Hosei Erasmus Mundus Program Euro Pholosophy

Hosei Erasmus Mundus Program, Euro Pholosophy - Over the two academic years 2008-9 and 2009-10 at Hosei University, classes for the first semester of "Euro Philosophy", an EU Erasmus Mundus Master Program, have taken the form of one-month intensive lecture series. This is the first instance in Japan of administering such a large-scale intensive lecture series within the Erasmus Mundus Master Program.

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アルノー・フランソワ先生の授業 (2014)

フランス・トゥールーズ第2大学のアルノー・フランソワ先生による6回の授業が行われました。

法政プログラムにおいてEU側の責任者を務めるフランソワ先生は、フランスにおいて若手を代表するベルクソン(1859-1941)の研究者でもあります。今回の授業のテーマは、ベルクソンの四大主著の一つ『創造的進化』(1907)における科学的(とりわけ生物学的)な源泉を探ることにありました。(このテーマに関するアルノー先生の業績として以下が挙げられます。« Les sources biologiques de L'évolution créatrice de Bergson » (2007), in Frédéric Worms et Anne Fagot-Largeault (éds.), Annales bergsoniennes, t. IV : L'évolution créatrice (1907-2007) : épistémologie et métaphysique, Paris, PUF, coll. « Épiméthée », 2008, pp. 95-109)

本講義において、筆者に印象深かったのは、機械論と目的論の問題です。すなわち、『創造的進化』の第一章の後半では、ダーウィン(1809-1882)とラマルク(1744-1829)の進化論がそれぞれ考察されますが、ベルクソンが生きた時代において、前者の系譜である新ダーウィン主義は、生物の進化が物理的な因果関係によって必然的に左右されるものとする機械論の傾向を、後者の系譜である新ラマルク主義は、特定の目的を遂げるための生物自身の努力や意志に進化の源泉を認めようとする目的論の傾向を強めていました。本来ダーウィンの進化論は、自然選択説として広く知られるように、生存に有利な個体がより多くの子孫を残すとされるもので、首の長いキリンは高い木の葉を食べやすいので子孫を残すのに有利であるというように、外的な環境要因を重視しました。他方でラマルクの進化論は、生物の進化の過程に、寒くなれば暖かい所へ逃げたり、毛を増やしたりするような、環境に適応するために生物が発揮する主体性を見ようとしました。それは内的で心理的な環境要因といえるでしょう。ベルクソンによれば、両者の議論は、生物の進化を何らかの意味で決定されたものとして捉えているという点で誤っています。ベルクソンにとって生命の本質とは、常に新たなものへと向かう絶えざる変化であり、まさに、それは未決定な自由が伴う「創造的進化」です。そこからベルクソンの生の哲学の核心にある「生命の飛躍」という概念が登場してくるわけです。

以上はフランソワ先生による講義内容の一部分ですが、機械論と目的論の論争を超えようとする立場から科学と哲学を跨いで展開されるベルクソンの議論は、現代においても熟考に値する内容を持つものと強く実感されました。

アルノー・フランソワ先生

富士山麓での合宿研修 (2014)

新学年早々の4月19日-20日の2日間、法政大学哲学科新入生のための恒例の富士山麓合宿が、法政大学富士セミナーハウスで行われました。この合宿には、ユーロフィロソフィ・プログラムでやはり同じくこの4月から法政大学で学ぶ、ヨーロッパからの3人の学生も参加しました。天気は生憎で富士山は見ることができませんでしたが、全体でのにぎやかな自己紹介から始まった合宿では、さまざまな主題について、日本語と英語混じりで、活発にグループ討論が行われました。とくに「異文化を本当に理解することは可能か」をめぐっての討論では、ユーロフィロソフィの学生たちから鋭い発言が相継ぎました。そして、夜の懇親会が異文化理解の実践の場となったことは言うまでもありません。

全員集合!
「異文化交流」のひとこま
セミナーハウスの室内で

サラ・グインダーニ先生の授業 (2014)

パリ第8大学のサラ・グインダーニ先生による4回の授業が行われました。

芸術や美学と哲学との関係の研究を専門とされているグインダーニ先生は、プルースト(1871-1922)の研究者でもあります。今回の授業のテーマは、プルーストが、大著『失われた時を求めて』(1913-1927)において、その後の20世紀の哲学者に与えた多大な影響を考察するものであり、影響を受けた哲学者として、メルロ=ポンティー(1908-1961)、ジル・ドゥルーズ(1925-1995)、ポール・リクール(1913-2005)、ロラン・バルト(1915-1980)などが挙げられました。(プルーストに関するグインダーニ先生の著作の一例として以下が挙げられます。Lo stereoscopio di Proust. Fotografia, pittura e fantasmagoria nella Recherche Le stéréoscope de Proust. Photographie, peinture et fantasmagorie dans la Recherche, Milan : Edizioni Mimesis, 2005.)

本講義で、筆者にとって最も興味深かったのは、プルーストとドゥルーズの関係でした。というのも、ドゥルーズは、初期の著作『プルーストとシーニュ』(1964)において、『失われた時を求めて』の解釈を試みていますが、そこにおいて問題とされるのは、プルーストによる、マドレーヌについての有名な描写に代表されるような「無意志的な記憶」ではないからです。すなわちドゥルーズは、プルーストの作品の基礎が、一般的に知られるような、過去の記憶の想起にではなく、「シーニュの習得」にあると主張します。「シーニュ」とは、「記号」や「しるし」など様々な訳が可能な単語ですが、ドゥルーズによれば、あらゆる事物はシーニュを発しており、それを解釈することが、「習得」へとつながります。『失われた時を求めて』で中心テーマとされる記憶の働きも、習得のための一つの手段であり、こうした習得の物語がこの作品に統一性を与えているとするのがドゥルーズの立場です。この立場によれば、『失われた時を求めて』は、シーニュを発する4つの要素から成り、つまり、空虚な「社交界のシーニュ」、偽りに満ちた「愛のシーニュ」、物質的な「感覚的シーニュ」、そして、本質的な「芸術のシーニュ」です。ドゥルーズによれば、プルーストの作品は、このようにして、シーニュを習得させ、シーニュを生産して、読者に効果を与えるものとされるのです。

以上は、4回にわたるサラ先生の授業の一部分ですが、記憶によって過去を探求していくという『失われた時を求めて』についての読者の一般的なイメージを覆すドゥルーズの解釈は、革新的なものであるとともに、その後のドゥルーズ自身の哲学が、プルーストの作品の影響を少なからず受けていくことを深く考えさせられる講義でした。

サラ・グインダーニ先生
授業の様子

ユーロフィロソフィー2014 スタート (2014)

桜が満開となった4月1日、2014年度 EUエラスムス・ムンドゥス修士課程《ユーロフィロソフィー》法政プログラムが開幕しました。

この日はまず、法政大学市ヶ谷キャンパスにて、今回来日した、ヨーロッパからの教員と留学生を対象とするオリエンテーションと図書館ツアーが行われました。東京に着いたばかりで、都内の地理や暮らし方にも未だ慣れない初来日の留学生3名は、祖国と異なる日本の生活に適応すべく、国際交流センターのスタッフの説明に懸命に耳を傾けていました。その後、図書館に移動し、日本滞在の3ヶ月間、彼らの勉学を支える諸文献を検索し借り出す方法の説明を受け、書庫の見学を行いました。

オリエンテーションの様子
図書館にて
書庫にて

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