Hosei Erasmus Mundus Program Euro Pholosophy

Hosei Erasmus Mundus Program, Euro Pholosophy - Over the two academic years 2008-9 and 2009-10 at Hosei University, classes for the first semester of "Euro Philosophy", an EU Erasmus Mundus Master Program, have taken the form of one-month intensive lecture series. This is the first instance in Japan of administering such a large-scale intensive lecture series within the Erasmus Mundus Master Program.

report

原和之先生の授業 (2014)

東京大学の原和之先生の4回にわたる講義が開講されました。今回の講義のタイトルは「'欲望'概念のラカンによる練り直しとエディプス・コンプレクスの改鋳」でした。(本講義の基礎となった原先生のご業績として以下の論文が挙げられます。Kazuyuki HARA, Amour et savoir ― Etudes lacaniennes, Collection UTCP, 2011.)

今回の講義で筆者が最も考えさせられたことは、ラカン(1901-1981)における欲望と言語の関係でした。これに関する講義内容を以下に紹介します。

人は絶えず何かを望んでいます。ラカンによると、人が望むのは何かが欠如しているからです。言い換えると、人は必要な何かを欠いているために、その何かは望まれるのです。精神分析の基礎をなす欲望という概念を考える時、まず思い浮かべるのは、その流動性だけでなく曖昧で漠然とした印象です。戦後の1950年代以降、ラカンが解決を企てたのは、捉えどころのないように思われる、ある種の狂気を秘めた欲望の概念を、言語によって規定することにより、何かを望んでいる他者について理解することでした。言い換えると、他者の欲望を知るという問題は、他者の言わんとすることを知るという、言葉の意味を知る問題と重ね合わされていったのです。ただこのことは逆に、言語という存在の輪郭そのものを規定しているのが欲望であることも意味します。

ここでいう言語とは、当時ラカンが参照した言語学を指します。その参照の中心に、一般言語学の創設者であるソシュール(1857-1913)が導入した「シニフィアン」の概念があることは周知の通りです。ただラカンが参照したのは、言語の形相や構造を解明しようとする時期を越えて、再び意味の問題に注目が集まっていた頃の一般言語学です。またヤコブソン(1896-1982)を参照したことからもわかるように、ラカンが言語ということで念頭に置いているのは、主にコミュニケーションの局面です。個々の会話においては、一つのシニフィアンから多様な意味が生じることと、何かを自由に望むこととは表裏をなしています。ラカンの言語観によれば、言葉で何かを言わんとするよりも、言葉が何かを言わんとするのです。いわば、言語が望むことにより、会話の意図は明確化されるということになります。

さらに、バンヴェニスト(1902-1976)のアイディアを下敷きにして練り上げられた、ラカンの「シニフィアン連鎖」の概念により、言語を(あるいは欲望を)階層的に構造化して、欲望の自由を規定することができます。その結果、他者の欲望を知るという課題において、会話の中で主体が口にするシニフィアンの連鎖に沿って、言葉に潜在する欲望もまた移動して方向づけられていることが理解されうるのです。

原和之先生