Hosei Erasmus Mundus Program Euro Pholosophy

Hosei Erasmus Mundus Program, Euro Pholosophy - Over the two academic years 2008-9 and 2009-10 at Hosei University, classes for the first semester of "Euro Philosophy", an EU Erasmus Mundus Master Program, have taken the form of one-month intensive lecture series. This is the first instance in Japan of administering such a large-scale intensive lecture series within the Erasmus Mundus Master Program.

Report

木島・オケ講演会(法政大学)(2013)

4月16日、法政大学にて開かれたシンポジウムで、リヨン第三大学教授のチエリ―・オケ氏と、法政大学博士課程の研究員である木島泰三氏の発表が行われました。シンポジウムの使用言語は英語で、通訳は木島氏自らが担当しました。

まず木島氏の発表は、デイヴィッド・ヒューム(David Hume 1710-1776)の著作『自然宗教に関する対話』の登場人物であるフィロが展開しているエピクロス主義についての議論が、ダーウィンの進化論を先取りしたものであるかどうかを検討するというものです。『自然宗教に関する対話』の登場人物フィロは、自然の複雑性に神の意図を見ようとする「デザイン(意図)理論(design theory)」と呼ばれる態度を批判しますが、その一方でフィロはデザイン理論に代わる自然世界の説明原理をいくつか展開しています。その中のひとつが、木島氏の発表が焦点を当てているエピクロス主義的立場です。エピクロス主義の特徴は目的論を否定し、自然世界は偶然によって機能していると考える点にありますが、フィロはこの考えにいくつかの修正を加え、粒子の無軌道な動きによって成り立つ自己充足的な世界(self-supporting world)として世界を捉えようとします。
フィロが提示するエピクロス主義的宇宙論は多くの点でダーウィンに接近していますが、ヒュームを自然淘汰概念の考案者のひとりとして数えることはできないと木島氏は述べています。自然淘汰の関心は生物が環境に適応するための特定の性質を獲得する過程にあるのに対し、フィロの考える世界のシステムは全体として一気に作られるものであり、そこには「再生産による差異化」というダーウィン思想の決定的な要素が欠けているからです。ヒュームが進化論のある種先駆的なアイデアを持っていたということは言えるにしても、それはあくまで「エピクロス主義者のヒューム」という一面においてのことであり、ヒューム自身は同時にそれとは反対の、自然宗教の伝統の中で生きた思想家でもありました。木島氏はそのことを、『自然宗教に関する対話』でフィロが最終的にデザイン理論に一定の妥当性があることを認めているという点から導いています。

木島氏に続いて行われたオケ氏の発表は「ダーウィンは目的論者か ランについての論考とデザインの問題」というタイトルでした。
ダーウィンが1859年に発表した『種の起源』は当時、経験的根拠に基づいていないとの批判を多く受けました。そこでダーウィンが試みたのは、ランの観察研究によって自然淘汰の理論を証明することでした。その研究は1862年、「英国および諸外国のランが昆虫によって受精するための多様な技巧、および異種交配の有利な諸効果」と題された論文に結実することになります。本発表はランについてのこの論文を中心に扱い、「ダーウィンは目的論者か」という問いに一定の回答を与えることを目指しています。
目的論には二つの意味があり、ひとつは自然の中に技巧(contrivances)が存在し、それがある意図(design)を示しているということ、もうひとつはそのような意図が存在するという事実から、その根本に何らかの製作者がいるのではないかという推測です。この製作者を神と捉えれば、目的論は同時に神学論でもあることになります。目的論という問題を巡っては、ダーウィンに対する評価はさまざまで、ハクスリー(Thomas Henry Huxley 1825-1895)のようにダーウィンの理論は目的論と激しく対立すると考える者もいれば、ケリカー(Rudolf Albert von Kölliker 1817-1905)のようにダーウィンを純粋な目的論者として捉える者、さらにはダーウィンの理論を自然神学を基礎づけるための枠組みとして扱う者までいます。ダーウィンを非目的論者とする説の根拠は、自然淘汰はあらかじめ設定された到達点を持たないということによっており、これは『種の起源』におけるダーウィンの主張を重視した立場です。他方でダーウィンを目的論と結びつける主張は、ダーウィンが自然界の生物が持つ技巧の中にある種の意図を見ているという点に立脚しており、これは「ラン」論文の内容に着目した立場であることが多いとされています。
以上のように、ダーウィンの理論が互いに対立する諸見解を引き起こすことは、ある意味で本人の意図したことでもあったとオケ氏は言います。ダーウィン自身、自分の理論は神学的立場からの解釈も認めるものであるというようなことを述べており、神学的立場と無神論的立場(あるいは目的論と非目的論)との対立を生じさせることは彼の望みではありませんでした。ダーウィンは自らの議論を無神論に対しても自然神学に対しても開かれたものにしており、それが多くの解釈を許容する要因となっている、というのが発表の結論でした。

木島先生とオケ先生
会場の様子

チプリアン・ジェレル講演会(東京大学)(2013)

去る4月22日(月)、15時半より、東京大学本郷キャンパス法文二号館二階教員談話室において、ルーマニア、アレクサンドロル・イオン・クーザ大学のチプリアン・ジェレル先生の講演会が行われました。今回の発表タイトルは、「The Price approach to multi-level selection scenarios and its implications for individual and group selection」でした。(本発表と関連するジェレル先生のご業績の一例として、以下が挙げられます。What Does Multi-level Selection Tell us about the Causal Nature of Natural Selection? [Philosophy Abstracts 7th Annual International Conference on Philosophy 28-31 May 2012, Athens, Greece] )

ベルクソン(1859-1941)における「行為」に関する研究の他に、生物学の哲学にも関心を持っておられるジェレル先生による本発表では、「自然選択」の理論における、「群選択」や「個体選択」の議論を解説しながら、ソーバー(1948-)とウィルソン(1949-)が提唱した「マルチレベル選択 」について検討しました。

生物は、種の保存を目的として行動するという前提に立つ場合、「自然選択」は、個体よりも種や群れの間に働くと考えるのが、「群選択」の捉え方です。そこでは、利他的な行動、つまり、その集団の別の動物や仲間に対して、自分よりも相手を優先する行動をとる個体が多い集団は、存続しやすいと帰結されます。「群選択」の概念は、1950年代に流行しましたが、その後、ドーキンス(1941-)などを中心に批判が生まれ、「自然選択」は、個体に対して働くという見方が強くなりました。その最も有力な議論が、「包括的適応度理論」です。こうして、「群選択」の考え方は後退していきましたが、「自然選択」を家族や個体や遺伝子など様々な階層で働くものとして、つまり、マルチなレベルで働くものとして考える時、「群選択」を復活させることができるのではないかと考えたのが、ソーバーやウィルソンでした。

本発表は、非常に専門的な内容であり、会場には、哲学だけでなく、生物学研究をされている方も参加され、この分野における最新の研究動向を知る貴重な機会となりました。

ジェレル先生と鈴木泉先生(司会)
会場の様子
ジェレル先生