Hosei Erasmus Mundus Program Euro Pholosophy

Hosei Erasmus Mundus Program, Euro Pholosophy - Over the two academic years 2008-9 and 2009-10 at Hosei University, classes for the first semester of "Euro Philosophy", an EU Erasmus Mundus Master Program, have taken the form of one-month intensive lecture series. This is the first instance in Japan of administering such a large-scale intensive lecture series within the Erasmus Mundus Master Program.

Report

合田正人先生の授業 (2013)

明治大学の合田正人先生の3回にわたる講義が行われました。以下では、そのうち、合田先生のご専門であり、筆者にとって興味深いテーマであった、レヴィナス(1906-1995)の解釈を巡る講義の一部を、ご紹介いたします。(レヴィナスについての合田先生の初著として、以下が上梓されています。『レヴィナスの思想――希望の揺籃』 弘文堂、1988)

本講義の主旨は、レヴィナスにおける、「コナトゥス」解釈と、スピノザについての言及でした。良く知られているように、レヴィナスは、初期の論文『フッサール現象学の直観理論』(1930) においてすでにスピノザについて言及しており、後にレヴィナスは、『全体性と無限』(1961)第一部において、スピノザ主義を批判しています。しかしここで、なぜレヴィナスは「スピノザ」と言わずに「スピノザ主義」と言ったのか、という疑問が生じます。この区別については、レヴィナスの師であったレオン・ブランシュヴィック(1869-1944)も意識していた痕跡があり、この問題を明らかにするために、スピノザの『エチカ』(1677)を強く意識したレヴィナスの「コナトゥス」の解釈とその批判、また、レヴィナスにおいて、「ある」(il y a)からの自己‐自我の生成を指す、「ヒュポスタシス」(sub-stance)の概念について、それが、『全体性と無限』の議論で消失し、それに代わって登場する「享受」、「幸福」の問題などを考察しました。その結果、レヴィナスの倫理思想は、反コナトゥスとみなされながらも、デカルトの「高邁」の精神など、哲学史におけるコナトゥスの概念の系譜をしっかりと押さえており、かつレヴィナスは、スピノザ主義とは、スピノザではない、と自ら認識していた可能性が提示されました。周知のように、レヴィナスは、反スピノザの立場を鮮明にしていますが、両者の関係が意外に複雑なものであることが、本講義を通して理解できました。(レヴィナスとスピノザに関する合田先生の論考の一例として、以下が挙げられます。「コナトゥスと倫理――レヴィナスのスピノザ解釈」『スピノザーナ――スピノザ協会年報』第2号、学樹書院、2000)

合田正人先生

金森修先生の授業 (2013)

東京大学の金森修先生の2回の講義が行われました。

初回の講義では、「科学的合理性と東洋の行動科学」というテーマで、大正期 (1912-26)を代表する日本の生理学者である橋田邦彦(1882-1945)が中心に取り上げられ、『生理学要綱』 (1923)などの科学的著作が紹介されました。また、道元 (1200-1253)を尊敬し、『正法眼蔵』の注釈者でもあった橋田における、科学と「禅宗」の関係や、「全機性」という概念についても説明がなされました。さらに、橋田の行動科学に焦点が当てられ、彼の「行としての科学」について、実験室を「道場」と捉える独自な考え方を踏まえつつ、橋田における生理学と倫理的行為の関係が明らかになりました。(橋田論を所収した金森先生の著作として、以下が上梓されています。『自然主義の臨界』勁草書房、2004)

二回目の講義のテーマは、「近代日本のダーウィニズムの事例」でした。ここでは、明治期の日本の官僚であり、政治学者であった加藤弘之(1836-1916)の思想について解説がなされました。初期の加藤の主著として、中国を対象に立憲政体を明確に主張した『鄰草』(1861)や、啓蒙思想家として、平等主義を掲げて、優れた立憲思想について解説した『真政大意』(1870)などを著しました。しかし、後に加藤は、ダーウィン(1809-1882)やヘッケル(1834-1919)の影響を受け、ダーウィニズムへの転向を始めており、1882年の『人權新説』では、社会進化論の立場から民権思想に対する批判を明確にし、論争を巻き起こしました。本講義では、同書における、生存競争の中での「優勝劣敗」の概念などに着目しました。さらに、晩年の加藤の哲学的著作として、とりわけ、『自然と倫理』(1912)が紹介され、「社会有機体論」 、「利己」、「利他」の議論などを考察することで、生物学的唯物論者としての加藤の姿が浮き彫りにされました。(加藤弘之に関する金森先生の論考として、以下が挙げられます。Dictionnaire du Darwinisme et de l'Evolution, F-N, Paris, P.U.F., janv.1996, pp.2434-2442.)

金森修先生

河野哲也先生の授業 (2013)

立教大学の河野哲也先生の二回の講義が開講されました。本講義のテーマは「心のエコロジーに向けて」でした。

初回で中心に扱われたのは、アメリカ人心理学者のJ.J.ギブソン(1904-1979)についてです。晩年の著作である『生態学的視覚論』(1979)まで、ギブソンの一連の仕事が紹介された後で、とりわけ、彼の生態学的心理学の核心をなす用語である「アフォーダンス」の概念が説明されました。「アフォーダンス」とは、英語のaffordを名詞化したギブソンの造語で、動物にとって、どのように行動できるのか、どのように行動すべきなのか、等にかかわる環境の特性を指します。またエコロジー(生態学)とは、動物と環境の相互作用を研究する生物科学のことで、ギブソンは、このエコロジーの発想から新しい心理学を切り拓こうと試みました。これは、例えば、デカルト哲学における独我論的な内面性とは大きく異なる立場です。つまり、ギブソンによると、心は身体と環境の関係性に存することになります。こうしたギブソンの心理学は、美学や建築、工業デザイン、教育等にも受け入れられ、適用されています。(この主題に関する河野先生の著作の一例として、以下が上梓されています。『<心>はからだの外にある』 NHKブックス, 2006年2月.) さらに、ギブソンのこの考えに通じる概念として、A.クラークとD.チャーマーズによって提起された「拡張した心」についても解説がなされました。

続く二回目の講義では、以上のギブソンの思想を応用する形で、「痛み」(douleur)についての考察がなされました。われわれが日常生活で経験するあらゆる苦痛は、一概に定義することが難しい事柄の一つと言えます。例えば、身体的な痛みとは、個人的なものとみなされるのが一般的ですが、間主観的あるいは社会的文脈においては、必ずしもそうは言い切れません。その点を踏まえ、実際の医療現場における慢性的な苦痛の事例も挙げられ、医療人類学者のA.クラインマン、社会学者のJ.コールの議論、メルロー=ポンティの『知覚の現象学』(1945)における「幻影肢」についての議論等も引用され、「痛み」をめぐる多角的な解釈がなされました。

以上、本講義は、筆者にとって、ギブソンの思想の内実と、それが様々な分野において、現実的な応用に優れていることを実感できる時間となりました。

河野哲也先生