Hosei Erasmus Mundus Program Euro Pholosophy

Hosei Erasmus Mundus Program, Euro Pholosophy - Over the two academic years 2008-9 and 2009-10 at Hosei University, classes for the first semester of "Euro Philosophy", an EU Erasmus Mundus Master Program, have taken the form of one-month intensive lecture series. This is the first instance in Japan of administering such a large-scale intensive lecture series within the Erasmus Mundus Master Program.

report

クレリア・ゼルニック先生の授業 (2015)

少し遅くなりましたが、今回は5月7日、8日に3回にわたって行われたクレリア・ゼルニック先生による授業風景をお伝えいたします。タイトルは「映画の現象学―メルロ-ポンティから日本映画へ」です。

第一回はメルロ-ポンティ『意味と無意味』(1948)の中から「映画と新しい心理学」という論文を主に見ていきました。ここで注目すべき点は、現象学ではなく「新しい心理学」(ゲシュタルト心理学)が言われている点です。一般にメルロ-ポンティの現象学は、あるものを認識する時、主観と客観とは独立にではなく影響し合い両義的に働くと考えます。同じように、あるものを知覚する時、一つの感覚に集中して、たとえば耳だけで感じているようであっても、実際には他の感覚も働いて多方向から感じとっていると主張します。しかし、映画の場合、事情は少し異なります。フレームによって知覚が遮られており、日常での知覚よりも、主観と客観の間そして複数の感覚の間で、相互に交差するブレ(キアスム)がありません。このことから、映画においては日常の知覚の場合とは異なり、現象学だけでなくて「新しい心理学」による説明も必要になるのです。

ゼルニック先生

第二回は、小津安二郎の『東京物語』を見ていきました。小津安二郎は「小津調」と言われる方法論、つまり、被写体の目線に立った低い位置からのカメラワークと完璧に配置された構図によって優れた作品を生み出し、映画界に多大な影響を及ぼしました。紹介されたシーンではそこで用いられているシンメトリーや遠近法が取り出され、このような構図が実際に知覚にどういった影響を与えているかを見ていきました。例題として、視点を変えると二通り見える絵(錯視)が紹介され、皆で、何が描かれているのか当てっこをしました。小津映画の解釈には心理学的方法が有効です。

錯視

第三回は小津安二郎の後に活躍した人々について見ていきました。特に黒沢明の映画が取り上げられ、黒沢映画のどの点が「小津調」とは異なるのかを見ていきました。『羅生門』では、冒頭の殺人事件を目撃するシーンで、殺された人の手に向かってカメラを置きつつ、目撃者の、心臓が飛び出しそうになっている表情が映し出されています。他にも、『七人の侍』、『野良犬』、『夢』などが取り上げられました。小津作品の場合は一枚の写真の様に見事な構成が維持され、観客は静かに物語を見ることに集中しますが、黒沢作品ではインパクトのある描写を始めに持ってくることで観客を物語の中に引きずり込みます。主観と客観の枠はこわされます。こうして、ここでは現象学方法がより有効となります。ただ、先生も授業中に仰っていたように「黒沢明の映画にはいつも三船敏郎が出ている」というのは、小津安二郎にとっての原節子と同じで、特定のキャストの使用であって、ここでは黒澤も「小津調」を踏襲しているのだと感じました。

映画を見る

恥ずかしながら、私はこの授業で初めて『東京物語』を見ることができました。最後の場面では、家族が去った室内、静かな時間の中に垣間見える主人公の人生への思いや、コントラストで映し出される日の明るさに、切なさのツボを突かれてしまい、授業中映画を見ながら涙を堪えるのに必死でした。これを機会に様々な作品に触れていきたいと思いました。