Hosei Erasmus Mundus Program Euro Pholosophy

Hosei Erasmus Mundus Program, Euro Pholosophy - Over the two academic years 2008-9 and 2009-10 at Hosei University, classes for the first semester of "Euro Philosophy", an EU Erasmus Mundus Master Program, have taken the form of one-month intensive lecture series. This is the first instance in Japan of administering such a large-scale intensive lecture series within the Erasmus Mundus Master Program.

report

藤田尚志先生の授業 (2014)

九州産業大学の藤田尚志先生による三回の講義が行われました。今回の講義のタイトルは、「Localiser l'illocalisable. Une lecture de Matière et Mémoire de Bergson」であり、読解の中心となるテクストは、ベルクソン(1859-1941)が、哲学の普遍的テーマの一つである心身問題を扱った第二の主著『物質と記憶』(1896)でした。

本書でベルクソンは、心身二元論における、心(精神的なもの)の領域として「記憶」を、身体(物質的なもの)の領域として「脳」を取り上げています。記憶と脳の関係を考えた時、人がまず思い浮かべるのは、記憶は脳のどこにあるのかということでしょう。しかし、周知のように、本書においてベルクソンは、記憶は脳内に局在するという仮説を徹底的に批判しています。ベルクソンによる記憶とは、思い出を頭の中に整理する能力ではないからです。それゆえ、この主張に対して、物質的世界を擁護する立場から、ベルクソンは、しばしば批判されてきました。つまり、結局のところベルクソンは、記憶についての観念的な議論に終始しており、空間や場所といった実在の問題を十分に捉えていないというわけです。こうした思想史的背景をもとに行われた本講義で、印象深い論点は、カント(1724-1804)や、二十世紀フランスの主要な哲学者たちとの議論の比較を通して、『物質と記憶』の中に、場所の論理、あるいは場所学を見出そうとする点でした。確かに、ベルクソンは、記憶を空間のどこかに還元してしまう仮説を批判しているものの、記憶に「場所」を与えることを拒否しているわけではありません。じっさい、本書の一例として、「身を置く」といった場所にかかわる諸々の表現が、物質的なものについてだけでなく、記憶や諸観念など精神的なものについても使用されているのです。したがって、ベルクソンにとって空間と区別された意味での「場所」は、記憶と対立するものではありません。つまるところ、彼が記憶の実在を認めようとする仮説の批判を通して目指しているのは、逆説的にも、場所なきものに場所を与えることであり、その結果、『物質と記憶』は、場所について徹底して思考された書として読めるわけです。より正確に言えば、本書を解読するためには、身体や脳、さらには「知覚」を対象とする物質的な場所と、記憶や「持続」を対象とする精神的な場所を区別して考える必要があります。言い換えると、この観点は、客観的に与える場所と、主観的に与える場所の差異を問うことになるでしょう。ここで重要なのは、『物質と記憶』のねらいが、記憶は存在するか否かを問うことではなく、性質の異なる二つの場所を探ることにあるという主張なのです。このように本講義は、ベルクソンの難解なテクストを、読者の意表を突く観点から、わかりやすく論じることで、非常に興味深い内容となりました。

藤田尚志先生
授業の後で