Hosei Erasmus Mundus Program Euro Pholosophy

Hosei Erasmus Mundus Program, Euro Pholosophy - Over the two academic years 2008-9 and 2009-10 at Hosei University, classes for the first semester of "Euro Philosophy", an EU Erasmus Mundus Master Program, have taken the form of one-month intensive lecture series. This is the first instance in Japan of administering such a large-scale intensive lecture series within the Erasmus Mundus Master Program.

report

エリー・デューリング先生の授業 (2014)

パリ西ナンテール大学のエリー・デューリング先生による、何が存在していないのかというテーマの全3回の授業が行われました。

第一回では、「不在」という存在論的にきわめて特異な概念の批判的導入を行いました。例えば、「一角獣」や「シャーロック・ホームズ」はわれわれの何らかの対象としては存在していますが、現実に存在しているわけではありません。AさんがBさんを愛しているという「関係」ないし「現象」も、厳密に言えば、その意味内容はわれわれにとって不確実なものでしかありません。あるいは「幻覚」はどうでしょうか。この扱いづらい現象はつかみどころがなく、本当に見えているもの、つまり現実との断絶を持っています。にもかかわらず、「幻覚」という現象をわれわれははっきりと、それは存在すると言ってきましたし、また、言いうるのです。これはどういうことでしょうか。ひとつ言えることは、これらは「無」ではないということです。

第二回では、第一回でその存在のあいまいさが批判されつつも、しかし存在しているとわれわれがこれまで言ってきた「不在」を、ラッセルの記述理論を用いて解釈していきました。「現代のフランス王はハゲである」とわれわれが言うとき、この命題は真でしょうか、あるいは偽でしょうか。彼はこの命題を、単純に偽であるとします。なぜなら、当たり前ですが現代に、そして彼の生きた時代にもフランスに国王はいないからです。しかし、ではなぜこのような命題が立てられ、そして考えることができるのでしょうか。言い換えれば、指示対象(この場合はフランス国王)が実在しない命題を、なぜ彼は偽であると解釈できたのでしょうか。ラッセルは、人工的な言語をつくり上げることによってこの難問を解読しました。人工言語による翻訳によって、解釈の困難な命題でさえも、単に無意味であるとせずに真偽の判断をできるようにしたのです。ここで重要なことは、ラッセルの記述理論によって、われわれは「不在」という対象を語る権利を獲得したことです。認識論的な意味で、ようやくスタート地点に立ったと言えるでしょう。

第三回では、デューリング先生は「不在」に関するある翻訳を試みました。第一回で不在は無ではないことが確認され、続く第二回では、われわれは不在に言及する権利を獲得しましたが、今回は不在を存在によって、存在を不在によって説明するという大変興味深い議論が展開されていました。ひとつの例として、光と日陰の関係を考えてみましょう。日陰という存在は光によって作り出される、一種の光の不在です。そして光という存在は日陰の不在でもあります。存在と不在は一種のペアとして存在し、一方が極限まで増大すれば他方はそれに応じて極限まで減少する。「度合」という関係がここに成立しています。重要なことは、光も日陰も、その存在ないし不在の度合1から度合0の間を行き来するのではないということです。つまり光も日陰も無となることはないのです。この例から出発して、デューリング先生はカントをはじめ、スーリオ、サルトル、そしてベルクソンとドゥルーズに関して言及していきました。特にこの最後の二人の思想家において言われている「現前しているものの潜在化」と「潜在的なものの顕在化」の二元論的ないし弁証法的結合とそれに付随する現在・過去・未来の連関は、筆者にとって思想的にもっともスリリングなものでした。

エリー・デューリング先生
授業の様子①
授業の様子②