Hosei Erasmus Mundus Program Euro Pholosophy

Hosei Erasmus Mundus Program, Euro Pholosophy - Over the two academic years 2008-9 and 2009-10 at Hosei University, classes for the first semester of "Euro Philosophy", an EU Erasmus Mundus Master Program, have taken the form of one-month intensive lecture series. This is the first instance in Japan of administering such a large-scale intensive lecture series within the Erasmus Mundus Master Program.

report

ヴァンサン・ジロー先生の授業 (2014)

京都大学のヴァンサン・ジロー先生による全三回の授業が行われました。中世思想と記号というテーマで、第一回ではアウグスティヌス(354~430)、第二回ではディオニュシオス・アレオパギタとエリウゲナ(810~877)、第三回ではニコラウス・クザーヌス(1401~1464)を中心にして、彼らにおいて記号が持っていた意味作用に着目し、彼らが存在ないし現象についてどう捉えていたのかを確認していきました。いわば、今回の授業でジロー先生は中世における存在の歴史に迫っていったと言えます。

創世記において、神が「光あれ」と言うと同時に光が存在するようになったと言われています。ここに、典型的な記号があります。神の言葉がすべての存在の原因だとアウグスティヌスに限らずキリスト教的世界観においては考えられますが、そうした場合、われわれが向き合うのはただこのわれわれに残された記号のみであって、実際の神の行い、ここでは創造の現場ではありません。この場合、われわれは痕跡をたどるしか、あらゆる存在について知る方法を持ちえないのです。こうした所与の記号の持つ意味作用と神による自己表明の密接な関係が第一回では注目されていました。

続く第二回では、『天上位階論』で知られるディオニュシオス・アレオパギタの思想と、彼の作品をラテン語に訳しその発展につとめたエリウゲナにおけるアウグスティヌス的な記号解釈を越え出る独自の存在論を見ていきました。そこで重要になるのが、アウグスティヌスとプロティノスにおける存在と非存在理解の違いでした。前者にとって、非存在はまさしく存在しないもの、神が創造しなかったものしか意味しませんが、後者にとっては、その不在も含めて神の発顕に関わるものだと考えていました。エリウゲナは、ディオニュシオス・アレオパギタにおけるプロティノス的思想をくみ取り、神の発現・流出と神への還帰を認めることによって、記号解釈による存在理解の射程を広げたと言えます。

第三回では、『知ある無知』で有名なニコラウス・クザーヌスの『要綱』における記号解釈が取り上げられました。第二回までで広げられた射程を、いわば収斂させていくような形で、彼における「対立物の一致」という原理を見ていきました。この一致は理性的記号解釈の下での、いわば記号の記号ないし記号から記号へという動きを想像において知ることであり、それは理性を越えた、理性から逸れたものであります。知のその先にあるのは人の理解を逸脱していく無知なのです。そのため、彼は、神は世界を超越しており、われわれは無知を知るとき神に触れることができると考えていました。ここに彼の神秘主義的傾向がはっきりと見られます。また、他方で彼は記号を自然の徴表と捉え、独自の数理主義的世界観をも提示しています。彼を偏った一面的規定に留まらず、こうした二つの側面から存在、知、記号に迫っていったと言えるでしょう。

全三回を通じてわれわれはいわば創造の記号を見ていきましたが、総括としては、アウグスティヌスにおいて見られた記号解釈における存在と非存在の間の断絶を埋める形でエリウゲナがその思想をディオニュシオス・アレオパギタの思想と共に発展させ、クザーヌスにおいて記号解釈の神秘主義的側面と数理的側面があらわれ、近代へと続いていく道ができたように思えます。中世という時代を記号というテーマで振り返ることで得られたものは哲学史的に見ても大きなものになりうるだろうと、筆者は感じました。

授業の様子
ヴァンサン・ジロー先生