Hosei Erasmus Mundus Program Euro Pholosophy

Hosei Erasmus Mundus Program, Euro Pholosophy - Over the two academic years 2008-9 and 2009-10 at Hosei University, classes for the first semester of "Euro Philosophy", an EU Erasmus Mundus Master Program, have taken the form of one-month intensive lecture series. This is the first instance in Japan of administering such a large-scale intensive lecture series within the Erasmus Mundus Master Program.

Report

ジャン・ガイヨン講演会(法政大学)(2013)

4月5日、ジャン・ガイヨン先生の講演会が法政大学にて行われました。講演は英語(通訳者付き)で行われ、日本語に翻訳された原稿が来場者に配られました。

講演のテーマは「酸素は機能を持つか?」です。生物学においては「機能(function)」の概念がほとんどあらゆる研究対象に適用されており、生物の器官(内臓など)から細胞、分子に至るまでが「それがどのような機能を果たすためのものか」という観点から考察されています。それどころか、より大きな枠、生物種や生態系のような枠組みにもこの機能モデルは用いられています。本講演で提起された主要な問題は、ある単位をそれが持つ機能へと帰属させるこのような態度が、必ずしも自明のものではないということです。

生物学における「機能」という言葉の定義には大きく分けて二つあります。ひとつは「システム説(systemic theory)」と呼ばれるもので、これはある器官の機能は、その生物を取り巻くより大きな系に対して果たしている因果的役割によって定義されるというものです。もうひとつは「淘汰事由説(etiological theory)」で、この理論によれば、ある器官の機能は生存を有利にするものとして、自然淘汰によって残されたものを指すことになります。本講演ではこれら二つの理論をそれぞれ「原子と基本分子」、「生物個体」および「種」という単位に当てはめ、それらが機能を持つと言えるのかどうかの検討がなされました。

まず基本分子のレベルで考えると、たとえば酸素は機能を持つと言えるのか?淘汰事由説においては、そのようなことは主張できません。たしかに酸素濃度は生物の生存に影響を与えますが、淘汰によって残されてきたのは環境中の酸素を利用する生物の能力であって、酸素の存在それ自体ではないのです。それに対してシステム説では、酸素はより大きな系(たとえば呼吸のプロセス)が成立するための構成部分として、機能を持つとはっきり言うことができます。

生物個体や種に関しても、結果は似たようなものとなります。自然淘汰によって保存されるのは通常、生物個体が生存するために有利な性質に限られます。つまり個体を超えたスケールでは、自然淘汰は起きないのです。したがって淘汰事由説においては、自然淘汰を特殊な仕方で解釈するのでもなければ、個体、あるいは種が機能を持つと言うことはできません。一方でシステム説に従うなら、このような問題は起きません。生物個体はそれが属する種に対して一定の役割を果たしていると考えられるし、種それ自体も生物圏(biosphere)の中で何らかの機能を持っていると言えるからです。

淘汰事由説が小さすぎる単位(原子や分子)あるいは大きすぎる単位(個体や種)に対して機能を帰属させることができないのは、この説の欠陥よりは、むしろ長所を示しているとガイヨン先生は主張します。システム説が一見うまくいっているように思えるのは、単にそれが具体性を欠いているからであって、機能の概念を正当化する原理としては、システム説では不十分なのです。淘汰事由説はより厳密な理論であり、それだけに障害も多いというわけです。

講演の結論は、もし淘汰事由説が正しいとすれば、機能という概念それ自体が自然淘汰の理論に依存するものになるということです。つまり、ある物が何らかの機能を持つ、と述べることは、その物が進化論的な起源を持つことを前提としていることになるのです。

本講演は前日までに行われた授業の集大成とでも言うべき密度の濃い内容で、生物学という学問の本質的なあいまいさと、その進化論との密接な関わりを垣間見ることができたように思います。

会場の様子
右から、ジャン・ガイヨン先生、木島泰三さん(通訳)

ジャン・ガイヨン先生の授業 (2013)

4月2日から4日までの三日間、ジャン・ガイヨン(Jean Gayon)先生の講義が行われました。
ガイヨン先生は生物学を専門とする科学哲学者で、今回の講義は生物学において用いられている諸概念が抱える哲学的問題をテーマとしています。

