Hosei Erasmus Mundus Program Euro Pholosophy

Hosei Erasmus Mundus Program, Euro Pholosophy - Over the two academic years 2008-9 and 2009-10 at Hosei University, classes for the first semester of "Euro Philosophy", an EU Erasmus Mundus Master Program, have taken the form of one-month intensive lecture series. This is the first instance in Japan of administering such a large-scale intensive lecture series within the Erasmus Mundus Master Program.

Report

金森修先生の授業 (2014)

東京大学の金森修先生による全二回の授業が行われました。第一回では「科学的合理性と東洋の実践哲学」と題し橋田邦彦(1882~1945)を取り上げ、続く二回目の授業では、「現代日本社会の生政治学」をテーマとしていました。

神経および筋肉に関する生理学の分野に大きな業績を残した橋田は、科学者でありながら禅の思想を科学者が持つべき倫理的態度と考えていました。具体的には、彼は、実験室は研究者たちの道場だと言っています。研究者たちが、西洋における概念的で中立的な知識に留まらず、坊主たちが寺で修行をして徳を積むように、よく生きるためという倫理的側面を持った知識を探求していく、そういう空間を彼は理想としていたように思われます。つまり、彼は研究の内容だけではなく、その「実践・修行」における態度として学問と人間双方への誠実さをも重要視していたのです。

「全機性」という概念は彼の後世へ残した学問的な影響という意味では非常に大きいものであるように思われますが、今回の授業では、より根源的な彼の思想のオリジナリティを探っていきました。例えば、彼は観察における方法論としての「行」も展開させてもいます。橋田は「物心一如」という東洋的なタームをより認識論的に「主客未分」と解し、西洋的な主客二分的な観察から逸脱していきました。前述したように、彼は必ずしも中立的で普遍的な知識を重視するひとではなかったようですが、それはものごとの本当の現れ方を知るためでした。つまり、対象を観察する堅固な主体としてではなく、「無心」に、流れのままにものごとのあり様を見る(「唯観」、あるいは「唯行」)こと、ものごとをより細かく見ていく、あるいは分割して観察してくのではないこうしたスタイルが彼の思想のオリジナリティにつながっているのです。これを橋田は「行としての科学」と呼んでいました。

大正から昭和にかけてその研究者としての業績、また教育者として業績を残した橋田は、戦時中は文部大臣としても活躍していました。そして戦後、彼はA級戦犯容疑者として追われ、自殺することになりました。文部大臣という政治的権力の中心部の役職にいた橋田の「全機性」という思想は個よりも全体を優先する全体主義を思わせる面を持っていますし、また彼の観察のスタイルも主体的なものの放棄であったため、全体性への奉仕と捉えられてしまいました。彼の生理学が一種のイデオロギーとして機能してしまったのです。

第二回では、スモン(亜急性脊髄視神経症)や東日本大震災時に発生した福島原子力発電所での事故以降の放射線被害について言及していきました。金森先生は、上記の二つの事例において、被害を受けた人々のために客観的知識を優先する、もしくは、社会的上部にいる人々の利益を損なわないために科学的客観的知識を歪曲するという二択が生まれ、そして後者が選択されてきた原因と背景を探り、その結果、国家の維持ないし全体の保持という目的が隠れていることを訴えていました。日本社会の暗い側面をわれわれに提示することで、大衆の裏で自らのために知識を堕落させている少数派の人間がいることを示さない限り、これからも客観性は棚に上げられ、人々は倫理観の欠けた科学者に騙されることになるのです。金森先生はこの根源的な社会構造にこそ「生政治学」が関与していると考えていました。

筆者は、第二回においても、第一回で橋田が示した客観的な知識を探求するすべての科学者に必要とされるべき倫理としての禅の思想が根底に流れていたように感じました。「行としての科学」は現在においても、少なくとも部分的には必要なものであるはずです。また、科学的客観性の歪曲化によって起きた事件においては、数的対比としては被害者が多数派であり、それに比べれば加害者はごく一部の少数派です。こうした現状を見ると、橋田の「全機性」という概念と彼における「禅」の思想の社会的科学的価値を精査するには、生政治学的なアプローチを経ない限りは達成しえないと言えます。

金森修先生
授業の様子

原和之先生の授業 (2014)

東京大学の原和之先生の4回にわたる講義が開講されました。今回の講義のタイトルは「'欲望'概念のラカンによる練り直しとエディプス・コンプレクスの改鋳」でした。(本講義の基礎となった原先生のご業績として以下の論文が挙げられます。Kazuyuki HARA, Amour et savoir ― Etudes lacaniennes, Collection UTCP, 2011.)

今回の講義で筆者が最も考えさせられたことは、ラカン(1901-1981)における欲望と言語の関係でした。これに関する講義内容を以下に紹介します。

人は絶えず何かを望んでいます。ラカンによると、人が望むのは何かが欠如しているからです。言い換えると、人は必要な何かを欠いているために、その何かは望まれるのです。精神分析の基礎をなす欲望という概念を考える時、まず思い浮かべるのは、その流動性だけでなく曖昧で漠然とした印象です。戦後の1950年代以降、ラカンが解決を企てたのは、捉えどころのないように思われる、ある種の狂気を秘めた欲望の概念を、言語によって規定することにより、何かを望んでいる他者について理解することでした。言い換えると、他者の欲望を知るという問題は、他者の言わんとすることを知るという、言葉の意味を知る問題と重ね合わされていったのです。ただこのことは逆に、言語という存在の輪郭そのものを規定しているのが欲望であることも意味します。

ここでいう言語とは、当時ラカンが参照した言語学を指します。その参照の中心に、一般言語学の創設者であるソシュール(1857-1913)が導入した「シニフィアン」の概念があることは周知の通りです。ただラカンが参照したのは、言語の形相や構造を解明しようとする時期を越えて、再び意味の問題に注目が集まっていた頃の一般言語学です。またヤコブソン(1896-1982)を参照したことからもわかるように、ラカンが言語ということで念頭に置いているのは、主にコミュニケーションの局面です。個々の会話においては、一つのシニフィアンから多様な意味が生じることと、何かを自由に望むこととは表裏をなしています。ラカンの言語観によれば、言葉で何かを言わんとするよりも、言葉が何かを言わんとするのです。いわば、言語が望むことにより、会話の意図は明確化されるということになります。

さらに、バンヴェニスト(1902-1976)のアイディアを下敷きにして練り上げられた、ラカンの「シニフィアン連鎖」の概念により、言語を(あるいは欲望を)階層的に構造化して、欲望の自由を規定することができます。その結果、他者の欲望を知るという課題において、会話の中で主体が口にするシニフィアンの連鎖に沿って、言葉に潜在する欲望もまた移動して方向づけられていることが理解されうるのです。

原和之先生