Hosei Erasmus Mundus Program Euro Pholosophy

Hosei Erasmus Mundus Program, Euro Pholosophy - Over the two academic years 2008-9 and 2009-10 at Hosei University, classes for the first semester of "Euro Philosophy", an EU Erasmus Mundus Master Program, have taken the form of one-month intensive lecture series. This is the first instance in Japan of administering such a large-scale intensive lecture series within the Erasmus Mundus Master Program.

Report

ヴァンサン・ジロー先生の授業 (2013)

6月3日から二週間にわたって、ヴァンサン・ジロー(Vincent Giraud)先生の授業計三回が行われました。

この講義では、初期キリスト教の教父である聖アウグスティヌス(saint Augustin 354-430)の著作を扱い、その思想の実存的側面に光を当てています。中心となるテキストは『告白』(Confessions)で、特に第十一巻に見られる、時間についての議論に焦点が当てられています。アウグスティヌスによれば、時間とは我々の誰もが理解しているものでありながら、それが何であるかを誰も説明できないものです。時間には過去、現在、未来の三つの様態がありますが、過去とは「もはやない」ものであり、未来は「まだない」ものです。ということは過去も未来も存在しておらず、あるのは現在だけということになります。しかし現在とは何でしょうか。たとえば一年という時間があるとして、そのうちのひと月が経過している間、他の月は未来もしくは過去にあります。したがって一年のうち現在であるのはひと月だけということになるわけですが、そのひと月の中には一日があり、一日の中には一時間がある、というように、現在でありうる時間は際限なく縮まって、最終的には無に等しくなります。したがって存在する唯一の時間である現在には、いかなる長さもない、捉えがたいものであることになります。しかし、我々は時間が過ぎ去るのを感じ取り、その長さを測っています。時間を説明することの困難はここにあります。

アウグスティヌスによれば、時間とは我々にとって感覚されるものであり、したがって精神に関係しています。我々が過去や未来の出来事について語っているとき、その出来事は我々の精神のうちにすでにあるのであって、それゆえ過去・未来・現在という時の三様態は、実際には「過去についての現在、現在についての現在、未来についての現在」なのだとアウグスティヌスは述べています。過去についての現在とは記憶(memoria)であり、現在についての現在は直観(contuitus)、未来についての現在は期待(expectatio)です。この三つは精神のはたらき(intentio)であり、時間とはこの精神のはたらきの延長(distentio)であるとされています。

アウグスティヌスにおいて延長すなわち時間という形式で世界を捉えることは人間の根本的条件ですが、それは同時に、人間が何かを認識する際には常にそこへ解釈を加えているということでもあります。時間を介さず、ものの純粋な実在を捉えるのは神にのみ可能なことであり、被造物である人間は原罪によって実在を奪われています。実際、『告白』ではdistentioという言葉が「分散(dispersion)」の意味で使われている箇所があります。人間が時間的多様性(過去・現在・未来)においてしか認識できないのは、一なる神から遠ざかった我々の罪と不完全さを示しており、したがって人間は自らの生を不可避的に分散させていく存在なのです。ここにおいてアウグスティヌスは、時間という人間の認識形式を実存的なあり方として捉えています。

以上のような時間的あり方は、アウグスティヌスの思想においては「非本来的(inauthentique)」ということになります。しかしこれに対する「本来的」なあり方は時間を超越することではなく、distentioを別の仕方で生きることです。それは人生の個々の出来事を見つめ直し、その意味を解釈することで、分散した生を再びひとつに合一させる(rassembler)ことです。『告白』はまさにアウグスティヌス自身の個人的生の探究であり、迷いに満ちた彼の人生に「神を求める」という意味を見出すための試みなのです。したがってアウグスティヌスにおいて時間という実存的問題は、それをいかに生きるかという道徳的問題として捉えられているのです。

ヴァンサン・ジロー先生

学生によるワークショップ (東京大学) (2013)

さる6月15日(土)、東京大学文学部本郷キャンパス法文二号館二階教員談話室において、学生を中心としたワークショップが開催されました。留学生3名と日本人学生3名の計6名の発表が行われ、司会も兼ねて学生たちが主体となって進められました。多様な哲学領域が集結した本発表会の各テーマは、以下の通りでした。

・「ベルクソン『試論』における二つの認識様態――『主観的なもの』と『客観的なもの』」
・「ハイデガーと内面性の神話」
・「現象野――メルロ=ポンティの前期思想における」
・「反『生命的内在』としてのキリスト教哲学.近代哲学的な逸脱に対する聖ピオ10世の応答」
・「フロイトを読むリオタール:『形象』の戦略」
・「マルク・リシールとエドムント・フッサールにおける崇高なものと神学的反省」

本発表会では、異質な専門分野を横断するように、各テーマが大変興味深いものであり、各自の専門以外の研究内容を分かち合える、という点が非常に刺激的でした。また、当然のごとく、洋の東西で、研究環境が離れた者同士が、哲学という共通了解の下に議論を展開できたという意味では、規模の差こそあれ、国際的な学会を思わせるものがありました。そして、発表時間の後には、学問上の同胞たちの健闘を称えあうように、交流の場が設けられました。

会場の様子

発表する留学生

質疑に臨む学生たち