一日目のテーマは「法則(loi)の概念は生物学に適用可能か」でした。法則とは古くは数学の概念であり、後に物理学や化学において適用されるようになったものです。しかし科学における法則はまず理論上の必然性(necéssité)から生まれるものであり、経験に基づくものであるとは限りません。例えば落体の法則をガリレオが発見した時代、物体がどのように落下するのかを正確に計測する方法は存在しませんでした。したがってこの法則は理論上の要請に基づくものであったということになります。法則の概念を生物学に適用する際に問題となるのは、生物学にこのような「必然性」が存在するのかどうかという点です。これに対してノーと答えたのがオーストラリアの哲学者J・J・C・スマート(John Jamieson Carswell Smart 1920-2012)です。スマートによれば、生物学には一般化(generalisation)はあっても法則(law)は存在しません。なぜなら生物学が扱う対象は分類学上の特定の種であり、そこに見出される規則性が普遍化可能なものであるという保証はどこにもないからです。実際、生物学の領域で起きることの大部分には例外が存在します。またたとえ例外が発見されていないとしても、ある生物が与えられた環境とはまったく異なる条件においても同様の性質を持つかどうかを知ることはできません。つまり生物学においては一見法則と思えるものも、実は「事実上の普遍性(universalité de facto)」以上のものではなく、そこに論理的必然性を見出すのは困難です。したがって結論としては、生物学に法則は存在しない可能性が高いということになります。ガイヨン先生は、生物学で法則に近いものが存在するとすれば、おそらくそれは自然淘汰のような動的なものに求められるべきだろうと述べています。

二日目は「モデル(modèle)」とその方法論についての問題を扱いました。モデルは様々な分野で使われる方法で、たとえば模型を使って飛行機の仕組みを研究するといったものがこれに当たりますが、その特徴は自然界の物体や現象への「類似(analogie)」に基づいたシステムを利用するという点にあります。生物学においては13世紀にロジャー・ベーコン(1214-1294)が使用した「カメラ・オブスクラ(camera obscura 穴を開けた箱を用いて視覚の仕組みを再現した装置)」や、DNAのらせん模型などがありますが、これらはどれも直接には知ることのできないものを、類似した仕組みを用いることで間接的に研究できるようにしたものです。生物学者はこうしたモデルに基づいてひとつの仮説を立て、そこから理論を構築しようと試みますが、このときモデルがしばしば仮説や理論それ自体と混同される、という問題が起きます。このため生物学の仮説は、それがいかなるモデルに基づいているのかが曖昧であることが少なくないとされています。

三日目は「機能(fonction)」の概念とそれが抱える問題を扱いました。機能は生物学の領域における支配的な概念であり、ほとんどあらゆるものが機能の観点から、すなわち「それは何をするためのものなのか」という観点から考察されます。ある物体や現象を、それが果たしている機能によって定義するこの考え方を「機能帰属(attribution fonctionelle)」と呼びます。この考え方の問題は、ある物体や現象が果たしている機能を、その物体や現象が存在している理由とみなしてしまうことです。たとえば「心臓の機能は血液を送り出すことである」と述べることは、同時に「心臓は血液を送り出すからこそ存在している」ということでもあります。しかし他の科学、たとえば化学においては「電子の役割は原子同士の結合を可能にすることである(=電子は原子を結合させるために存在している)」などということは言えません。生物学では事実上の結果(血液を送ること)から現象それ自体(心臓の存在理由)を説明するということが行われているわけです。
機能の概念に対する説明原理として、この授業ではラリー・ライト(Larry Wright)の「事由論(théorie étiologique)」とロバート・カミンズ(Robert Cummins)の「システム論(théorie systémique)」が挙げられていました。この二つについて詳しく説明するのは避けますが、これらの理論を見ていくことでわかるのは、機能という概念が何であるのかは、それを説明する原理に大きく依存しており、機能についての統一的な定義は今のところ存在しないということです。これは機能という概念それ自体が相対的なものであることを示唆しています。

ガイヨン先生