哲学者たちが自然哲学の形而上学的・宇宙論的な背景をどのように定義し直したのか、が論じられました。ベルクソンとホワイトヘッドによれば、哲学に対する相対性理論の主な貢献は、時間と空間に関する一般的な前提を批判したことではなく、新たな地平を切り開いたことにあります。ホワイトヘッドは難解な哲学者として知られています。講義の後半では、時間―空間的要素を構成する"出来事"という概念を用いた彼の見方の解説が行われました。

最後となる第三回の講義では、ここまで別々に検討してきた認識論問題と形而上学問題との関係を探るため、相対性理論を"トイモデル"(理論の本質的な部分だけを抽象する理論)のレベルで問い直すことが行われました。このとき相対性理論を特徴づけるのは、主に次の二つの原理です。一つは相対性の原理で、これは世界には基準となるような絶対的で特別な地点や時間は存在しないことを主張します。もう一つは光速度よりも速く空間を伝わるものはないという原理で、これが示すのは、距離を隔てた物の間に同時性は存在しないということです。この二つの原理を総合したとき、空間と時間を媒介する物理的相互作用には非直観的性質があることが明らかになります。すなわち、バシュラールの言い方を借りれば、実在と言及、対象性とパースペクティヴの間には絶え間ない"干渉"が起きているのです。認識は対象と独自に成立するわけではなく、逆も然りです。こうして、相対性理論の哲学的受容に関して、認識論と形而上学とがそれぞれに抱えているように思われた問題は、実際には本質的な繋がりを持っていることが明らかにされ、講義の幕は閉じられました。

講義風景
エリー・デューリング先生